第2話 出会い2
そうして、二人は教室につき先生が来るまで話していた。あいにく、紡には友達がいたが、僕には友達なんていないため、誰が来たところで盛り上がることは無い。
「そういや、白峯さんが同じクラスだったらどうする?」
話していると、急に紡が白峯さんのことを話題に出してきた。どうするって何なんだ?もし、同じクラスになったとしても、僕が関わることなんて無いのに。
「どうするも何も、僕なんかが関わることなんて無いよ」
「そう悲観的になるなって、もしかしたら、関わるようになるかもしれないぞ。例えば、同じ委員になったりだとか」
確かに、そんなことになれば関わったりするのかもしれないのか。だけど、何となく白峯さんはクラスの中心になるべき人物ではないと思う。どちらかというと……って、さっきから何なんだ。何でそんなに白峯さんのことを押してくるんだ。
「あのね、今日の紡はおかしくない?何でそんなに白峯さんのことを押してくるの?」
「いや、斎理が他人に興味を持つなんて初めてじゃんか。それが女子だとしたら初恋しかないでしょ」
はぁ、そんなことを思っていたのか。全く、僕はそんなのはしてないのに、ただ色が見えなかったことに興味を持っただけだ。
「はいはい、今日はもう話さない」
「ごめんって、謝るから許して」
斎理は机に肘をつき、頬杖のままゆっくりと目を伏せる。紡の言葉が冗談だったとしても、自分の中であの“無色”を初恋と呼ばれたことが心の中に深く根づいた。一体、この感情は何なんだろう。自分自身の色は見えないから、それが何なのか分かりっこない。肝心な時には使えない力だ。
そんなことを思っていると、教室のドアがガラガラと小さな音を鳴らして開いた。それに気づいて目を向けてみると、そこにはあの時に見た無色があった。もしかして……。
「ははっ、本当にこんなことがあるんだな」
「……うるさい」
紡はくすくすと笑いながら、斎理の反応を見ていた。
斎理は、静かに目を戻す。その無色は、確かにあの時と同じものだった。だけど、少しばかりの違和感を持つ。この感情を見る力では全く同じように見えるのに、あの機械的な灰色の目に感情のようなものが宿っているのだ。
色が無いのに感情がある。その矛盾に悩まされていく。
「ねぇ、さっき見た時はあんな感じだったっけ?」
「ん?色が見えるようになったのか?」
「いや、色は同じなんだけど、別人のような気がするんだ」
「そうか?俺には同じように見えるけど」
勘違いなのかな?まぁ、それはそれでかまわないし、同じクラスになったからと言って、これから絶対に関わるというわけではないから、そんなに気にするようなことでもないと思う。
そんなことを考えていると、もう一度ドアが音を立てながら開いていき、黒髪の眼鏡をかけた優しそうな男性が入ってきた。その男性の色は優しくて暖かい色であり、他人のために動けるような人物であることが理解できる。
「さぁ、みんな席について。私は今日からこのクラスの担任となる鷹田です。これからよろしくお願いします」
その人物は教室に入ってきて、教壇の前に立ち、生徒たちに目を向けた。
その目には曇りがなく、誰に対しても平等な温度を注いでいるように見える。斎理の視界では、淡い橙と黄緑が混ざり合い、周囲の空気をふわりと包み込んでいるように見えた。
「お、やった。今年の担任は鷹田先生だ」
「やったって言うことは良い先生なの?」
「そうそう、この学校でもトップクラスに生徒と向き合ってくれる先生なんだ」
「へー、確かにそんな色をしている」
確かにあんな優しい色をしている人ならば、生徒に人気になるのは当然のことだろう。それに、前の担任とは違って、この先生の色は濁っていないから、あまり苦しくない。
「おーい、そこ。自分の席に座ろうか」
「げっ、それじゃ俺は自分の席に行くよ。またな」
「うん、また次の休み時間に」
そうして、紡が自分の席に戻っていく。その足取りは軽く、良いことがあって喜んでいるように見えた。色を見ても、嬉しい時の色をしているため、それは間違っていないだろう。まぁ、紡はいつもそんな色をしているけどね。
そして、また先生が話し出す前にちらっと席に座っている白峯さんの方を見てみた。白峯さんは先生のことを見ても、何も思わなかったのか、その無色が色づくことはなく、何も変化が無いように見えた。しかし、それは色の話であり、先ほどまで感情があったように見えた目が、また機械的に感じられるような目に戻っていた。どうしてそのような目をしているのだろうか。
「――ということなので、高校二年生はクラス活動や行事の運営にも積極的に関わってもらう予定です。まずは自己紹介から始めて、次に委員決めなどを行っていきましょう」
そんなことを始めると自己紹介が始まってしまう。前の人から次々と終わらせてしまい、気づけば僕の番になってしまっている。どうして僕の苗字は淡河なんだ。さすがに「お」は早すぎるでしょ。
そうして、斎理は慌てて立ち上がりクラスの人達に向けて自己紹介をしていく。
「淡河斎理です。えっと……趣味は家で本を読んだりすることで、これから一年間よろしくお願いします」
少しの沈黙の後、クラスメイト達は拍手をしてくれる。しかし、斎理にとってそれは苦しいことだった。何故なら、そのクラスメイト達は義務感で拍手をしていることが色で分かっており、その濁った色が目に深く刻まれていくからだ。
この教室の中でそんな色をしていないのは、優しく暖かい色の先生と親友の紡、他人の自己紹介なんて興味が無いようにずっと本を読んでいる女子生徒と、無色の白峯さんだけだった。さすがに先生や親友、そして無色という例外の白峯さんまでとはいかないけれど、本を読んでいる女子生徒のような対応の方が、僕にとっては楽なんだけどな。
――それにしても、まだ白峯さんは機械的な目で僕を見ていたよね。いったい、あれは何なんだろうか。
そんなことを考えていると、次は白峯さんの番になり、その機械的な目に感情を宿らせて立ち上がった。だけど、やっぱし無色のままであり、その異常性に目が行ってしまう。
「白峯虚凛です。これからの一年間よろしくお願いします」
白峯さんの自己紹介に特筆すべきことは無く、簡潔に終えていった。周囲の拍手が起きる。橙と灰が入り混じる、義務感の色。誰もが形式に乗っただけで、彼女に触れようとしない。それに対して、虚凛は顔色も目の色も変えず、ただ静かに席へと座っていく。
それは今までの人物と同じであり、白峯さんのことを気にかけず、次の人へ順番が回っていく。それは、誰も白峯さんの異常性に気が付かなかったということの証明だった。
自己紹介をするとき、誰であっても、あの紡さえも緊張の赤や、不安の灰などが浮かび上がるのに、白峯さんは自己紹介する時でさえ無色だった。このことから考えると、白峯さんには感情が無いと思うかもしれない。だけど、白峯さんの灰色の目には確かに緊張などといった物が含まれており、それが、斎理にとって最も理解しがたいことだった。
感情が有るのに色が見えない、そんな人物がこの世にいるのだろうか。もし、そのような人がいれば、ずっと楽に接していけるかもしれないな。
そして、自己紹介が一通り終わり、静まり返った空気が教室に落ち着きを与える。鷹田先生は一度クラス全体を見渡すと、優しい声色のまま、話題を切り替えた。
「じゃあ次は、学級委員を決めていきます。立候補者は前にも書きに来て下さい」
「えー」「めんどくせー」「ねぇ、風紀委員をやろうよ」「オレ、体育委員をやりたい!」「俺も!」たくさんのざわめきと共に、視界が多様な色に染まっていく。明るい黄色の期待。濃い青の義務感、灰色のため息、僅かな紫の逃げたい気持ち。視界はまた騒がしい。
そうして、しばらく時間が経つと、白板にある委員長と副委員長以外の全ての欄が埋まっていた。まぁ、その二つが余るのは理解できる。特に委員長なんて責任感に押しつぶされる可能性があるから、誰もやりたがらないよね。
「後、委員長と副委員長が残っているけど、誰かやりたい人いるー?」
鷹田先生がいつまでも埋まらない白板を見て、生徒たちに声を掛けていく。しかし、それに対する生徒たちの反応は「えー」や「委員長はな……」という反応しかなく、誰も立ち上がろうとしていなかった。こういう時に紡は立候補するのだが、とっくに体育委員の座を勝ち取っていて、それが出来ない。
そのせいで、教室の空気に微かな停滞が生まれる。みんな誰かやれよと押し付け合うような雰囲気を出しており、視界が黒く染まっていく。――ああ、この色だけは本当に駄目だ。この色だけは……本当に。
その時、目の前にと無色が通り過ぎた。
「えっ?」
白峯虚凛が静かに立ち上がり、黒板の前へ向かって歩いていく。無色のまま、感情も熱もない足取り。周囲の黒が彼女に触れず、むしろ彼女の進む先から色が退いていく。その無色は、透明なはずなのに星のように輝いているように見えた。
そして、白板の前に辿り着き、委員長の欄に綺麗で整っている字で――白峰虚凛――と書いた。その文字を見た瞬間、自己紹介の時と異なり、クラスメイト全員が心からの拍手をし始めた。
視界が喜びや安堵の緑と黄色に包まれて、先ほどまでの黒色は綺麗さっぱり消え去っている。その光景を見て、斎理は白峰さんに救われたように感じていた。ただでさえ、無色というのもあり、救いになっているのに、この黒色も消してくれるなんて、これ以上ないほどの救世主だ。
「はい、これで委員長は決まりました。次は副委員長をやりたい人ー!」
しかし、盛り上がっていた空気も、先生の次の一言のせいで落ち着いてしまった。決まったのは委員長だけであり、副委員長はまだ決まっていたからだ。
だけど、さっきまでとは違って黒色に包まれてしまうと言う事はなかった。それは、白峰さんが委員長に立候補してくれたおかげであり、クラスメイトの雰囲気が軽くなっていたからだ。
「なぁ、副委員長やってみたら」
すると、わざわざ紡が僕のところまで来て副委員長になるように促してきた。何故そんなことを言いに来たのだろうか。僕がそんなことをするような人間ではない事は知っているはずなのに。
「何で僕がやらなきゃいけないの」
「今まで副委員長のような仕事をやったことないでしょ、来年は受験なんだし今しかできないよ」
斎理はすぐに返せなかった。紡に色はあった。焦げ茶の髪色のような、落ち着いていて、それでいて、背中を押すような黄緑。責めていない。ただ、勧めているだけ。でも、今まででこんなことを言うことは無かった。何で急にこんなことを言い始めたのだろう?
『もしかしたら、関わるようになるかもしれないぞ。例えば、同じ委員になったりだとか』
……あっ、そういうことか。確かに少し前にそんなことを言っていたな。その時、斎理の中で何かが“点と点”を結び始めていた。あれはただの冗談だったと思っていた紡の言葉が、今では意図的な伏線だったように思えてくる。まるで、あの無色の存在に関わることを前提に、紡は斎理の背中を押していたのかもしれない。
「あのね、余計なお世話だよ。何でそんなに白峯さんと関わらせようとするの」
紡は肩をすくめて、いたずらっぽく笑った。
「ははっ、バレちゃったか。でも、こんな出会いは一生無いと思うんだ」
その言葉は、冗談のようでいて、その実、斎理の胸を深く刺していた。紡のことだから本気で僕のことを思って行動しているのだろう。はぁ、確かに僕は色が見えるせいで他人と関わることを恐れている。親や紡はそのことを理解していて、真摯に向き合ってくれているが、それでも色が見える都合上、接していると後ろめたさのようなものが存在する。おそらく、僕が安心して接することが出来るのは白峯さんのような色が見えない人だけなんだろう。
「はぁ、分かったよ。やればいいんでしょ」
しぶしぶではあったが、斎理は立ち上がった。
「おう!頑張れよ!」
紡はいつものように屈託のない笑みを浮かべて応援してくれる。はぁ、僕のことを思って行動してくれているから文句も言えない。
斎理は足を動かす。教室の空気はまだ柔らかいままで、白板の前までの歩みも、先ほど虚凛が通った時のような沈黙に包まれていた。周りの人が僕の方に注目していく。何で白峯さんはこの視線の中を無色で歩くことが出来たんだろう。こんな視線を浴びていると、緊張で足がもつれそうになるもの何だけどな。
白板に書かれた『副委員長』の欄に、ペンを走らせる。――淡河斎理――その文字が白い紙に定着するのと同時に、視界には僅かな緑が揺れて、クラスメイトたちが拍手を浴びせてくる。もし、自分自身の色が見えるのなら恥ずかしさの赤紫に染まっているだろう。
「はい、これでいいですね。それでは、先生は配布物を取りに職員室に戻るので、その間は休み時間とします。新しいクラスメイトと親交を深めたりして、有意義に使ってください」
そうして、休み時間に入り、教室はまた騒めき始めていて、椅子を引く音、新しいクラスメイトに話しかける声、淡い黄緑が空気に滲んでいく。
「これでいいんでしょ、これで」
「そういやな顔をするなって、未来でこの選択をしてよかったと思うかもしれないし」
斎理は、頬杖をついたまま俯いて返事をしなかった。確かに、未来の自分がこの瞬間を“よかった”と思えるかもしないから、これ以上責めるのはやめとこうか。
斎理がそう思い、話を変えようとした時だった。
「副委員長さん」
その声が届いた瞬間、斎理は呼吸を止めた。耳に入ってきたのは、柔らかでも鋭くもない、ただ空気を押しただけのような声。
ゆっくりと声がした方向へ顔を向けると、白峯虚凛が斎理のところまでやってきていた。相変わらず色は見えない、だけど度々見る機械的ではなく、しっかりと感情がこもった目でこちらを見ている。
「これから一年、よろしくお願いします」
その声は無色であるはずなのに、機械的な声ではなく、しっかりとした感情の熱がこもっていて、その矛盾が斎理の心に違和感を与える。ひょっとすると、この人物は心の色を見ることが出来ない唯一の例外なのではないか。もしそうだとしたら……。
「う、うん。こちらこそよろしくお願いします」
とは言え、今は話しかけられていて、そんなことを考えている場合じゃない。斎理は慌てて言葉を返し、ぎこちなく頭を下げた。そんな様子見て紡が笑っているが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。だって、このような無色に嫌われてしまうと、もう二度とこのような救いは無いと思ったから。
――これが、永遠に傷つけあうことになる“彼女”との出会いだった。
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