第6話 聖女様は悪を浄化する

 聖女セレスティアの心は、歓喜に打ち震えていた。


(ああ、ユウキ様……! なんと、わたくしは幸せ者なのでしょう!)


 敬愛する主、相川ユウキは、彼女に『試練』をお与えになった。

 彼の麗しい唇が紡いだ「ここでおとなしくしてろ」という言葉。それは、額面通りに受け取るべきものではない。あれは、彼の真意を隠すための、甘美なる謎かけ。


『私の手を煩わせることなく、お前の力で、お前の愛で、この街の悪を浄め、安寧をもたらしてみせよ』


――ユウキの言葉を、セレスティアはそう解釈していた。

 彼の深い思慮と、自分への信頼。それを感じ取れただけで、胸が熱くなる。

 屋根から屋根へと軽やかに跳躍しながら、彼女の思考はただ一点に集中していた。


(必ずや、この試練を乗り越え、わたくしの愛の深さを証明してみせる。そして、戻った暁には、ユウキ様にたくさん褒めていただくのだわ……!)


 想像しただけで、頬が緩む。

 まずは、先ほど下賤な声を張り上げていた『黒鉄の爪』とやらを探し出さねばならない。


 セレスティアは、人通りの多い広場にふわりと舞い降りると、近くで果物を売っていた老婆に、優雅に歩み寄った。フードで顔は隠しているが、その立ち居振る舞いから滲み出る気品は、隠しようもない。


「ごきげんよう、善良なる民よ」


「へ? あ、ああ……」


 突然のことに戸惑う老婆に、セレスティアは聖母のような慈愛に満ちた声で問いかけた。


「この街を穢す、『黒鉄の爪』と名乗る者たちの巣は、どちらにあるかご存知かしら? 神に代わって、わたくしが彼らの魂を浄化し、光の道へと導いてしんぜようと思いまして」


 そのあまりに突飛な物言いに、老婆はぽかんと口を開けた。周囲の人々も、何事かとこちらを遠巻きに見ている。

 しかし、フードの奥から覗くセレスティアの蒼い瞳には、尋常ならざる圧があった。それは、彼女が「聖女」として長年培ってきた、有無を言わせぬ神聖な威圧感。


「え……ええと、『黒鉄の爪』なら、港地区の古い倉庫に……。でも、お嬢さん、あそこは危ないから、近寄んない方が……」


「ご心配には及びません。神の愛は、何よりも強いのですから」


 にっこりと微笑むと、セレスティアは老婆に小銀貨を一枚手渡し、優雅に一礼してその場を去った。老婆は、手のひらの銀貨とセレスティアの後ろ姿を、ただ呆然と見比べることしかできなかった。


 情報を得たセレスティアは、一路、港地区を目指す。

 潮の香りと、魚の生臭い匂いが漂ってくる。やがて、ひときわ大きく、そして寂れた倉庫が彼女の目に映った。倉庫の扉には、殴り書きのような鉤爪のマークが描かれている。


 間違いない、ここだ。


(さて、どうやって、彼らに神の教えを説いたものか……)


 扉をノックして、丁寧に対話を持ちかけるべきだろうか。いや、それではユウキ様の試練に込められた「力で示せ」という意図に反してしまうかもしれない。

 数秒間思案した結果、彼女は最もシンプルで、かつ誠意の伝わる方法を選択した。


「――ごめんあそばせ!」


 ドンッ!!!


 セレスティアの華奢な足から繰り出された一撃で、分厚い鉄製の扉は蝶番から吹き飛び、けたたましい音を立てて倉庫の内部へと転がっていった。


「な、何だぁ!?」


「敵襲か!?」


 倉庫の中では、十数人の男たちが酒を飲んだり、博打に興じたりしていたが、突然の出来事に全員が飛び上がる。


 逆光を背負い、破壊された扉の前に一人佇む、フードを被った女。

 その異様な光景に、誰もが武器を手に取り、警戒を露わにした。


「てめえ、何者だ! 『黒鉄の爪』のアジトだって知っててやったんだろうな!」


 リーダー格と思しき、一際体の大きな傷面の男が、ドスの利いた声で威嚇する。

 しかし、セレスティアは全く動じない。


「罪深き子羊たちよ。わたくしは、あなた方を救済しにまいりました」


「あぁん? 寝言は寝て言えや!」


 男たちが一斉に襲い掛かってくる。

 だが、彼らがセレスティアの体に触れることは、決してない。彼女の周囲には、目には見えない聖なる結界――【聖域サンクチュアリ】が常に展開されているからだ。


「なっ!? 身体に触れねえ!」


「くそっ、何だこのバリアは!」


 困惑する男たちを見て、セレスティアは悲しそうに首を振った。


「まずは、その穢れた偽りの爪を捨て、己の無力さを知りなさい。――【浄化プリフィケーション】」


 セレスティアが軽く指を振るうと、柔らかな光が男たちを包み込んだ。

 次の瞬間、彼らが腕に装着していた自慢の黒い鉄爪が、まるで砂のようにサラサラと崩れ落ち、跡形もなく消え去った。


「お、俺の爪が!」


「うわああああ!」


 武器を失い、恐慌状態に陥る男たち。

 リーダーの男だけが、恐怖よりも怒りが勝ったのか、雄叫びを上げて殴りかかってきた。もちろん、その拳がセレスティアに届くことはない。


「まだ分かりませんか。あなた方の暴力は、神の愛の前では無力なのです。さあ、その頭を冷やし、心から懺悔なさい。――【聖光ホーリーライト】」


 今度は、リーダーの男の顔面に向けて、ピンポイントで強烈な光が放たれた。

 太陽を直接見たかのような閃光に、


「ぐわあああ! 目が、目がぁぁ!」


男は叫びながら地面を転げ回る。


(ふぅ……。これで、少しは冷静になってくれたかしら)


 セレスティアは満足げに頷いた。

 彼女の目的は、あくまで「浄化」と「救済」である。殺すつもりなど毛頭ない。ただ、彼らが犯した罪――ユウキ様の安寧を妨げた罪を心から反省させ、二度と過ちを繰り返さないように導くだけだ。


「さあ、皆さん。神の愛の温かさを、その身で感じなさい」


 セレスティアは両手を広げ、慈愛に満ちた表情で詠唱する。

 彼女の足元から、美しい黄金色の炎が立ち上った。それは、罪を焼き尽くし、魂を清めるという【聖炎ホーリーフレイム】。


 もちろん、彼女に火加減という概念はない。


「これが、わたくしの……いいえ、ユウキ様のお心です!」


 ゴオオオオオッ!


 倉庫全体を熱波と閃光が包み込んだ。


◇◇◇


 数分後。

『黒鉄の爪』のアジトは、半壊していた。

 内部は聖炎によって煤だらけになり、チンピラたちは全員、髪の毛をアフロヘアーのようにチリチリに焦がし、服はボロボロの状態で、白目を剥いて地面に折り重なるようにして気絶していた。


 誰一人として死んではいないが、おそらく、目覚めた時には心に一生消えないトラウマを刻み込まれていることだろう。

 その惨状の中心に、セレスティアは一人、佇んでいた。

 彼女の純白のローブは煤一つ付いていない。


「ふぅ……。少々、手荒でしたでしょうか。でも、これも全て、ユウキ様のため」


 彼女は、やりきった満足感と共に、晴れやかな表情で呟いた。

 これで試練は達成された。愚かな者たちは浄化され、この街には平和が訪れるだろう。


(さあ、急いで戻らなくては。きっと、ユウキ様がわたくしの帰りを待っていてくださるわ)


 最愛の主が待つ、愛の巣へ。

 セレスティアは、スキップでもしそうな軽い足取りで、半壊したアジトを後にした。


 その顔には、「褒めてもらえるだろうか」「どんな言葉をかけてもらえるだろうか」という、期待と喜びが満ち溢れていた。



――――

ああ〜やっぱりラブコメは最高ですね!

書いてる私でさえドキドキしてしまうっていう……謎の興奮感がたまらなく好きです。


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