13.起こってしまった最悪

「アレス君は、今どこにいるのでしょうか?」


 そう呟いたのは、実地演習を初日から蹂躙した片割れことソフィアであった。

 草一本すら生えていない平坦な荒地に陣取り、アレスを待ち構えている。

 視界を遮るものは一つもなく、奥行と幅はそれぞれ五十メートル程度の広さは確保されているため、一騎打ち程度ならば狭いと文句が出ることはないだろう。

 もしアレスが文句を言うかもしれない点を挙げるとすれば……


「魔法使いにとって都合の良い、見晴らしがきく地形ですが、これ位は良いでしょう?」


 ソフィアが立っている荒地は、実地演習場である山にはなかった筈の場所である。

 では何故、なかったはずの荒野が存在しているのか。

 答えは単純明快、なかったから、魔法で作った。

 暴風で草木を吹き飛ばして山肌をむき出しにして、荒れた土を均すことで足場を整える。

 都合、二度の魔法行使で、ソフィアは己が望む地形を作り出したのだ。

 これらの局所的な災害のような魔法であるが、勿論、そんじょそこらの魔法使いでは、そんな規模の魔法の行使は叶わない。

 師である『魔法司』エピスの指導の下磨いた魔法の技術に、彼女が生まれ持った莫大な魔力を惜しみなく籠められるだけ籠めて、初めて出来る芸当だ。


「さて、アレス君は、一体どうやって私と戦うつもりなのでしょうか?」


 正面から名乗りを挙げての、真っ向切っての一騎打ちだろうか?

 それとも、今回の実地演習で手を組んだ班員たちと連携して、挑みかかってくる?

 はたまた、こちらの間隙を突くために手練手管を尽くす邪道でくるか。


「ふふ、楽しみですねぇ」


 ソフィアにとって、張り合いがある同世代がいるという一点の事実だけでも嬉しかった。

 ましてや、その相手が、かつて師と覇を競った相手の弟子であるのだ。

 決して、肩書だけの人間ではないことは、確かめている。

 彼、アレスとの戦いは、きっと刺激的なものとなる。

 そんな大事な戦いの前だからこそ、


「ギュルティ教官。何故、貴方がここにいるのでしょうか?」


 こちらに歩み寄ってくるギュルティへの問いかけには、少し棘を含んだものとなった。

 対して問いを投げられたギュルティは、柔和に微笑む。


「簡単な話です、ソフィア嬢。私は、貴女を攫いに来ました」

「……正気ですか?」


 つい、そう問い返してしまった。

 それだけ、ギュルティの口にしたことは、普通では考えられないことであったから。

 口説くのではなく、政略的な手法でもなく、暴力でソフィアを手籠めにしようなど、エピス・パライオンが黙っている筈がない。

 犯人は勿論、一族郎党を殺し切るまで、怒りのままに全てを破壊し尽くすことだろう。

 いや、それでもなお、怒りは収まらないかもしれない。

 そんな事態を引き起こすと、ギュルティは口にしたも同然なのだから。

 それに、そもそもの話、彼の話は前提すら成り立っていない。


「貴方は私に勝てない。見晴らしの良い地形で、魔法使いである私に勝てるとでも?」


 ソフィアとギュルティを隔てる距離は、十メートル程度。

 遮蔽物もないため身を隠すことも、小細工を弄することもできない。

 この条件の中、ナイフを得物とする戦士であるギュルティは、この十メートルという間合いを詰める手段を持たないのだ。


「それに、もし私に勝てたとして、どうやってアルジェイルさんから逃げきるおつもりで? 彼は上級吸血鬼である真祖です。『五英傑』を除けば、私が見てきた中で、最も強い存在である彼に、対抗する術があるとでも?」


 故にソフィアからすれば、ギュルティの吐いた言葉は、どれもこれも戯言。

 呆れ果てた、なんて陳腐な感想しか浮かばない、破綻しきった計画。

 お粗末に過ぎ、馬鹿にすることすら憚られる。


「お引き取りを。大事にはしたくありません。学園に帰ったら、早々に職を辞してください。アルジェイルさんにも話を通して、お爺様の耳にまで入らないようにはいたします」


 ソフィアの勧告は、最大限譲歩し、事を穏便に済ませる唯一と言っていい方法だった。

 それは一重に、エピスの耳に入れないという意思からきている。


「ふっ」


 だがギュルティはあろうことか、ソフィアの勧告を鼻で笑い飛ばした。

 彼にとって、そんなことは言われるまでもない事であり、それらを織り込んで実行に踏み込んでいる、といった所なのだろう。

 そんなソフィアの分析を他所に、ギュルティは口を開く。


「ソフィア嬢。私は貴女の誘拐計画における障害は三つと見ています」

「……それを、全て乗り越える準備があると?」

「えぇ」

「参考までに、その障害とその克服の手段をお聞かせ願えますか?」

「勿論。そもそも、問われずとも話すつもりでしたので」


 その言葉で、ソフィアはギュルティがここに、何をしに来たのか見当がついた。

 彼が己の前に堂々と姿を現し、手札と計画を説明するのは、勝利を確信しているため。


「まず障害その一、新入生であるアレス・エッスベルテ君です。彼はキメラを一刀両断できるという、馬鹿げた剣腕の持ち主です。加えて、暗器も使う邪道な戦法の使い手だ」


 ギュルティは口ぶりからして、恐らくアレスが『剣王』の弟子であることを知らない。

 そんな彼を、自身にとって脅威となり得ると評価していたのは、少し意外だった。


「そんな厄介な相手ではありますが、演習中の彼を観察して、実力は私が上だと判断しました。なにせ彼は、剣の使い方を知っているだけで、剣を使った戦い方を知らないようですから。毒を塗った暗器を使って拘束するなんて戦い方のみを行っているのが、その良い証拠です。戦えば、十中八九私が勝つでしょう」


 正直、そこはソフィアも気になっていた所ではあった。

 アレスは剣士であるはずなのだが、何故か剣を使って戦わない。

 その様は確かに、剣を使って戦うのは自信がないと白状しているように見えるだろう。


「とはいえ、彼が強いことは事実。戦えばきっと、苦戦するでしょう。ですので遭遇しないのに越したことはありません。そのため、私は計画を迅速に行わなければならない」

「成程、理解しました。それで、二つ目は?」

「ソフィア嬢の魔法です」


 ここで自身が話題に上がった。


「貴女の魔法はとても強力だ。地形を変えるような大規模かつ高火力な魔法を事も無げに操り、それを連発する技量と魔力保有量まで持ち合わせている。その若さにして、貴方は大陸でも指折りの魔法使いと言っても過言ではない」


 ソフィアは己が優秀であることを自覚しているが、こうも褒められると面映ゆい。

 表に出さず、内心照れているソフィアを他所に、ギュルティは口を開く。


「そして最後の三つ目が、この会話を今も聞いているであろう、アルジェイル教官です。彼は私が暴挙に出ていることを察知しているでしょうに、ソフィア嬢が自力で解決でき、万が一が起こっても己で対処すればいい。そうなれば、私は終わりです。ソフィア嬢も同じ考えだというのは、先程貴女も口にしましたね。その考えは、正しい」


 ここまでギュルティが長々と説明したのは、己がソフィアたちの脅威を甘く見ていないことを理解させるためだ。

 そして、それらの脅威を克服できると確信している一手をお披露目する前振りである。

 ギュルティが、右手を空へと掲げた。


「貴女方の敗因は、その正しさからくる慢心だ」


 地面に閃光が走り、幾何学模様を描く。

 幾何学模様の面積は膨大で、全貌は窺い知れなかった。

 ソフィアに見えたのは、幾何学模様の一部だけ。

 だが、そこから彼女は、ギュルティが用意したものを悟った。


「魔力の起動を妨害する結界ですか。それも大きい、山くらいは覆っていそうですね」


 ここで初めて、ソフィアは笑みを浮かべる。

 彼女はこの結界のことを、よく知っている。

 結界内に存在する人、道具を問わず、魔法を発動させるための魔力の起動に凄まじい負荷をかけることで、魔法を封じるという代物だ。

 魔法使いに対して最も有効な対策の一つとされ、この結界が開発されて百年近く経過しているが、未だ魔法使いに結界内で打てる打開策が一つもない。

 詰まり魔法使いにとって、この結界内に入ることは死を意味する。


「どこの組織と手を結んだので? こんな大掛かりな準備、独りではできないでしょう?」


 山を覆える程の面積の結界を描ききり、起動するまで発覚しないよう隠蔽工作も施す。

 どう考えても、個人で準備できるはずがないのだ。


「人類解放軍」

「ああ、あそこですか。成程、腑に落ちました」


 人類解放軍とは、大陸最強と謳われるテロリスト集団だ。

 掲げるスローガンは、『五英傑』という、気まぐれで世界を滅ぼせる化物から、人類を解放すること。

 活動は手広く、兵器開発にその売買、誘拐、人体実験、果てには殺人も厭わない。

 規模は決して大きいと言えず、百人にも満たないと目されている。

 ここまで聞くと、悪質ではあるものの、最強を背負うには不足と感じるだろう。


 最強と言われる由縁は、頭目が使う魂魄魔法だ。


 頭目は魂魄魔法の奥義の一つとされている、魂の移し替えができるのだ。

 因みに、構成員の魂の転移先である肉体が死亡した場合、その魂は元の肉体へと戻る。

 独自の兵器を抱え、死なない兵士の特攻という戦略が、彼らを最強と言わしめた。

 そんなことを繰り返しているため、構成員の戦闘経験は豊富で、一人一人の戦闘力も高いと言うのがまた質が悪い。

 そんな彼らが掲げる目的は、たった一つ。


「『五英傑』を抹殺し、人類を解放する。彼らなら、私の誘拐計画に手を貸すでしょう」


 初めから、エピスらを殺すと公言し、手段を択ばない集団だ。

 縁者を襲い、揺さぶる程度するだろう。

 あるいは脅して、他の『五英傑』にけしかけることも、十分あり得る。


「えぇ。そして彼らには、アルジェイル教官とアルドス教官の足止めを依頼しています」


 成程、用意周到な計画だ。

 筋は通っており、事実、ギュルティは計画の段階をソフィアの魔法とアルジェイルを封じ込める所まで実行して見せた。


「そして貴方が、ここまで計画について話したのは、私に勝ち目がないと宣告するためですね? 私に、降伏させるために」

「話が早くて助かります」


 それで、とギュルティは口にして、問いを投げる。


「答えは?」


 ギュルティの問いかけに、ソフィアはお辞儀をした。


「ギュルティ教官。まずは、ここまで計画を進めた手腕、実行力を見事と賞しましょう。そして、降伏勧告への答えですが……」


 ソフィアはゆっくりと頭を上げて、満面の笑みを浮かべた。


「お断りします。この身が欲しいというのなら、力を示しなさい」

「残念だ。だが、君ならそう言うと思っていた」


――――――――


ソフィア「ばっちこい」

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