化け物に恋をする~この恋は互いを傷つけあうことでしか成しえない~
月星 星那
第1話 出会い
昇降口の掲示板には、新しい名簿の紙がまだ湿気を含んで貼られていた。 人だかりの中心では、誰かが叫び、笑い、押し合っていて、たくさんの色で溢れている。
そんな人だかりの中、一人の男子生徒が自分の名前を探していた。
「えーっと、淡河は……あった」
二年三組四番
その男子生徒は黒色の前髪を伸ばし、青と藤色の間のような淡い色の目を半分隠してた。そのせいでどこか暗い雰囲気を漂わせていて、まるで他人との境界線を、視線だけで引いているようだった。
そして、自分の名前を見つけた後も周囲の賑やかさに馴染もうとすることもなく、彼はただ、張り紙を見ていた。しばらくして、自身と同じ三組の下の方に一つの名前を見つけ酸草
二年三組三十番
その名前は斎理にとって唯一の親友であり、学校でたった一つしかない居場所だったからだ。
「あっ、斎理、同じクラスだな!今年もよろしく!」
その親友、三枝紡が声を掛けてくる。紡は斎理とは対照的にやや明るめの焦げ茶の髪、琥珀よりの茶色の目をしていて、」明るい雰囲気を醸し出している。また、斎理とは違い、親しみやすそうな笑みを浮かべているため、他人から見ると何故その二人が親友なのか分からない。
「そうだね、これからもよろしく」
「あれ?元気がない、どうかしたのか?」
「ちょっと調子が悪い、ここは鮮やかすぎるから」
「そっか、それじゃ教室に行こう」
斎理は、小さく頷いた。昇降口を離れるその瞬間まで、斎理の視界には“色”があふれていた。笑い声に橙、ぶつかる肩に赤、嘆きの声に青。人の群れが発する感情の濁流に、彼の脳が軋んでいた。
「大丈夫か?」
「うん、平気ではないけど慣れてるから」
教室までの廊下も、普段より鮮やかに染まっており、斎理の頭を苦しめていく。やはり、この日は苦手だ。毎度、紡と離れることに怯えることになるし、そうでなくともいつもよりも鮮やかな感情に苦しめられるだけだ
。
そう、 斎理にとって、感情は視界に浮かぶ“色”として知覚される。
怒りは赤。悲しみは青。希望は淡い黄緑。 それは誰かの発した言葉や動きに混ざって、空気を染めながら溢れてくる。廊下を歩く生徒たちが笑い、誰かが冗談を言えば、あたりは一瞬で橙に包まれた。
だが、それは騒がしさの中では美しくない。 斎理にとって、感情とは“視える騒音”であり、逃れられない重さだった。それに、感情が見えるということによる苦しみはそれだけではない。
それは、偽りが視えてしまうということだった。誰かが笑えば橙が広がる。だがその橙が、表情から滲んだものではなく、言葉の裏にある不安と義務感のような“偽色”だと、斎理には分かってしまう。
そのため、紡の存在はありがたかった。紡はいつも明るい色に見えていて、偽りなど存在していない。さらに。感情が見えることも理解していながらも、一緒にいてくれる。だけど、完璧な救いになっているかと聞かれてしまうと、悪いけどそうとは言い切れない。
僕は我儘だ。こんなにもいい親友を持っているのに、まだ救いを求めてしまう。
その時だった。
廊下の向こうから、誰かが近づいてくる気配がある。 ソレは笑い声にも、ざわめきにも、何一つ混ざっていなかった。
色が、視えない。
視界の一角だけが、まるで“反射しない空気”になっていた。視えているはずの感情の全てが、そこには無く、そこにあるのは虚無だけだ。そこにあるはずなのに何もない。つい足を止めてその人物を見てしまう。
機械的な灰色の目、中性的に見える灰色のショートカット。制服の着こなしも、人間らしさを模倣しただけのように整っている。
“彼女”が近づくたびに、周囲の色が退いていく。笑い声が消えるのではない。色が反応しない。まるで世界が彼女を認識できていないかのように。
そして、その人物は最初から斎理のことなんて見えていなかったように、何事もなく横を通りすぎていく。だけど、その虚無に惹かれ、彼女を目で追ってしまう。こんなことは初めてだった。いつもは色を見たくないから、髪で目を隠しているのに。
そうして、彼女が消えるまで目で追っていると、立ち止まっていることに気が付いた紡が心配そうに声を掛けてくる。紡の声が届くまで、斎理はその“無色”の残滓に囚われていた。
「斎理……? どうした?」
「いや……さっきの人って知ってる?」
「さっきの人?……ああ、
紡の声に反応して、斎理はゆっくりとまばたきをした。親友はあの人について知っているようだ。
何かが心の奥で沈殿する。 それが恐怖なのか、興味なのか、はたまた全くの別の何かなのか、それは斎理にもわからなかった。 ただ、確かに“何か”が、彼の世界に静かに降りてきたのだった。
「どんな人なの?」
「どんな人って……うーん、俺も友達に関りが無くて友達に聞いたくらいにしか知らないけど、普通の美人って評価だったぞ。斎理が他人に興味を持つなんて珍しいけど何かあったのか?」
斎理の心は、言葉よりも早く動いていた。
“普通”――その形容に違和感を覚えずにはいられなかった。確かに美人という評価は正しいと思う。機械のように整った顔立ち、しっかりと手入れされている滑らかな肌。でも、それは外見だけの評価だ。
あの女性には色が無い。今まで散々僕を苦しめてきたあの色が。彼女の周りにあるのは、見る人すべてを引き込むような虚無であり、それを普通と称することは誰であってもできないはずだ。
「あの人、色が無かったんだ」
「色って感情の色のこと?そんなの初めてじゃないのか?」
「うん、今までそんな人を見たことないよ」
「へー、それじゃ白峰さんって人は感情が無いのか?でも、友達は笑っている顔も美しいって言ってたし……」
笑っていた?それって感情が存在しないと出来ないことだよね……。それだと何で色が見えなかったのだろう。後、そんなことより……
「……さっきから思ってたけど、何で白峯さんの評価を知っているの?」
「なんか布教って言われて散々聞かされたから」
「うわっ……」
斎理は思わず息を漏らす。
「布教って……何それ、怖いんだけど」
紡は苦笑しながら肩をすくめた。
「ほら、たまにいるじゃんか。そういう人たちが勝手に盛り上がっててさ」
へー、僕には紡しか友達がいないから分からないや。だけど、普通って評価はおかしいと思うんだけどな……。まぁ、いいや。これから関わることは無いと思うから考えても意味無いし。
そうして、斎理は白峯のことを頭の隅に追いやって、また教室の方に歩き始める。それでも、まだ後ろ髪を引かれるような気がしたけれど、きっと気のせいに違いない。この胸のざわめきも。
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