【兵頭外伝】第5話 借りを残した男、けじめの一ヶ月 

 だが、それからの日々は、屈辱の連続だった。

 イジメをしては、九条に止められる。


 喧嘩を仕掛けても、

 九条は無傷のまま兵頭たちをねじ伏せる。


 それはもはや喧嘩ではなく

 ――ただの処刑だった。


 兵頭の胸に澱のように積もっていく敗北感。

 誇りが削られるたびに、怒りの炎が逆に強まっていく。


 そして、ある放課後。


 倉庫棟裏庭、人目のない場所で、兵頭たちは広瀬という眼鏡の生徒を囲んでいた。


 そこに、またしても九条が現れて止められる。


 もう勝てない――兵頭自身、痛いほどわかっていた。

 諦めが喉までせり上がった、そのとき。


「……アイツを、別のことでハメるってのはどうっすかね?」


 安田が、口の端を歪めて呟く。


「そういや、購買でレアカードが近々販売されるらしいっすよ」


 赤井も怪しい笑みを浮かべた。


 兵頭は、一瞬だけ迷った。

 心の奥で、こんな卑怯な真似は自分らしくない、と叫ぶ声があった。


 だが、積もり積もった怒りに蓋はできなかった。

 九条に勝ちたい。どんな手を使ってでも――その執念が理性を押し潰す。


「……やるぞ」


 そうして安田の提案で練られたのが、トレーディングカード盗難事件だった。


 盗みの罪を九条になすりつける。

 ――信念に背くとわかっていても構わない。

 最後まで戦わなきゃ、気が済まなかった。


 しかし、計画は予想外の援軍によって潰される。

 白雪ことは――そしてポメラニアンのくーちゃん。

 まるで天罰のように、真実は暴かれた。


 職員室へ連れていかれる道すがら、

 兵頭は自分の胸の内を噛みしめていた。


 退学は免れないだろう。

 だが、自分はともかく、安田と赤井まで巻き添えにはしたくなかった。


「計画は俺が全部立てた。こいつらは関係ねぇ。退学にするなら、俺だけにしろ」


 松尾先生にそう言い切る。

 だが、安田と赤井は兵頭の意図を読み取らず――いや、あえて乗らず。


「俺らも共犯っす」

「兵頭さん一人のせいにはできません」


 結果、処分は――驚くほど軽かった。


「……停学、一ヶ月だ」


 松尾先生の言葉に、兵頭は思わず聞き返す。


「退学じゃ、ねぇのか?」


「九条と白雪のおかげでカードは戻ったしな。学園としても穏便に済ませたい」


 安田が「やりましたね!」と無邪気に喜び、赤井が小声で呟く。

「……九条、報告しなかったんすかね」


 兵頭は何も言わなかった。


 ただ胸の奥で、

 重たい何かがほどけていくのを感じていた。


 ――俺たちは、九条零司に助けられた。

 勝てなかった悔しさと同じくらい、

 救われたという実感が、心の奥を静かに満たしていく。


 一ヶ月間の停学処分。

 兵頭和真は、その間、安田や赤井と会うこともなく過ごした。


 学校からは不要な外出を禁じられていたが――それ以上に、兵頭自身がこの一ヶ月を「クールダウンの時間」にしたかったのかもしれない。

 熱に浮かされたように九条へ執着していた自分を、少し距離を置いて見つめ直すために。


 そんなある日の昼下がり。

 自宅の玄関から、落ち着いた声が聞こえてきた。


「和真様。少々お時間をよろしいでしょうか」


 顔を上げると、そこに立っていたのは父親の秘書・相模だった。

 子供の頃から何かと世話を焼いてくれてきた人物で、兵頭にとっては兄のような存在だ。


「家の中庭の塀がだいぶ傷んでおりまして……停学期間中のお時間で、修繕をお願いできればと」


 兵頭は小さく舌打ちしたが、すぐに口元にわずかな笑みを浮かべる。


「……相変わらず気が利くな、相模は。ちょうど体を動かしたかったところだ。やってやるよ」


 それから兵頭は、黙々と塀の修繕に取り掛かった。

 ただ壊れた箇所を直すだけではない。

 近い将来に傷みそうな部分にも、先回りして補強を施す。


 手を汚し、汗をかき、木槌を振るうたびに、

 頭の中に渦巻いていた怒りや苛立ちが少しずつ削れていく。


 不器用で真っ直ぐな――“元の自分”が戻ってきているのを、兵頭はぼんやりと感じていた。


 気がつけば、一ヶ月が過ぎていた。

 その手のひらには豆ができ、塀は以前よりも頑丈に生まれ変わっていた。


 一か月の停学を経て、兵頭はようやく頭を冷やした。

 だが、不良としての自分達の生き方はいまさら変えられないし、変えるつもりもない。

 それでも――九条に借りを作ったという、その一点だけは胸に残っていた。


「けじめは、きっちりつける」


 そう心に誓い、兵頭は復帰の日を待った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る