第14話 ノアって呼ぶよ

 ふと気づくと、エリノアはマティアスの膝の上に頭を乗せて横になっていた。


「気づいたかい?」

 エリノアを覗き込むようにして、マティアスは言う。こんな至近距離でマティアスの顔を見るのは初めてだったエリノアは、何となく顔を赤くして、「あたし、気を失っていたんですか?」と言って、身体を起こした。


「ほんの少しの間だけどね。……それより、すまなかった。ボクは魔力暴走を起こしそうになっていたんだね。それをエリノア、君が止めてくれたんだ」


(やっぱり、あれは魔力暴走だったんだ!)

(よかった、止めることが出来て)


「よかったです。暴走しなくて」

 エリノアはほっとして、安堵の笑みをもらした。

「……君にはたすけられてばかりだ」

「いえ、そんな」

「ボクはさ、こんなんだから、サヴォイア家からは勘当同然の扱いなんだ」

「こんなん、とは?」


「前にエリノアが言っただろう? サヴォイア家の先祖に黒髪黒目の人間がいたとしても、系図から排除されているかもしれないと」

「はい」

「あのとき、ああなるほどな、と思ったのさ。そして、黒髪黒目でも、生かされていることを喜ばなくちゃいけないと」

「そんな」

「いや、そうさ。おまけにボクには、制御出来ない特殊能力がある。過去の映像が見える、というね。実際、この能力には翻弄されたんだ。小さい頃は、現実と過去の映像との区別がつかなくて、周りの大人には頭のおかしい子どもだと思われていた。次第に、過去が見えているんだということが分かって――でも、だいたいは気味悪がられたよ。エリノア、君はボクのことを気味悪がらない。そういう意味でも、君は特別だ」

「マティアスさま」


 エリノアは、小さなマティアスが過去の映像に苦しむ姿を思い浮かべたら、胸が締め付けられる思いがした。

(どうして気味が悪いなんて思えるんだろう? むしろ、小さなマティアスさまを守ってあげたい)


 ふいに、エリノアの心の中に、小さな望優菜みゆなが浮かんだ。泣いているあの子を、ぎゅっと抱き締めた日もあったのだ。

(望優菜とマティアスさまは全然違う。……でも)


 エリノアはマティアスの両手をとり、自分の手で包み込むようにした。

「あたしは、全然気味悪く思いません。過去が見える能力も、それから、その黒髪黒目も」


(むしろ、懐かしい、とても)


「ありがとう、エリノア。……ボクはね、そのうえ、魔力がとても強いんだ。水属性の魔法も風属性の魔法も使えて。貴族でも、二種類の魔法を使えるのは、とても珍しいことなんだよ。珍しい上に、魔力も強かった。だから、ボクの親は、ボクを魔法学部で学ばせたかったんだ。実は、ボクは学園までは魔法学部にいたのさ。サヴォイア家は公爵家で、上級王立学院にも人材を輩出していた。サヴォイア家はボクに新たな魔法を生み出したり、或いは今ある魔法技術を向上させたりするために、そして魔導士にするために、ボクを学院に入れたんだ。でも、ボクはどうしても、歴史が勉強したくて――どうしてだか分かる?」


「過去が見えるから、ですか?」

 エリノアの答えにマティアスは嬉しそうに笑う。


「そうだよ。ボクには、様々な過去が見えていた。だけど、学ぶ歴史との間に隔たりがあった。いったい、本当の、ラグシア王国の歴史は何だろう? と思っても不思議はないだろう?」


(それはそうだと思うわ。マティアスさまは、本当のことが知りたかったんだ)


「ボクは、歴史研究室を立ち上げた。一人で。もともと、学院には歴史研究室なんて、なかったのさ。災害を憂うるロレシオ王に『歴史的観点から災害を防ぐことが出来るかもしれない』と説得し、あとは私財を投じて、あの研究室を作ったんだ」


 石碑のすぐ近くの草原に座りながら、マティアスは王宮の近くに建っている、上級王立学院の古めかしい建物を見つめた。


「……サヴォイア家にはひどく叱責されてね。だから、勘当同然なんだ。何しろ、ボクは、本当は魔法を研究しなくちゃいけなかったんだから。魔法が、この国において最優先事項であることは、エリノアも知っているだろう?」

「はい」


 そう返事をしながら、エリノアは「家名は好きじゃない」と、マティアスが言っていたことを思い出していた。

(深い葛藤があったのだわ。家名のことも、それから少ないと言っていた研究費のことも。研究費だけじゃなくて、私財も使っていらっしゃったのね)


「でも、ボクはどうしてもラグシア王国の歴史書を、この手で作り上げたかった。きちんと、文献を読み取って。もちろん、ラグシア王国の災害を防ごうという気持ちもあったよ」


 マティアスはそこで言葉を切って、二人の間には少しの間、沈黙が流れた。それは悪い沈黙ではなくて、これまでのことを静かに振り返るような時間だった。


 書物や資料に埋もれるようにして、メモを書きつけながらひたすら読む姿。

 来る日も来る日も、正しく読み解こうとする姿勢。

 独学で古代文字を読めるようになるまで努力を重ねられる才能。


「ボクは十年、一人で歴史を探っていたんだ。最初の何年かは、文献を集めるのに奔走したよ。ここが一番大変だった時期かもしれない。何しろ、重要視されていなかったから、散逸が甚だしかったんだ。そして、ある時期からは集めた文献を読みながら、同時に古い書物や資料を集める日々となったよ。……そうして、エリノア。君の卒業論文『文献から分かる災害の歴史』に出会った。驚いたよ。ボクがロレシオ王を説得したのと同じ視点から書かれていたからね。しかも、かなり根気よく粘り強く調べて、丹念に書かれていた。足りないところはあるけれど、美しい論文だ」

「ありがとうございます」

 万感の思いを込めて答える。


 マティアスはふっと笑って、言った。

「君のことは、これからノアって呼んでいいかな? エリノアの愛称の、ノア。それから、君の魂の過去の、乃愛のあ


「エリノアの愛称は、エリィーだと思うんです」

「ボクのことは、マティーと呼んでくれ」

 マティアスはエリノアの言葉を無視して、そう言う。


「それは無理です! 上司を愛称呼びなんて」

「そうか?」

「そうです! あたしは貴族でもないですし」


「――ノア」

 マティアスはエリノアを抱き締めた。

「いつか、マティーと呼んでくれたら嬉しいよ」


 いつの間にか沈み始めた太陽の橙色の光が、辺りを美しく染め上げていた。




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