第49話 聖女VS妖精 仁義なき歌合戦
月明かりが照らす宿場町の中庭。
その静寂は、一人の聖女が放つ、燃えるような闘気によって無慈悲に破られた。
「……あなたですのね」
セレスティアは、リュートを抱えた美少年――ラルクに向かって、ゆっくりと敵意を込めて歩み寄っていく。
その姿は、もはや聖女ではない。恋という名の縄張りを守るため、ライバルを威嚇する一匹の雌ライオンだった。
「あなたが、その美声で男も女も誑かしているという、噂の吟遊詩人……ラルクですのね?」
「え……? あ、はい。僕がラルクですが……」
突然の、しかも敵意むき出しの美女の登場に、ラルクは困惑した表情で後ずさる。
俺は慌てて二人の間に割って入った。
「待て待て待て、セレスティア! ケンカを売るな! 俺たちは、彼にお願いがあって来たんだろうが!」
「いいえ、ユウキ様! わたくしには、分かります!」
セレスティアはビシッとラルクを指さした。
「この男の歌声は、危険ですわ! 人の心を惑わし、骨抜きにする、魔性の響き! このような男に王女様の治療を任せておくことなど、断じてできません!」
「問題ばかり起こす、お前が言うな!」
俺のツッコミも彼女の耳には届かない。
「こうなったら、どちらの『愛の歌』が、より人の心を癒し、救うにふさわしいか、ここで、はっきりさせなければなりませんわね!」
セレスティアは、どこからともなく指揮棒のようなものを取り出すと高らかに宣言した。
「ラルク! あなたに決闘を申し込みます! 神聖なる歌合戦で勝負なさい!」
「は、はあ!?」
ラルクはもちろん、俺たち仲間も全員が思わず口を開けた。
歌で勝負?
この絶望的なまでに音痴な女が?
「マスター。聖女の正気度が危険域に達しています。戦闘能力への影響は、未知数です」
イヴが面白そうに状況を分析している。
「やめろ、セレスティア! お前の歌は、癒しじゃない、破壊だ! この宿場町が更地になるぞ!」
「お黙りなさい、ユウキ様! わたくしの愛の歌を信じられないと、おっしゃるのですか!」
うるうるとした瞳で上目遣いに見つめられて、俺は「ぐっ……!」と言葉に詰まる。
この女、自分の武器をよく分かっている。
そして、決闘を申し込まれた当のラルクは、といえば。
最初こそ戸惑っていたが、やがて、ふっと、その表情を和らげた。
「……分かりました。あなたの、その真剣な瞳、嘘をついているようには見えません。受けましょう、その勝負」
「おい、ラルク君! 受けなくていい! 君の命が危ない!」
俺の必死の制止も虚しく、かくして史上最も意味不明で、危険な歌合戦の火蓋が切って落とされてしまった。
先攻は、セレスティア。
彼女は、コホン、とわざとらしく咳払いをすると天を仰ぎ、その胸に手を当てた。
「聴きなさい! これが、わたくしのユウキ様への愛の全て! 神聖交響曲第一番、『
「タイトルがダサすぎる!」
セレスティアが、その口を開いた瞬間。
世界から調和が消えた。
彼女の口から放たれたのは、歌ではない。音の形をした、純粋な破壊の衝撃波だった。
「♪~~~~~~ッッッ!!!」
窓ガラスがビリビリと震え、ミィナは「にゃああああ!」と叫んで、バランの影に隠れる。宿の屋根からは、瓦が数枚、パラパラと剥がれ落ちた。
ラルクは、その衝撃波をリュートを盾にするようにして必死に耐えている。その顔は驚愕に引きつっていた。
「ど、どうですの……! これが、わたくしの、
一曲?歌い終え、ぜえぜえと肩で息をするセレスティア。その顔には、やりきった満足感が浮かんでいる。
今更言うのもなんだが、中庭は半壊していた。
「……」
ラルクは、しばらく呆然としていたが、やがてゆっくりと、その口を開いた。
「……すごい」
「え?」
「すごい、パワーだ……。歌とか、音程とか、そういう次元じゃない。ただ、想いの強さだけで物理法則を捻じ曲げている……。こんな歌、僕は初めて聴いた……」
彼は怒っているわけでも、馬鹿にしているわけでもなく、ただ純粋にセレスティアという規格外の存在に畏敬の念を抱いているようだった。
そのあまりにも純粋な反応に、セレスティアは「ふ、ふふん。当然ですわ」と少し照れている。
「……じゃあ、今度は、僕の番だね」
ラルクはそう言うと、静かにリュートを構えた。そして、その唇から紡がれたのは。
先ほど俺たちが聴いた、あの夜空の星々を、そのまま音にしたかのような奇跡の歌声だった。
彼の歌声が響き渡った瞬間、セレスティアが破壊した、中庭の惨状が嘘のように静まり返る。
震えていた窓ガラスは、その振動を止め、剥がれ落ちた瓦は、それ以上、落ちてこない。
ささくれだった俺たちの心が、優しく、優しく、癒されていく。
歌が終わった時、そこには完全な静寂だけが残されていた。
勝敗は火を見るよりも明らかだった。
セレスティアは、その場にがっくりと膝をついた。
「……完敗、ですわ……」
彼女は悔しそうに、しかし、どこかすっきりとした顔で呟いた。
初めて自分以外の、本物の『才能』を目の当たりにしたのだろう。
こうして歌合戦はラルクの圧勝に終わった。
そして、この奇妙な決闘を通じて、ラルクは、俺たちの、ただならぬ事情を察してくれたようだった。
「……あなたたち、一体、何者なんですか?」
彼は困ったように笑いながら、俺たちに問いかけた。
俺は、ようやく本来の目的を果たせる時が来たことを悟り、大きく息を吸い込む。
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