鬼の娘

こみ上げる怒りは、到底心のなかに収められるものではなかった。


雪は立ち上がり、震える身体を叱咤して怒鳴った。


「龍胆さまを、人の命を何だと思っておられるのですか!」


「息子だよ。人もあやかしも、みな血が好きなのさ」


小娘の怒りなどではびくともしない。男は風に前髪を遊ばせ愉悦の笑みを浮かべる。


「姫よ。いい娘に育ったが、少々世間知らずのようだ。日向ばかりを歩いてきた人間のいうことそのものだな。そなたと龍胆は全く違う。――だが、そなたが知らないばかりで、龍胆とそなたは違うようで、同じなのだ。そなたの業(ごう)は、龍胆よりも深いのだぞ」


「業・・・?」


雪は理由(わけ)がわからず男を見つめる。初対面のこの男は、自分の何を知っているというのか。


しかし迷いを蹴り飛ばすように、背後の襖がものすごい音を立てて吹き飛んできた。雪は目を見開き、部屋の中を闊歩する男を見つけた。


「龍胆さま――!!」


雪は薔薇の横をすり抜け、龍胆へ抱きつく。龍胆は片手で雪の頭を撫でた。


「無事か?」


「それはあなたの方でしょう」


「すまない。少し量が多くて。刻むのに時間がかかったのだよ」


刻む・・・? 雪は龍胆の背後を見やり、息を呑んだ。


大量の妖怪の屍が転がっていた。『刻む』という表現通り、肉塊と化している。


龍胆は雪を抱いたまま、優雅に座して酒を傾ける男へ、


「お久しゅうございます。『薔薇』さま」


と声をかけた。


「なんだ。もう父と呼ぶ気も失せたか」


「あなたなど、親ではない」


龍胆ははっきりと言い放った。


「俺は世間知らずだった。あなたを神のように敬い、尊敬し、唯一神であるがごとく何でも言うことを聞いてきた。あなたが喜ぶならと手を血に染めて。あなたは国すら傾けようとする化け物であることに、気づかなかった」


「ばけもの、とな?」


・・・薔薇はことりと盃を置いた。



「龍胆。誰に口を利いている――?」



ビリビリと大気が揺れた。


この男の背後にあるものは、『死』。避けようのない『死』だ。


明確な殺意の塊が二人に襲いかかる。


雪は立っているのがやっとだ。龍胆が支えてくれなければ、腰を抜かしていただろう。龍胆も唇を噛む。だが、薔薇の『死』を纏う殺気に負けない気迫が全身からみなぎっていた。


これから起こる全てを理解した上で、この男の前に立っているのだ。


雪を支える手は、微塵も震えていなかった。


薔薇は続ける。


「誰のお陰で奉行所へ連れてゆかずにすんだ? 男娼として身体を売るところを拾ったのは誰だ? 剣を教えたのは誰だ? すべて俺だ。――俺が、おまえを立派に育て上げた『父親』だ」


「違う」


龍胆は雪を後ろへ下がらせる。刀を抜いた。


「あなたは殺し屋を育てたかっただけだ。幼子なら、疑問すら抱かず親の言うがまま人だって殺せる。俺の人生を血に染めたのは、あなただ!」


「ふっ。くふふっ!」


高らかな笑い声がした。薔薇は、袖を口に当て思い切り笑っている。


「俺に合う前から人を殺めたくせに、俺のせいにするとは。――姫よ。そなたに出会ってから、息子がおかしくなってしまったではないか。どうしてくれる」


「り、龍胆さまのおっしゃるとおりです」


雪は両手を胸の前で握りしめながら、震える声で言う。


「龍胆さまだけじゃない。まだまだあなたに操られている子どもたちがいるはず。あなたは私に世間知らずとおっしゃいましたが、日向を歩くことこそ、人のあるべき生き方と存じます。日陰を歩まれていらっしゃるのは貴方様ではありませんか?」


薔薇の笑い声が消えた。


「姫。・・・知ったような口を叩くな――!!」


雪は今度こそ腰を抜かした。薔薇の両の目は虹色の光を放ち始める。龍胆は平気なのかと雪は見つめる。


――手が、震えていた。


龍胆の身体が、震えている。幼い頃からこの男の恐ろしいところを何度も見てきたからだろう。



残虐で、無情で。優美で、底しれぬ漢(おとこ)。



雪は精一杯の力で柱につかまり、立っていた。龍胆の邪魔にならぬよう気を使ってのことだ。


薔薇は、激怒しても、美しさを損なわない。今度は優しい猫なで声で雪に語りかける。


「決めた。親不孝者の龍胆はここで散る。それを見ればそなたも、己の歩むべき道が見えてくるであろう」



――すっかり忘れ去った、鬼女としての本分を思い出すはずだ。



「鬼女――?」


雪はごくりとつばを飲む。龍胆も今度ばかりはわからぬ顔をしていた。


「まだ、わからぬか。そなたの本名は雪ではない。紅葉(もみじ)。十六夜 紅葉(いざよい もみじ)だ」


「は」



――拾い子の龍胆とは違う。



「十六夜家の長女。俺の娘だ」







(妖怪の、血の匂い・・・)


菫は普通の猫の姿になると、小梅が消えた先の廊下を、匂いをかぎながら歩いていた。


匂いはいくつかある。


妖怪の匂いが一番強いところが、龍胆の匂い。


小梅の匂い。


人間の男の匂いが二人。


(これは・・・、怪異討伐隊の男のかな? もう一人は知らない)


そして雪の甘い香りと、白檀の香の薫り。


(雪お姉ちゃんと一緒にいるやつは。この匂いは、人ではない・・・!!)


あやめを思い出した菫は、雪のもとへと一目散に駆け出す。


すると、後ろから声がした。菫の足が止まる。


「気配がすると思ったら、猫、ですか」


そのままひょいと片手でつままれ、菫は男の目線まで持ちあげられる。菫はシャーッと威嚇したが、男の異様な美貌に小さくならざるを得なかった。


菫は知っている。このたぐいの人間は、気に入らなければあっさりと首を跳ねるのだと。


男――芍薬は「ふむ」と興味深げに菫を見つめる。


菫は必死ににゃんにゃんと猫らしく努めた。


(普段なら一飲みにしてやるところだけど。雪お姉ちゃんに食べちゃだめって言われてるし)


怪異討伐隊の白木蓮の匂いが迫っている。・・・二人が殺りあったあとで喰ってやるのも悪くない。


芍薬はやがて、菫を腕に抱いた。頬ずりされて、菫はゾワッと毛が逆立つ。


「猫は、一度飼ってみたいと思っていました。ちょうどよかったです」


芍薬はそのまま、菫を連れて歩き出す。


妖怪の匂いが濃い方へ。白檀と竜胆、雪の匂いがする方角へ――・・・。






「雪の父は俺だ」


「何を、言っているの・・・?」


雪は目を丸くして、薔薇を見つめた。薔薇は自身に満ちた声色で言う。


「生まれてすぐのおまえを、身の危険を感じた母親が乳母に託したのだ。おまえが母親だと思っていたのは乳母。本当の母親はその場で自決した。俺の拷問を受けて白状しなかったものはいないからな」



――お母さんは、二人いた・・??



「なぜ、自害なされたのですか」


言葉が出てこない雪の代わりに、龍胆が問う。


「俺が、第六天魔王と契約を結んだからだ。俺は魔王に自分と、生まれてくる子どもに力を授けていただいた。紅葉――いや、雪は魔王の子ども。あやかしを魅了する美しさがあるのはそれ故。ククッ! その面差し、髪の色、俺そっくりだ」


「自分の娘でしょう!? なぜ妖怪などに!?」


「全ては『家』のためよ、龍胆。おまえを拾ったのも、穢土にあやかしを放ったのも、すべて十六夜家の繁栄のため。おまえにはわからぬだろう、朝廷で家を背負って立つのが、いかに難しいのか」



――家・・・。



雪は泣き崩れた。『家』があって自分がある。だがその繁栄のために、一体どれほどの血が流れ、多くの犠牲を出してきたのだろう。


「あ、あああっ・・・!」


かつて両親が抱きしめたり、頭を撫でてくれたことを思い出すと、涙が溢れて止まらない。


本当の母親からの愛情も、同時に感じていた。


ふわりと温かな空気が雪を包む。


(おかあさま・・・?)


自害し、もうこの世にはいないはずのぬくもり。それは亡き母の魂だろうか。ふわりと光の玉が雪には見えた。


光は雪の頬をなで、それから竜胆のもとへと飛んでゆく。


竜胆の耳元へふわりと寄り添うと、


『娘を、頼みましたよ』


涼やかな声がした。――気がした。


龍胆はハッとして光を見つめる。だがその光は雪のそばに戻ると、ふっと消えた。


「ご安心を。母上様」


龍胆は刀を構える。


「雪は、この俺が護ります」


「どうだ、龍胆。そろそろ戻ってくる気にならぬか?」


薔薇のまったりとした声が響いた。


「こっちへおいで、龍胆。この父の元へ」



竜胆は目を閉じる。



俺はもう人を斬らない。




「俺はもう、十六夜 龍胆ではない。ただの龍胆だ」


「ほう?」


「過去の罪を償いながら生きてゆく。雪とともにならできる」


「雪は俺の娘だ。力ずくで勝ち取るか?」



「あなたは、もはや人間ではない。雪の父親の資格はない」





部屋の空気が変わった。


風の音、花の揺れるささやかな音まで聞こえる。鼓膜が痛いほどの沈黙を破ったのは、薔薇だった。




「俺も息子も娘も、血の宴が好きでこまる」


刹那、薔薇は踏み込んだ。


金属のぶつかり合う音。火花が散る。鍔迫り合い。とても重たい束帯装束を来ているとは思えない速さだ。


(まったく見えなかった。反射的に防げたから良かったが)


間近で見る、かつての師匠の笑みは、敵に向かってほほ笑む狂気へと変貌していた。


龍胆はひとまず背後へ引き下がる。だが薔薇は待ったなしの攻撃を仕掛けてきた。


弟子の動きのくせ、思考など手に取るようにわかるのだ。


薔薇は言う。


「人を斬るのをやめたと申したな。ならば俺を斬らずして倒せるか?」


「っ!」


眼球ギリギリを刃先がかすってゆく。剣さばき、込められた力は、とても人間わざとは思えない。一発でもくらえば、致命傷になることは確実だった。


(こんなときに、人間をやめたことを後悔することになるとは!)


屍食鬼だったら、傷の治りも早い。だが今は人間。分が悪い、悪すぎる。



雪は、二人の戦いを目で追うのがやっとだった。


座り込んだ床の違和感に気づくのに遅れた。


「なにっ?」


ぐらりと家具が陽炎のように揺らぐ。また、あの笛の音がした。


不意に、声をかけられた。


「雪お姉さん。この部屋では戦いの邪魔になるので、退散しましょうか」


男の子の声。桃色のベールを被った男の子が一本下駄で立っていた。小梅だ。


すると、襖の向こうから、芍薬の呑気な会話が割って入る。


「にいさま。もうはじめたのですか。まさか、龍胆相手に、手こずっている、なんてことありませんよねぇ? クククッ!」


「黙れ芍薬。弟とはいえ、首をはねるぞ」


怖や怖や。芍薬は腕の中の猫を抱く。


雪はその猫を見て、(なんでここにいるの、菫ちゃん!)と声が出そうになるのを、必死に押さえつけた。


「あの、その猫は・・・?」


「やりませんよ。私の猫です。さっき廊下で拾ったのです」


「それはいいですね。たっぷり『しつけ』してやらないと!」


小梅が喜ぶ。菫だとわかっているようだった。菫はじっとり猫目で睨む。小梅は再び、竜笛を奏で始めた。


部屋が揺らぐ。姫君の私室のようだったそこは調度品が消え、部屋の壁が広がってゆく。雪と芍薬と腕の中の菫は、見物席のような場所へと追いやられる。


小梅だけを残し、決戦の場所は大きな歌舞の舞台のような場所へ移っていた。


薄暗かった室内は蝋燭の灯が灯り、昼間のように明るい。




薔薇は大きな袖を翻し攻撃する。その剣さばきは剣舞の如き華麗で優美。だが恐ろしいのは一太刀の重さにある。それは薔薇が人ではないからだろう。鬼と同じ筋力と体力を一切無駄のない動きで叩き込んでくる。龍胆は防戦一方。重い剣を受け続けた両手は、次第にしびれてきた。刀を持っているのがやっとの状態だ。


背後に飛び退っても、長身故か一瞬で距離を縮められる。龍胆は体中をかすめていった剣先で血の花びらが舞う。


小梅の笛が煽るように響き渡る。一段下に移動させられた雪は、口の中がからからになりながら、状況を見守る。今声をかけるのは気が散るだろうし、今自分にできるのは戦いの邪魔をいしないこと。・・・ただそれだけだ。


(だれか、助けて!)


雪は手を合わせて祈る。すると、猫が間延びした声でみゃおんと鳴いた。


「すみれちゃん!?」


菫はそのまま芍薬の腕から飛び降り、薄暗い廊下へたたたっと走ってゆく。


「おやおや。さすが猫ですねぇ。自由気ままです」


芍薬は立ち上がると、ちらりと戦っている兄――薔薇を見た。


「もう時期、決着がつきそうですし、私は猫と戯れるといたしましょう」


芍薬は雪を置き去りに、ふわり髪をなびかせて菫の跡を追っていった。


(菫ちゃん・・・。なにか考えがあるの?)


雪はそちらも気になったが、やはり龍胆のもとへ残った。今、自分がうろつけば、気が散るだろう。極限の緊張感の中、一瞬でも気を抜けば龍胆は斬られる。血の海に沈む。




ふと。


劣勢だった竜胆が、急に薔薇の間合いへ踏み込んだ。


――ザクッ!!


薔薇の胸元から朱の花びらが散る。


!?


龍胆の目は、らんらんと狼の如き青い目に変貌していた。


薔薇は驚きに目を見張る。その隙を龍胆は見逃さない。


返す刀でさらなる斬撃を叩き込む。薔薇はそれを受け止めた。――薔薇の手が、攻撃の重さに耐えかね、震えていた。


「ふっ」


薔薇は初めて背後へ引き下がる。斬られた腹、しびれた手をもう片方で包み、珍しいものを見たように龍胆へ笑いかけた。


「刃こぼれができてしまった。初めてのことだ・・・」


雪は龍胆を見る。あっと息を呑んだ。


じわり墨汁を洗い落とすように、髪の毛の白い部分が増えてゆく。毛先だけ灰色を残し、龍胆の髪は白雪の如き真っ白に染まった。白いまつげ、血色のない頬、骨が浮き出た躰――。


「屍食鬼に戻ったか」


薔薇は微笑する。愛弟子の変貌ぶりさえ愛でているようだった。


「時間がきたようだな。雪の口づけで戻れるのは一日だけか」


「俺の雪を盗み見るな、下衆が」


龍胆は、もはや敬う心を捨てたようだった。らんらんと光る鬼の瞳は、薔薇の一挙一動を観察している。



龍胆はようやく、笑みを浮かべた。




――残忍に。それから、ひどく楽しげに。

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