十六夜龍胆の過去 弐
*軽度の流血表現があります。
眼前の血塗られた景色。血まみれの惨殺死体。
殺しに慣れていない幼い龍胆は、己の血か敵のものかわからぬほど真っ赤に頬を汚していた。
『・・・おとうさま』
龍胆は呼ぶ。
父が喜ぶことなら、なんでもしたい。
『龍胆、よくやったなぁ』
薔薇はふらりと立ったままの龍胆を引き寄せると、衣が汚れるのも構わず抱きしめた。
(おとうさまの、におい・・・)
鉄臭い血の匂いは、簡単には洗っても落ちない。高価な白檀の香は、吸い込むと安らぎを与えてくれた。
『龍胆や。次の仕事があるのだが、やってくれるか?』
――仕事とは、暗殺を意味している。
『・・・承知、仕りました』
龍胆は腕の中でこくんと頷く。薔薇は龍胆を抱き上げ、いい子いい子と子守唄を歌った。幼子は父の衣をぎゅっと握りしめ、眠りにつく。そうしていれば、龍胆は空っぽの心がすこし満たされたのだ。
龍胆の両親は、ひどい親だった。
ろくに飯もくれない。泣けば棒で嫌と言うほど叩かれる。殴る蹴るは日常茶飯事。
そして、ある日、とうとう龍胆は男娼に売られた。
年端もいかない子どもばかりが集められ、客の相手をさせられる。そこが何をする場所なのか知ったとき、龍胆は絶望した。
親からの愛情は、微塵もなかったのだ。
最初の客は、龍胆に似合うからと花かんざしをくれた。
抵抗しても大人には叶わない。
だが、髪にさしたそれは、気がつけば素っ裸の客の喉にズブッと突き刺さっていた。
龍胆は乱れた女物の着物をたくし上げ、血まみれの顔で、その場から逃走した。
子供の足とは思えぬほど早かった。
夕方になっても捕まることはなかった。湿気で苔むした神社の境内の下に潜り込み、息を殺して膝を抱える。
やがて夜になり、淡い月光が神社に差し込む。
荒い呼吸がようやく静まったとき、龍胆は自分がやったことにはじめて向き合った。
『人殺し!!』
必死に逃げていたから気が付かなかったが、背後から何度もそう呼ばれた。
人殺し。
バケモノの子。あの歳で人を殺めるなんて。
龍胆は血に染まった竜胆の花かんざしを見つめ、恐怖に震えた。ろくな親ではなかったが、人を殺めた罪の重さは教えられていた。かんざしを投げ捨てる。
ふと、衣擦れの音がした。
どうやら、参拝客が来たようだ。龍胆は境内の奥に、砂だらけになりながらモグラのように隠れる。柏手の音が響き、しばしの間、静寂が訪れる。
参拝者はふと、かがみ込むと、階段に投げ捨てられた花かんざしを拾った。
『竜胆の花かんざし、か』
男の声。先程殺した客を思い出し、子どもは震える。男は血まみれのかんざしにも関わらず、動じなかった。手のひらで弄ぶ。
『美しい花にはトゲがある。俺はな、そのトゲを狂気と呼んでいる』
何を言っているのだろう。血まみれの子どもは男の着物の裾を見つめた。一般人ではなさそうだ。鹿革の靴を履いている。
『人は誰しも、心の何処かに狂気を秘めている。表に出すかどうかの違いだけだ。そこに罪はなく、すべてが人間のあり様なのだよ』
なあ、ぼうや。そうは思わないか?
捕まえる気はないらしい。男の美声には、子どもでさえ安堵させる魅力があった。龍胆はおずおずと境内の下から這い出た。
ちょこんと立って、長身の男を見上げる。
『ほう。これはまた・・・、美しい拾い物ができた』
男はこどもの血まみれの顔を手巾でぬぐう。
『朱の花びらがよく似合う子どもだ・・・。育てがいがある』
名はなんだと尋ねられ、こどもは首を振った。親が名をつけていないのだ。
男はしゃがむと、子どもと視線を絡ませる。拾った、血にそまった竜胆の花かんざしを髪にさした。
『龍胆。今日からおまえの名前だ』
『りんどう・・・』
今日から、我が家(いえ)の子とする。
それが、薔薇と龍胆の出会いだった。
豪華な風呂。ごちそうの山。
それでも龍胆が笑うことはなかった。
食事は喉を通らない。食べては吐くを繰り返す日々。体は痩せ、栄養状態が悪かった。
大きくなっても、龍胆の手は朱色の花びらに染まり続けていた。
薔薇が拾ってくる子どもたちは皆、何かの役目を与えられていた。
手を汚すもの。隠蔽するもの。呪術を操るもの。様々だ。
薔薇は龍胆が大きくなっても、変わらず抱きしめてくれる。
『おまえが何をやってもこの父が許してやる。おまえは自慢の息子だ』
やがて、朝廷の中での十六夜家の地位が安定すると、その狂気の矛先は幕府へ向かう様になっていった。
――今の幕府では、国が乗っ取られる。幕府に取って代わらねば。
龍胆は十六夜を名乗ることを許された。
その狂気を背負うものとして、怪異討伐隊の隊長に選ばれた。
薔薇の息子として。
・・・忠実な『犬』として。
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