第三章:魂を蝕む見えない病
災厄。
私は宗観のその言葉を最初は信じることができなかった。
それはただの老人たちの妄想だと。
だがその兆候は既に私のすぐ足元で現れ始めていた。
私が設計を担当している最新鋭のタワーマンションで原因不明のトラブルが続発し始めたのだ。
最先端のAI制御のセキュリティシステムが理由もなく誤作動を起こす。
住民たちの間で些細なことから激しい諍いが頻発する。
そして何よりも深刻だったのは住民たちの間に急速に広がりつつあった奇妙な精神的な病だった。
それは当初「都市型アパシー症候群」と呼ばれた。
他者への関心が極端に希薄になる。
自分の過去の記憶が曖昧になる。
そして最終的には生きる目的そのものを見失い、ただ無気力に日々を過ごすだけの抜け殻のようになってしまう。
私は自分の設計したマンションの住民たちを見舞った。彼らの目は空虚だった。まるで魂が抜け落ちてしまったように。最新の設備に囲まれた快適な住環境の中で、彼らは生きる意味を失っていた。
私は宗観の言葉を思い出していた。
「縁の糸が切れる」
彼らが言っていた災厄とはこのことだったのだ。
宗観はこの病を『無縁病』と呼んだ。
人と人との縁。
過去と現在との縁。
人と土地との縁。
それらの見えない繋がりが断ち切られた時、人の魂はその拠り所を失いゆっくりと崩壊していく。
私は初めて自分の仕事の恐ろしさを理解した。私が良かれと思って追求してきた効率性と合理性が実は人間の本質的な繋がりを断ち切る刃だったのだ。
科学は世界を分析し要素に分解する。
だがその過程で見えない繋がりは失われてしまう。私の建築もまた同じだった。機能を最適化する過程で人間の心に必要な何かを削ぎ落としてしまっていた。
ある夜、私は自分のオフィスの窓からきらびやかな夜景を見下ろしていた。
無数の光の点。その一つ一つに人が生きている。
だが彼らは皆孤独だった。
便利で快適な社会。
しかしその中で人々は互いの繋がりを失い見えない病に蝕まれていた。
私は自分の仕事に初めて恐怖を感じた。
私が良かれと思って設計してきたこの効率的で合理的な未来。
それこそが人々から魂を奪う元凶だったというのか。
私は再び宗観の元へと向かった。
今度は立ち退き交渉のためではない。
答えを求めるためだ。
「どうすればいいのですか? この病を止める方法は?」
私の切実な問いに宗観はただ静かに首を横に振った。
「もう手遅れかもしれんのう。あんたさんの計画がこの谷戸を破壊すれば最後の楔が抜ける。そうなれば都の無縁病はもはや誰にも止められん大洪水となるじゃろう」
私の再開発プロジェクトこそがこの世界の精神的な崩壊の最後の引き金を引く最大の原因。
その衝撃の真実を前に私はただ立ち尽くすことしかできなかった。
だがその時、私の心の奥で何かが変わり始めていた。宗観たちとの出会いによって私の内側に新しい視点が芽生えていた。それは科学的思考を超えた直観的な理解だった。
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