第13話 それはきっと、青色の恋
*流血表現があります。苦手な方はお控えください。
龍胆が向かったのは、椿の咲き乱れる庭園だった。
真っ赤な花びらは女の唇のように赤い。
「いい香り・・・」
雪は龍胆の腕から降りると、深く息を吸い込んだ。地面にはふかふかの雪が積もっている。
「所有者の金持ちが、庶民向けに開放しているんだ。・・・雪に椿は映えるね」
うまいことを言う。龍胆は得意げに胸を反らす。昼どきだからか人は少なく、貸し切り状態だ。
雪は目を輝かせ、椿を見て回る。白い振り袖を翻す姿は微笑ましい。
「あら?」
そんな中、雪はめずらしい一輪を見つけた。
(青い椿・・・?)
世にも珍しい。青い椿が一輪だけ咲いている。
思わず、雪は走り出した。
「まて、雪。はぐれるぞ・・・!」
龍胆は手を伸ばす。
その時だった。
背後に殺気を感じた。
「人斬りともあろうものが、僕ごときに後ろを取られるとは。ずいぶんと腑抜けになったものだ」
ドンッ!!
「――ぐ、あ・・・っ!?」
龍胆はごぼっと口から血を吐いた。
餓鬼が、片手で鋭く龍胆の胸を刺し貫いていた。
「さっきの花は・・・?」
雪は辺りをきょろきょろ見渡した。花が逃げるはずないのに、どこへ消えたのか。
「きれいだろう。僕のとっておきの花だ」
不意に、男の美声が響いた。
帽子(ハット)をかぶった美男。着流しをさらりと着ている。
青い瞳はギラリと光った。
餓鬼だ。
垣根からあらわれると、瞬間、雪を抱きよせた。
――!?
雪はいきなりのことについていけない。男は構わず、濡れた瞳でゆっくりと問うた。
「まずは君を消毒しなければ。あの男に何をされた? 一週間もいっしょにいたんだ。接吻だけではないはずだよ?」
――さあ、教えて?
その眼はぎらぎらと獰猛な獣のようだった。血で汚れた右手が目に入る。
「その手は・・・!」
雪は叫ぶ。嫌な予感が汗となって滑り落ちる。
餓鬼は笑う。
ふと。――茂みが音を立てた。
巨大な黒い影が餓鬼目掛け飛びかかってきた。
大きな黒猫だ。
男の手にがぶりと噛みつくと、右手を引きちぎった。
「おっと!」
男はさして痛がる様子もない。雪は猫にくわえられ、間合いから外れた場所へ降ろされた。
「くろちゃん? どうしてここに・・・?」
大きな猫又は、雪の友達だった。
真冬でも凍死せずに澄んだのは、この猫が温めてくれたからである。
「・・・ふん。死んだ飼い主の敵討ちか?」
男は噛みちぎられた腕を気に留める様子もなく言った。
「飼い主の血をすすって百年もの間、僕を殺すために生き延びたとは。・・・だが時とは残酷なものだな。今では死体を喰う火車にまで成り下がっている」
男はニヤリと笑う。
「その猫もあの男も。――雪。君の周りは揃いも揃って人殺しばかりだ」
刹那、男は間合いを詰めた。
猫は素早く反応する。男の首を噛みちぎろうと口を開けたが、男の動きの方が速かった。
剛腕で腹をえぐるように強烈な突きを放つ。
哀れ、猫は勢いもそのままにふっとばされた。
変怪が溶け、もとの普通の猫へと戻る。
「ああっ!!」
駆け寄ろうとした雪の肩を男はつかみ、引き寄せる。
「まだ僕の質問に答えていないよ、ゆき」
震える雪の頬に手を添え、ぐいっと顔を近づける。
「さあ、言え。どこまであの男に許したっ!?」
雪は涙に濡れる顔で首を振る。今どう答えても、男の逆鱗に触れるだろう。
男は舌打ちすると、めきめきと牙を生やした。
「や、やめて・・・っ!」
構わず、雪の襟をくつろげ、首筋をあらわにする。噛みつくつもりなのだ。
(たすけて・・・!!)
もともと病弱な体。朦朧とする意識の中、雪は雪の舞う灰色の空を見上げる。
涙が頬を伝う。次に来るであろう激痛へ体が身構える。
ふと。頭の中で、懐かしい声がした。
『雪。――俺は旅立たねばならなくなった。だから、この村に残って、幸せになるんだ』
(これは・・・、龍胆さまの声?)
固く絡み合った糸が解れる。
するすると記憶の糸が紐解かれる。
そうだ、わたしは。
あの人に恋をしていた。
髪が真っ白になった彼は、驚かせてしまうからと目をつぶってしまった。私の前からいなくなった。
出ていく直前、彼はわたしを村人に託して。
わたしが病に冒され、寝込んでいたから。
『ゆき、待ってる。龍胆ちゃんのお嫁さんになるんだから。だから絶対、用事が済んだら迎えに来てね』
そう言って、わたしは。
彼の唇に、泣きながら自分の唇を押し当てたのだ。
(・・・どうして忘れてしまってたんだろう)
あの人は約束を守ってくれていたのだ。
私は、わたしには。
名を呼べるひとが、いる。
「龍胆さまぁ・・・っ!!」
震える声で名前を呼ぶ。うまく呼べたかわからない。
でも。
「――っ!!?」
気がつけば雪を拘束していた腕は解かれていた。倒れ込むようにしてよろめく体を受け止めたのは、約束を守ってくれたひと。
律儀な、鬼さんだ。
おずおずと見上げれば、彼の唇は吐き出した血で真っ赤に汚れていた。
「ああっ!!」
雪は目を見開く。龍胆の胸にはぽっかりと空洞ができている。
「っ! ――はぁ、はぁ・・・!!!」
刀を杖のように地面に突き立て、片膝をついている。そんな状態でもなお、雪を抱きしめて離さない。
「・・・無事か」
落ち着いた声色で龍胆は問う。
顔は血だらけなのに。胸に穴を開けられているのに。
「っ」
雪はもう何も言えない。返事のかわりに抱きつく。深手をおった彼を護らねばならないのに、情けないほど両足はすくんで動けない。この腕の中はこの世で一番安全な気がした。
「また僕を殺しに来たのかい? 人殺しめ」
ぞっとする艶めいた声が響いた。餓鬼がゆらりと立ち上がっている。
龍胆は汚れた唇でふっと笑った。
「それはお互い様だろう。色狂いの殺人鬼」
「人殺し・・・? なんのこと?」
雪は交互に餓鬼と龍胆を見る。
「おや。話していなかったのかい? ――雪。その男は人斬りだ」
雪はひゅっと息を呑んだ。
「・・・え?」
時が、止まった気がした。
「もう何百人も殺してる。その中には女子供も含まれているだろう。幕臣に雇われ、政敵の粛清を行っていた、幕府の犬さ」
――何を言っているのか、わからない・・・。
雪は呆然とした。瞳から、光が失われていく。
まさか・・・。わたしの両親を殺したのは――・・・・・・!?
「まどわされないで。雪おねえちゃん」
あどけない声。雪ははっと我に返った。
菫が、這いつくばりながらこちらへ笑いかけていた。
「菫ちゃん!? どうしたのその傷は!!」
雪は化け猫の正体が菫とは知らない。慌てて、何度もつまずきながら駆け寄る。
膝に抱きかかえると、菫はすり・・・と頬を寄せてきた。
「りんどうさん、ぼくにはなしてくれたよ。むかしわるいことしてたって。それはいいわけしないって」
「――」
「でもね、ちかって、ゆきお姉ちゃんだけは泣かせたりしないよ?」
「う」
雪は口を抑えた。涙がぼろぼろとあふれる。菫の傷ついたほほを濡らす。
「そのとおりだ」
ふと、龍胆の声がした。
彼はぐぐっと、ゆっくり立ち上がる。体からはぼたぼた血が滴り落ちる。
雪に散った椿の花びらと、彼の血が合わさり、残酷なほど美しい。
「俺はかつて人殺しだった。今は人間の死体を喰うバケモノだ。――昔となにも変わってない。・・・変えられなかった」
十年前。花散里から雪を連れ出し、龍胆は薬売りを始めた。
職業柄、傷の類には詳しい。生計を立てることができた。
雪と親子のように過ごした。
飯を炊き、風呂に入れ、同じ布団で眠る。
雪が徐々に声が出るようになったのが嬉しかった。
飯がうまいとおかわりしたことも嬉しかった。
――人を斬る以外で自分を必要としてくれるちいさなぬくもり。
あたたかい涙を流したのは初めてだった。
だがその日々も、終りが来る。
ある日突然、この男が現れたからだ。
玄関の戸を開けた刹那、龍胆は袈裟斬りに斬られた。
長らく続いたぬるま湯で、すっかり油断していたのかもしれない。男の纏うかすかな殺気に気づいたときには、体から血が吹き出していた。
「やあ。僕の雪をよくもさらってくれたね?」
殺人鬼はそう言って笑う。その場に倒れた龍胆に馬乗りになり、その背を執拗に何度も刺す。
(おれ、は。・・・ひとを殺すわけにはいかない・・・!!)
――お前さん、あと一人でも人を殺せば、鬼になってしまうよ。
坊主の言葉がよぎる。
龍胆は知らなかった。
『殺す』以外に、この男を止める方法を。
・・・やがて、動かなくなった龍胆を死んだと思ったらしい。男は体を起こす。
「――さて。僕の雪はどこかな?」
そういって、揉み手する。
龍胆の中で、なにかが弾けた。
(すまない。――雪)
油断した男の手から、刀を奪い取る。
(俺は、結局、変われなかったよ)
流れるように、なんのためらいもなく。
龍胆は刀を振り下ろした。
「俺は今あのときに戻ったとしても、必ず貴様を斬っていた」
龍胆は、にやりと笑った。
「りんどう、さま・・・」
雪はぽろぽろと涙を流した。
知らなかった。彼は、隠し事ばかりだ。
(でも、そうさせてしまっているのは、わたしなの・・・?)
雪は餓鬼と龍胆を見つめる。両者とも満身創痍。餓鬼は右手を菫に食いちぎられている。龍胆は胸の空洞が塞がらない。
椿の花の甘い香りが漂う。
そして、そのときは訪れた。
互いに踏み込む。
もと人間だった者同士の、鬼の一撃は壮絶だった。
龍胆の刀は餓鬼の腕を粉砕すると、そのままの勢いで体を真っ二つに切り裂いた。
餓鬼は眼を見開く。
「ガッ・・・!」
うめき声を上げ、膝をつく。切り離された上半身は地に投げ出される。
そしてそのまま、動かなくなった。
僕だけを見てくれるひとはいなかった。
母親からの愛情は薄かった。
心にぽっかりと穴が空いたまま、時はすぎる。
そんなとき、好きな人ができた。黒猫を飼っていた村娘だ。
でも、彼女は僕を好きになってはくれなかった。
君がほしい。
君の目にうつるのは、僕だけでいい。
気がつけば君は、僕の腕の中で冷たくなっていた。
――死んだ君の瞳にうつる僕。やっと、僕を見てくれたね。
でもなぜか、君は人形のような顔をしていた。
まだたりない。
君の存在を知っているのは、僕だけでいい。
だから家族を殺してみたけれど。やっぱり気が晴れない。
――生きている君に、僕を見てほしかったのか・・・?
餓鬼は――俗名あやめは、首をひねる。
遠くで菫を抱く雪を見つめた。
『あなた、あやめっていうの?』
僕をはっきりと見て、こちらへ歩み寄ってきてくれた素敵な女の子は、君だけだった。
「ゆき・・・」
最期に、僕を見てくれないか?
「それはできない相談だ」
どんっ、と脳に衝撃が走る。
龍胆が、その眼球ごと突き刺し、とどめを刺したのだ。
「雪の目にうつるのは、俺だけで充分だ」
俺もお前と変わらないのかもしれない。
雪を愛したこと。
愛し方が違っただけ。
「――だが俺は、雪を悲しませない」
それだけが、違うところだと。
いつか、君に胸を張って言える日が来ることを願う。
人殺しの俺。
罪を償う事もできず、鬼になってしまった俺。
雪を幸せにできないのに、側にとどめおく、勝手な俺。
「龍胆さまぁっ!!」
雪が飛び込むように抱きついてくる。
よろけ、それを受け止めきれずに、尻餅をついた。
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