夏のせい(四)

「ねえったら、私を助けてよ」

 炎天下か、酔いのせいで幻聴が聞こえたようだ。最初はそう思った。

 しかし、青いカニがすいすいとぼくに近寄ってきて、「もう、聞こえているんでしょ」とはさみでサンダルを突っついた。痛いというよりもこそばゆかった。

 ぼくがどうしたものかと逡巡していると、「あっ、青いカニさんだ」という男の子の声が背中から聞こえた。振り返ると、母子づれがこちらを見ていた。母親はぼくと視線が合うと、軽く会釈した。ぼくも反射的に頭を下げた。

 「ねえ、つかまえていい」と子供は言ったが、母親は頭を横に振って、「だめよ。はさみが大きすぎる。危ないわ」と言った。「大丈夫だよ」と子供は興味津々といった声で応じた。小学校一年生くらいか。私には母親がいなかった。こういうふうに、子供時分にちゃんと育てられていれば、こんな人生を歩まずにすんだのかなとちらりと思った。

 すると、ぷかぷかと浮いていたカニが「それはどうかしらね」と言った。思わず、「えっ」とぼくが言うと、その雰囲気から怪しいものを感じとった母親は、息子の手を引いて、「さあ、行きましょう」とどこかへ行ってしまった。

 母子がいなくなったあと、「テレパシーというやつかい」とぼくが心で念じると、「そうよ」と答えが返って来た。「でも、声に出して言ってもらったほうが聞き取りやすいわ」とのことだった。

「もう、いいでしょう。細かい話は、あなたのお家でしましょうよ。あっちにバケツが落ちているわ。それを拾って、私を入れて頂戴。それで帰りに水槽のセットを一式買ってよ。それくらいの余裕はあるわよね」

 ぼくは「ああ」とうなづき、カニの言う通りにしてみることにした。それはカニに興味があったからだろうが、ちがうかもしれないともちらりと思った。すこしもやもやしつつ、ぼくはバケツを拾うために、カニに誘導されながら、水辺を歩いた。

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