【ハルモニア・クロニクル】惑星アメイジア

音羽 光夫

序章

第1話 プロローグ(1) 異なる宇宙

 ニヴァリスの真空は、白かった……。 


 キャプテン・エイドリアンは「異なる宇宙」にいた。


 旗艦セレノスの作戦室は喧騒に満ち、未知への興奮に包まれていた。


 エイドリアンはホログラフに触れた。


 すると、作戦室は宇宙に溶け込み、クルーの囁きが広がった。


 床面に、ニヴァリスの大地が見えた。

 群青の大海……黄土の砂漠……褐色の山脈。

 クリーム色の渦が、森を隠していく……。


 静かな溜息が広がった。


「惑星のように見えるね。」


 誰かの声が聞こえた。


「境界も見えない。永遠の大地……ニヴァリス。」


 静謐な音楽が流れていた。

 ビバルディの四季だった。


 エイドリアンは、作戦室の中央にいた。

 すぐ傍にテーブルがあり、菓子と酒で彩られ、華やかな香りが漂っていた。


 エイドリアンはキャプテン席に座り、クルーの表情を眺めた。

 左腕のホログラフに触れて、壁面も船外カメラに切り替えた。

 

 すると、白色の壁が透き通り、薄っすらと光る真空を映し出した。


「凄い恒星の数だね。宇宙が明るい。」


 テーブルの向こう側にいる、タイチが言った。

 彼はワイングラスを片手に、リタの顔を覗き込んでいた。

 リタは頷き、顔を輝かせて宇宙を見つめた。


 ふと、右手を見るとアリサ中佐が、シャンパングラスを持って床を見ていた。

 エイドリアンは、下に目を落とし、ニヴァリスの景観を見つめた。


 「本当に、圧巻だな。」


 エイドリアンは、ホログラフをしまって辺りを見渡した。

 

 クルー席がテーブルを囲うように扇状に並んでいた。

 

 エイドリアンは、テーブルからシャーベットのカップを取った。

 

 蓋を開けると、鮮烈なライムの香りが漂った。

 蓋の裏からスプーンを見つけ、グリーンの氷菓に突き刺した。

 すくって口に運ぶと、冷えたライムが、舌を焼いた。


「冷たい。」


 彼は、眉を寄せて、頬に手をやった。


 すると、リタが言った。


「100億光年も、続いているの?」


 エイドリアンが顔をあげると、タイチが天井を指さしていた。

 数人のクルーがタイチの指さす方を見て、上を向いていた。


「ドームの天蓋が見えるかな。あれをハイプルプレーン・システムだとするよ。」


 タイチの声にクルーが頷いた。

 そして、タイチは指を滑らせて、天井にあるスポットライトを指した。


「あそこにスポットライトがあるでしょ。天蓋から釣られてる。そこから、天蓋を斜めに照らしてるよね?」


 オレンジの光跡が天蓋のドームへ伸びていた。

 タイチは説明を続けた。


「あのスポットライトを恒星だと見立ててみよう。ほら、光が当たっている場所が楕円になっているでしょ。見えるかな?」


 タイチの説明を聞いて、「ああ…みえる。」と、クルーの声が広がった。


「天蓋のドームがニヴァリスの大地。何百光年も広がる宇宙の平面だよ。」


 彼は笑顔になり、クルーの顔を見渡した。


 「そして、大地に浮かぶ楕円がね。ニヴァリスの民の昼なんだ。生物が住める場所さ。ハビタルゾーンなんだ!」


 すると、多くのクルーが上を見上げながら歓声を上げた。

 そして、タイチが、


「大きさを想像してよ! あのエリアだけで、何光年あるんだろう? いったい地球が幾つ入るんだろうね?」


 と結ぶと、クルーの間に静かな静寂が下りた。


 エイドリアンは、目を細めて頷いた。


「異世界の宇宙に広がる、神話の世界……か?」


 彼はそう言って、アイスを口に含んだ。

 爽やかな酸味と甘みが口腔に広がった。


 エイドリアンがアイスの容器をテーブルに戻すと、左の手首に赤い点滅が見えた。  

 彼は、慌てて後ろを振り返った。


 すると、彼のデスクに小さな光の板が浮いていた。


「とうとう……来たか。」


 彼はそう言うと、デスクに向かって歩き出した。



──クルーの声が小さくなり、呼び出し音が聞こえてきた。



 エイドリアンは小走りで駆け寄り、ホログラフに触れて警告を消した。

 デスクに着いて椅子に座り、ホログラフを操作した。


『緊急:作戦司令 速やかに遂行せよ』


 という赤い文字のメッセージが浮かんでいた。


 エイドリアンは、軽く息を吐きだした。


 ふとデスクを見ると、飲みかけのコーヒーカップがあった。

 

 手に取って口に運んだ。

 ぬるい液体が彼の舌に絡みついた。

 酸味と苦みが同時に押し寄せる。


 すると 遠くで、誰かが笑う声が聞こえた。


 彼はカップを持ったまま、ディスプレイにそっと触れた。


「最重要……機密事項」


 彼は呟いて、周囲を見渡した。

 震える指をホログラフに向けて、『表示』と書かれたアイコンに押し付けた。


 そして、そっとホログラフ・ディスプレイに顔を寄せた。

 

 彼は上から下へと目を動かして、ある場所で目を見開いた。

 跳ねるように、腰が浮いた。

 デスクに両手をついて立ち上がり、口を開いて放心した。


「あ、アリサ……!」


 彼は叫ぼうとしたが、声は小さく、誰にも届かなかった。


 彼は顔を上げて、作戦室を見渡し、アリサを探した。

 副官は、顔を赤くして虚ろな目でニヴァリスを見ていた。


 彼は、彼女へ向かって歩き出した。

 しかし、足が痺れ、床の感触が分からなかった。

 手で膝を押さえると、震えていた。


「だめだ、しっかりしろ。」


 と彼は呟いて、息を吸い込み、足に力入れては……緩めた。


 そして、少しずつ息を吐き、顔に手をやり、頬を抓った。

 最後に、両手で瞼を抑えて揉み解してから、手を降ろした。



──エイドリアンは胸を張って、テーブルの方に歩き出した。



 テーブルに近づくと、酒の匂いがした。

 どこかで音楽が鳴っていた。


「諸君……ちょっと失礼するよ。アリサ、ちょっと話がある。来てくれないか?」


 エイドリアンがクルーに話し掛けると、アリサが彼を見返した。

 エイドリアンは彼女に頷いて、展望ラウンジへ向かった。


 ふり返ると、アリサが静かにテーブルを離れた。


 エイドリアンは景色を見つめながら物思いに沈んだ。

 すると、ジャスミンの香りがした。


「作戦指令ですか?」


 右を向くと、アリサが立っていた。


 エイドリアンは頷き、テーブルの方を見た。

 静かな音楽が鳴り、時々笑い声が聞こえた。


 彼は、彼女に顔を近づけた。

 すると、アリサは左の耳を彼に寄せた。


「ニヴァリスの民が、反乱を起こした。この船で鎮圧する。」


 とエイドリアンが言うと、彼女が顔を離して彼を見つめた。


 そして、「武装を……見てくれ!」とエイドリアンが囁くと、

 彼女は右手を小さく振って、ホログラフを出した。


『作戦要項:武装一覧』


 という表示が浮かんだ。


 彼女は、光る板に向けて、何度か指を近づけた。


 そして、じっと板を見つめ……そっと指を降ろした。


 彼女は、ゆっくりとエイドリアンを見た。

 彼女の瞳は濡れていた。

 エイドリアンは顔を歪め、鼻をすすった。


 彼は、展望スクリーンに体を向けて俯いた。


「まだ、使うと決まったわけじゃない。後で、話そう。」


 エイドリアンの言葉に、アリサ中佐は口を開け、言葉を飲んで目を閉じた。

 彼女は、下を向いて……首を垂れた。


 エイドリアンは、天井のドームをしばらく見つめていた。


「トッカータとフーガニ短調。バッハか。」


 エイドリアンの虚ろな声が、展望室に響いた。



──エイドリアンは、アリサの背に手を当てて、歩いた。



 テーブルの近くで、手をそっと離し、彼女を見送った。


 そして、踵を返し、自分のデスクへ向かった。

 ふと振り返ると、彼女がこちらを見ていた。


 すると彼女は、小走りで自席に戻り、ディスプレイの陰に顔を隠した。


 エイドリアンは、デスクに辿り着いて言った。


「もうこれは、立っていられない。」


 彼は、デスクに倒れ込むように座り、背を預けた。

 背当てを倒して寄りかかり、天井を見上げた。

 手で顔を隠し、静かに呼吸を整えた。


 すると、音楽が聞こえた。


「ああ、G線上のアリアか。」


 彼は、呟いて微笑んだ。


 そして呼吸を整えて、起き上がった。

 机をそっと叩き、ディスプレイに執筆用画面を開いた。

 

 罫線のホログラフィを見て頷き、右下に見える時刻を確認した。


「まだ、やれることはある。」


 エイドリアンは、人差し指を唇に当てた。


『音声入力モードを開始します。』


 と、ホログラフが女性の声で囁いた。


「指示……戦艦セレノス アリサ・ケレン中佐へ本件を共有。」


 すると、画面の右上にアリサの顔とプロフィールが表示された。


「アクセプト。」


 エイドリアンが呟くと、アリサの顔が消えて、小さなアイコンマークに変わった。 

 彼は頷いて顔をあげ、述懐を始めた。


「職員には、事前に覚悟をして頂く」


 ホログラフが、言葉を文字に変えていった。


 そしてしばらくの間、エイドリアンは指令書の口述を続けた。


 彼は、呟き……囁き……息を継いた。


 目を瞑っては、天を仰ぎ、画面を睨みつけた。

 流れる様に、文字の流砂が形を整えていった。


 そして、コーヒーカップを飲み干すと、目を上げてアリサを探した。


 すると、彼女の黒髪がディスプレイから、見え隠れしていた。

 ポンと言う音がして、ホログラフに目を落とすと、メッセージが見えた。


<<経緯についての話は、必要ですよ。>>


 エイドリアンは、ホログラフに頷いて、「了解」と短く呟いた。

 目を上げると、アリサの黒髪が少し動いた。


 彼は、指に向かって「経緯を出せ。」と囁いた。


 すると、ディスプレイが切り替わり、映像が映し出された。


「 なんだこれは?」


 彼は息を飲み、目を見開いて両手で顔を覆った。


 夥しい数の民族衣装が見えた。

 折り重なって、積みあがっていた。

 血が見えた。

 焦げていた。

 倒れていた。


 子供や女性、年寄りばかりだった。


 彼は、掠れた声を出しながら、目に涙を浮かべて言った。


「これを……俺に話せと言うのか?」


 エイドリアンは嗚咽を漏らし、デスクに顔を伏せて泣いた。



──しばらくすると、 照明が落ちた。



オレンジ色の闇が広がり、テーブルには誰もいなくなった。

しかし、アリサの席には灯が残っていた。


「バイザーをくれ。」


 エイドリアンが言うと、黒い眼鏡がデスクから出てきた。

 彼はバイザーを被り、ディスプレイを消した。

 椅子に沈み込んで、上を向いた。


 目を閉じて、耳を澄ますと、パッヘルベルのカノンが響いていた。


 音楽は静かに……夜を支えていった。


 戦艦セレノスの作戦室は、

 眼下にニヴァリスを映し出しながら、二人と共に泣いていた。



――プロローグ 異なる宇宙(了)――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る