四章 マティアスの事情とエリノアの先祖

第13話 石碑と能力の暴走

「マティアスさま!」


 その朝、エリノアはのっそりと起きて来たマティアスを待ち構えて、マントをひっぱった。


「エ、エリノア、何だ? いったい」

 マティアスは普段、そのようなことをしないエリノアに驚き、またマントをひっぱられたことで頭部が露出しそうになったことを恐れ、あたふたと答えた。


 エリノアは通常であれば、マティアスが嫌がることはしないのだが、それ以上に興奮が勝っていて鼻息荒く『リリアーヌ・ロティエの日記』とそれを書き写した自分のメモをマティアスの前にばんと置いた。


 マティアスは用心深くフードを目深にかぶり直すと、エリノアが「ここを見てください!」という箇所に視線を落とした。


「まず、ここです。アンジェリク王女が、川の氾濫が起きたときに双子月が重なったことが書かれた文献を見つけた、と言っています。そして、アンジェリク王女は双子月が重なるときを恐れています。それから実際に氾濫が起こった日の日記に、リリアーヌとアンジェリク王女が、双子月が重なって出来る金環を見るシーンが出てきます。金環を見たあと、川の氾濫を知らせる鐘が鳴り響くのです」


「……ほんとうだ。これは興味深い。よく見つけたな。それに、古代文字の解読もよく出来ている」

「ありがとうございます!」

「ところで、アンジェリク王女が、川の氾濫が起こったとき双子月が重なったという文献を見つけた、ということだが、それはどの文献か分かるかい?」

「何代か前の宮廷長の備忘録、とあります。宮廷長の名前までは、残念ながら分かりませんが」

「なるほどね。でもそれは調べればすぐに分かりそうだ。ボクが調べておくよ。――よく頑張ったな。エリノアはやはり、特別だ」


 マティアスはそう言うと、エリノアの頭を撫でた。いつになく、優しい眼差しが、黒髪の間から覗いている。

「マティアスさま……」


「あの卒業論文を書いただけのことはある。君の卒業論文にも双子月のことが書かれていたね?」

「はい! 地区の役場の記録に、川の氾濫が起こった夜、双子月が重なって出来る金環が見えたとあったんです。ただ、でも、あたしが見つけることが出来たのはそれだけだったんです。他の文献を見ても、金環が見えたときに必ず氾濫が起きるということは書いていなくて。むしろ、双子月が重なって金環がきれいだったという記述もあって。だから、川の氾濫と双子月の金環については、『もしかしたら関係があるかもしれない』としか書けなかったんです」 


「『リリアーヌ・ロティエの日記』にも、双子月が重なって出来る金環が見えても何も起こらなかったときもあると書いてある。川の氾濫が起きるには、金環と、また別の条件があるのだろう」

 マティアスは何かを考えるように、『リリアーヌ・ロティエの日記』をぱらぱらと捲った。


「すみません、まだ続きは読んでいなくて」

「いや、この短期間で、ここまで読めたことが素晴らしいよ。ありがとう、エリノア。双子月の金環に関しては、書記官の記録にもあるから、金環年表を作ってみよう。……散逸されている部分もあるし、整理も進んでいないから、出来るところからになるが。川の氾濫に関しては既に、一部だけど年表が出来ているから、そこに付け加える形にするといいと思う」

「はい!」

「エリノアにはまず、『リリアーヌ・ロティエの日記』を最後まで読み解いて欲しい。その間に、ボクが書記官の記録から、金環の記述を拾いだそう。――でも、その前に、行ってみたいところがある」


「どこですか?」

「石碑だよ。川の氾濫に関する石碑が立っている場所があるんだ」

「知りませんでした」

「石碑に刻まれた文言を、もう一度見て見たい。それから、もしかして――」

 マティアスはそこで言葉を切って、俯くようにした。

 その顔には、いつになく迷いが見られた。


「マティアスさま?」

「……ああ、すまない。ボクの特殊能力については話しただろ? 石碑を見たら、もしかして過去が見えるかもしれないと、期待したんだ。ずっと呪ってきた能力だけど、役に立つかもって」


 エリノアは、『リリアーヌ・ロティエの日記』を見つけたときのマティアスを思い返した。確かに、『リリアーヌ・ロティエの日記』が見つかり、読み解いたことで、エリノアが見つけたたった一つの記録――川の氾濫が起きたとき、双子月が重なった――が真実味を帯びた。


(もしかして、さっきぱらぱらと『リリアーヌ・ロティエの日記』を見ていたのは、過去の映像が見えるのを期待して?)

 エリノアはマティアスをじっと見つめた。

 魔法ランプの灯りの下で、マティアスは何事かを考えているように見えた。そして、エリノアの視線に気づくと、力なく微笑んだ。


「この間、王宮に行っただろう? そのとき、ロレシオ王に成果を出せと言われたのさ。どうもヴィーヌ川もグラース川も水位が上がっているらしく、魔導士たちが危機感を募らせているようなんだ。こういう文献を読み解く作業には時間がかかるとはお伝えしたんだけどね。」

 今さらながら、エリノアが今ここにこうしていることは、王の意志が介在しているということに気づかされた。


「すみません、マティアスさま」

「どうしてエリノアが謝るんだ?『リリアーヌ・ロティエの日記』の中の双子月と川の氾濫の記述を見つけたのは素晴らしい発見だよ。ともかく、石碑を見に行こう」



 その苔むした石碑はラムル・ディヴァン川が、ヴィーヌ川とグラース川に分かれるところにひっそりとあった。川の水嵩は確かに増しているように見えた。

 黒い森が、王都にいるときよりもずっと近くにあり、エリノアは何か恐ろしいものが迫ってくるような気持ちになった。


「エリノア、心配しなくていい」

「だけど、あたし、ここまで黒い森に近づいたのは初めてなんです」

「大丈夫だ。ボクの魔力は強いから」

(だから、マティアスさまは、本当は魔導士になることを望まれていたのね)


 マティアスは苔むした石碑に近づき、そこに刻まれた文字を読もうと、石碑に触れた――その瞬間、マティアスは目を見開き、小さなうめき声を上げ、頭を抱え込んでしゃがみこんだ!


「マティアスさま! 大丈夫ですか⁉」

「あああああああ!」


 苦悶に顔を歪め、マティアスは頭を抱え込んだまま、悲鳴を上げた。

 恐ろし気に見開く黒い目からは光がほとばしっている。


「マティアスさま!」

 エリノアは名前を呼ぶしか出来ない。


「川から水が溢れてくる! ダメだ。流されてしまう! 黒い森にある、川の源泉から水が溢れ出す! 水妖が……水妖の大群が、荒れ狂った川の流れに乗ってやってくる……‼」


 マティアスが石碑の記憶を見ていることは間違いがなかった。

 エリノアはマティアスの背中を撫でた。

 その背中は震えて、そして、身体から何かが――魔力が?――放出されようとしているのを感じた。青白い光のようなものが、うねりを持ってマティアスから立ち昇っている。


(まずい! 魔力暴走を起こしかけているのかもしれない! 止めないと!)


「マティアスさま! マティアスさまが今見ていらっしゃるのは、過去です。過去の映像です! 今、川の氾濫は起こっていません。水妖もいません。マティアスさま‼」


 エリノアは必死になってマティアスに話しかけ、そしてマティアスの上に覆いかぶさった。そうしたところで、どうにもならないかもしれない。だけど、エリノアはそうせずにいられなかった。


「マティアスさま、それは過去です!」


 いつもは、自分より遥かな高みにいて、ひたすら尊敬している存在のマティアスが、今は守ってあげなくてはいけない人のように、エリノアには思えた――




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