第2話 プロローグ(2) 魔法使い

 アリサ中佐は、昨日の夜を思い出そうとしていた。記憶は断片しかなかった……。


 彼女は、エイドリアンが立ち上がるのを見た。彼は「電話だ」と告げて去って行った。彼の声はよく聞こえなかった――声の洪水が支配していた。彼女が手もとを見ると、オレンジの液体と白い泡が揺れていた。彼女はガラス容器の縁を舐めた。つるりとした舌触りがした。彼女は上を向いて、容器を傾けた。口の中が冷たい何かで満たされた――それは苦く……舌が焼かれるようだった。彼女は、全てを飲み干した。


 目の端を、白い影が通り過ぎようとしていた。アリサは影を追って、声を震わせた。


「あ……お代わりください」


 白い影は人ごみに消えた。


 アリサが人込みを見つめていると、タイチ中尉が来て何か言った。彼は、アリサの右手からガラス容器を奪い、何処かに消えた。醤油の焼ける匂いがした。左からリタの笑い声が聞こえた。ドンと音がした。前を見ると、オレンジ色に満たされた、ガラス容器があった。霜を吹き、白い泡が零れそうになっていた。タイチ中尉がアリサの前に座って言った。


「何か腹に入れますか?」


 アリサは、醤油のあれ…と言いながら、テーブルの端を指さした。タイチはアリサの指先を辿り、頷いて、立ち上がった。彼はまた、人込みに溶けていった……。


 アリサは、幾つものオレンジ色のグラスを手にした。アリサの周りで、世話しなく人が動いていた。立っては座り、飲んでは食べていた。


 アリサが目を開けると、手首に赤いホログラフが、立ち上がっていた――ビービーと煩い。彼女は「非常招集」というメッセージを見て、反射的に跳ね起きた。


「非常招集です……総員……急ぎ、艦に戻りなさい」


 と彼女は、仁王立ちになって言った……。同僚は勢いよく動き出した。タイチが彼女の靴をもって戻って来た。彼女は、靴を受け取ろうとしたが、そのまま意識を失った……。アリサの記憶は、そこで途絶えていた。


 彼女は、戦艦セレノスの仮眠室で目を覚ました。アリサは時計を見た後、自室に帰らず、作戦室へ直行した。パーティの時間になると、エイドリアン艦長に呼ばれた――そして、あれを見た……。今は、彼の原稿を手伝っていた。


 「経緯についての話は必要です」


 アリサは、エイドリアンの原稿にコメントを出した――悪い夢を見ているのかもしれない。


「夢の中であっても、仕事は仕事だ」


 彼女はそう言って、ブリーフィングの段取りを整え始めた。彼女は、作戦指令書を見つけて震えた。彼女は「経緯」というファイルを見て、絶句した。直ぐにブリーフィング資料から削除した。ヴェラリス連邦軍の、被害状況だけを選んだ。


「資料を整えました」


 アリサ中佐は、エイドリアンにメッセージを送ると、彼のデスクを見た。彼はバイザーを着けて体を伸ばし、口を少し開けたまま、動かなかった。アリサは小さくため息をついた。


「当面できる事は、終わったけれど……。戦略目標は、どこにするのかしら?」


 アリサは、資料を読みながら言った。


「反乱の首謀者を捉えるのか……敵の主力を無力化するのか……攻撃の優先順位は……」


 彼女は小さな欠伸をした。エイドリアンはぐっすりと寝ていた。アリサは、指を口に寄せて「検索…映像資料」と囁いた。ホログラフに資料の一覧が映し出された。彼女は目を下に動かして、一つのメッセージに目を留めた。


「ニヴァリス……。まずは、ここから勉強ね」


 彼女はデスクを軽く叩き「バイザー」と命じた。デスクから、黒いサングラスが浮かび上がった。彼女はバイザーを取り、顔にかけた――再生。


「アメイジアのリュカ・エレインです。本日は、偉大なる発見のご報告を……」


 リュカの音声が再生された。アリサは映像の下部にある「スキップ・マーク」を見つめた。映像が早送りされた。


「惑星アメイジアの第三ゲートは、異世界の宇宙と繋がったのです…そして其処には……私は…その地をニヴァリスと名づけ……」


――スキップ……。


「……そして、この宇宙にだけ存在する…エリメイア粒子、オルファ粒子は……」


――そして、これもスキップ……。


 アリサは、「ピック・アップ映像」のマークを見つけた。彼女は、ピックアップを再生した。


「……この世界では、大地の周りを恒星が公転するのです。本当に日が昇り、日が沈むんですよ!」


――これも違う……。


 彼女は、とうとうピックアップ映像の一つに目を留めた。リュカを抱えて、宙に浮かぶ人物がいた。その男性は、ニヴァリスの民族衣装を着ていた。リュカは笑っていた。


――何が起きているのか?


 アリサは腰を浮かせて、デスクに手をつき、強い口調で言った。


「AI起動。ピックアップ……前後の痕跡調査!」


 彼女は、赤いメッセージを見た。


<< 情報隠蔽……痕跡 確率:82%>>


 大きく息を吸い込んで息を整えると、彼女はAIに命じた。


「情報復元、推測許容値80%、戦時戦力推定開始……リミット3分」


 すると直ぐに警告が表示された。


<<高負荷リミットを解除するには認証が必要です>>


 アリサはバイザーを外し、右手の人差し指をホログラフ・ディスプレイに押し付けた。認証要求メッセージが反転した。ブーンという音が続いた。天井のホログラフが明滅した。


<<推定完了 敵対勢力 2名 戦力推定: セレノス級戦艦一隻に相当>>


 アリサは眼を大きくして、ディスプレイを見つめた。「詳細シミュレーション」のメッセージをタップした。シミュレーション映像が再生された。二人の女性が空を舞っていた。ニヴァリス市の上空のようだった。彼女たちの周りには、光が集まっていた。青色の閃きが起きて、轟音が響いた……。映像の画面が切り替わった。ヴェラリスの戦車群とパワード兵が映った。青い煌めきと共に全て蒸発した……。


 彼女は、唾を飲み込んだ。絞り出すように言った。


 「……顕在火力から、ヴェラリス…アストリナ帝国軍での類似兵器を列挙……」


 AIは直ぐに応答した。


<<ヴェラリス星系連邦軍…類似兵器…惑星攻撃用起動要塞ソーン・アクト……、

 アストリナ帝国軍…ヴェルト=グレイン弾>>


<<脅威判定SSS>>


 アリサは息を飲んで、身を固くした。それぞれの星間勢力が誇る、最終決戦兵器の名が列挙されていた。


「脅威判定SSSですって! これが緊急招集の理由ね。……対抗兵器の必要性も分かったわ」


 アリサは顎に手をやって、画面を見つめていた。そして、静かな声で命じた。


「命名……。ヴェラリス星系連邦軍 第一特別航空宇宙軍 旗艦セレノス所属 アリサ・ケレン中佐。対象を『ニヴァリスの魔法使い』と仮称する」


<<権限確認……。敵性兵器仮称『ニヴァリスの魔法使い』を登録しました>>


 アリサは続けた。


「地表探索、ニヴァリス市周辺、対象を『ニヴァリスの魔法使い』、検索を開始!」


<<コマンド受託、ニヴァリスの魔法使いを探索します>>


 アリサの命で、セレノスの8割のセンサーが地表を向いた……。――コーヒーの香りがした。


 アリサのデスクに、カップが置かれた。アリサが振り向くと、エイドリアンが後ろに立っていた。


「寝なかったのかい? これを飲んで、一度戻りなさい。まだ、時間があるから」


「ありがとうございます……」


 アリサは、カップを取って、口をつけた。焦げた木の香りがした。酸味の中に、苦みと甘みが混じっていた。


「……甘いわ」


 アリサが言うと、エイドリアンは微笑んだ。


「私は、一度部屋に戻るよ。君はどうする?」


「あ、私も戻ります……。あの実は、ブリーフィングの件ですが。私から伝えたいことがあります。詳細は、歩きながらで……」


「分かった」


 アリサは、エイドリアンの左側に並ぶと、彼を見上げた。彼女の言葉は、流水のごとく流れ出た。二人は連れ立って歩いた。彼女は、エイドリアンが何度も頷いて、口を大きく開くのを見た。彼は口を閉じると、彼女を見つめ…彼女の肩に手を置いた。アリサは、そっと肩の手を見た。アリサの口の端が、ゆっくりと上がった。アリサは、エイドリアンを見あげた――彼女の目に迷いは無かった……。


「……戦いましょう」


朝の作戦室に、アリサの声が静かに響いた……。


――静謐な音楽が流れていた。


そして…この後、ニヴァリスは、業火に包まれていくのだった……。


――プロローグ 魔法使い(了)――

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