第22話 夜の街道

​ クロスロードの街の灯りが完全に見えなくなり、俺たちの周囲は、月明かりと星の光だけが照らす、本当の闇に包まれた。


 夜の街道は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。聞こえるのは、俺たちの足音と、時折吹く風の音、そして遠くで鳴く夜行性の虫の声だけ。

 この静けさが逆に俺の緊張感を煽った。


​「ユウキの若いの。少し、ペースが速いぞ。この調子じゃあ、谷に着く前に、嬢ちゃんたちがばててしまうわい」


 ​先頭を歩いていた俺の隣に、バランが並んで小声で忠告してくれた。

 彼の言う通りだった。俺は、気づかないうちに焦っていたらしい。


​「……すまん」


「なに、気持ちは分かる。じゃが、旅は始まったばかりじゃ。焦りは禁物。常に、周囲への警戒を怠らんことが、生き延びる秘訣じゃよ」


​ バランは、まるで父親が息子に言い聞かせるように、旅の心得を語ってくれた。

 彼の若い頃は、商人として大陸中を旅して回ったらしい。その道中で、冒険者の真似事のようなこともしてきたのだとか。彼の知識と経験は、戦闘能力のない俺にとって、何より頼りになる武器だった。


 ​後方では、セレスティアとミィナが、並んで歩いていた。


​「ミィナさん、お疲れでしょう。さあ、わたくしの背中へ。天馬のように駆け抜け、あっという間に目的地へお連れいたしますわ」


「う、ううん。大丈夫ニャ。自分の足で歩けるから……」


「ご遠慮なさらずに。それとも、わたくしの背中では、ご不満だと……?」


「ひゃい! そんなことないですニャ!」


 ​セレスティアが、いつもの調子でミィナに絡んでいる。

 ミィナは、少し困ったように笑っていたが、その表情は、スラムにいた頃のような暗さはない。満更でもないのかもしれない。


 ​そんな、どこかちぐはぐで、奇妙な一体感のあるパーティを眺めながら、俺は思う。

 一人で追放された時は、こんな未来を想像していただろうか。


 明らかにスローライフとは、真逆の方向へ進んでいる。面倒なことばかりだ。

 だが、このどうしようもない賑やかさが、不思議と、俺の心の孤独を埋めてくれているような気もした。


​(……いや、感傷に浸ってる場合じゃない)


 ​俺が気を引き締め直した、その時だった。

 ミィナの鼻が、くん、と動いた。


​「……ユウキお兄ちゃん。なんだか、嫌な匂いがするニャ」


「嫌な匂い?」


​ ミィナが指さす先、街道の脇にある茂みを見つめる。

 暗くて、よく見えない。

 バランが、俺より先に、腰に下げた鉈に手をかけた。


​「……血の匂いと、獣の匂いじゃな。それも、ただの獣じゃない」


 ​その言葉が終わるか終わらないかのうちに、茂みから、三つの影が飛び出してきた。

 鋭い牙を剥き出しにした、巨大な狼。その背には、不気味な黒い模様が浮かび上がっている。魔物だ。


​「闇夜狼ナイトウルフか! 厄介なのに出くわしたわい!」


​ バランが叫ぶ。

 俺は、咄嗟にミィナを背後にかばい、腰に下げた安物の剣を抜いた。何の役にも立たないだろうが、構えないよりはマシだ。

 だが、俺たちが何かをするより早く、一つの影が閃光のように動いた。


​「――ユウキ様に牙を剥くとは、万死に値します」


​ 冷たく、そして絶対的な響きを持った声。

 セレスティアだ。

 彼女は、いつの間にか俺たちの前に立つと、闇夜狼の群れに向かって、すっと右手を差し出した。


​「塵に還りなさい。――【聖光槍ホーリージャベリン】」


 ​詠唱は、ほとんどなかった。

 彼女の手のひらから、凝縮された光の槍が三本、無音で放たれる。

 それは、夜の闇を切り裂き、闇夜狼たちが反応する間もなく、その眉間を正確に貫いた。

 断末魔の叫びを上げる暇すらなく、三匹の魔物は、光に包まれて、塵となって消滅した。


​「……」


 ​あまりにも、あっけない幕切れ。

 その圧倒的すぎる力に、俺はもはや、ツッコミを入れる気力すら湧いてこなかった。


 バランが、ごくりと喉を鳴らすのが聞こえる。


​「……聖女様、とは聞いておったが……。これほどとはのう。まるで、歩く戦略級魔法じゃわい」


「……セレス。加減しろって、いつも言ってるだろ」


「申し訳ありません、ユウキ様。ですが、あなた様を危険に晒すわけには……! それに、これが、わたくしにできる、一番の加減でございます」


 ​悪びれる様子もなく、にっこりと微笑むセレスティア。この聖女に、手加減という概念を教えるのは、不可能に近いらしい。


 ​その後、魔物に襲われることもなく、俺たちの旅は順調に進んだ。


 東の空が白み始め、夜の闇が薄れゆく頃。

 俺たちは、ついに、その場所にたどり着いた。


​「……ここが、『霧の谷』か」


 ​街道から外れた、薄暗い森の奥。

 そこだけ、世界の法則が違うかのように、濃い乳白色の霧が、渦を巻いて淀んでいた。

 霧の向こうは、全く見えない。ねじ曲がった木々が、まるで亡霊のように、霧の中から姿を現しては消える。

 音もない。風もない。ただ、不気味な静寂だけが、その場を支配していた。


​ バランが険しい顔で、その霧を見つめる。


​「ここから先は、地図も、コンパスも役に立たん。わしの長年の経験と、猫の嬢ちゃんの鼻、聖女様の御力、そして……」


​ バランは、俺の顔を見て、ニヤリと笑った。


​「ユウキの若いのの、頭脳と度胸だけが頼りじゃ」


「……無茶を言う」


 ​軽口を叩きながらも、俺の心臓は、緊張で速鐘を打っていた。

 ここから先は、後戻りの許されない、本当のサバイバルだ。


​「行くぞ」


 ​俺の短い言葉に三人が頷く。

 俺たちは、覚悟を決め、一列になって、その乳白色の帳の中へと、その第一歩を、静かに踏み出した。生きて、この谷を抜けられるのか?

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