這い寄る舌①

 2時間目と3時間目の間。


 教室の空席を見つめる莉緒。


 本来であれば、休み時間に入った途端、真っ先に自分の方に向かってくる親友が座っている。


 しかし、今日も休みだ。


(1週間も連続で休むなんて……)


 悲しい気持ちになりながら、事件発生翌日の警察とのやり取りを思い出していた。


「だから、トイレから舌が出たんです! で、ち……友達の顔とか股とか舐めて言ったんです!」


「へぇーそりゃあ大変ですねぇ」


 莉緒の必死の訴えに、警察官がそっけなく相槌を打つ。


「あれはオバケ間違いないです! セクハラの、最低な妖怪です!」


「なるほど。して、あなたもその長い舌で舐められたんですか?」


「いや、私は何も触れられてないです」


「そうなんですか。こういう場合、被害者本人が被害届を出さないとねぇ」


「チサは行けないです。いま、外に出られないほどショックを受けていて……。トイレに入ることすら、難しい状況が続いているんです」


「なら保護者の方でも構いませんよ」


「それは難しいです……」


 千里の家庭はシングルマザーなうえ、ネグレクト傾向である。


 1週間も家に帰らない、ということさえある。もちろん昨日も帰ってきていない。


「なるほどねぇ……じゃあ、難しいなぁ。まあ、こちらも調べておくよ。気を付けてね」


(絶対……調べてくれないっ)


 きーん、こーん、かーん、こーん。


 3時間目が始まるチャイムの音で、意識を今に戻す。


「はぁ」


 苛立ちとやるせなさが混ざった溜息。


 千里は学校に来れていないほど、心に深く傷を負っている。


 その傷を癒すことは、莉緒にはできない。


 けれど、


(せめてあのバケモノをらしめたい)


 何か良い案はないか、と莉緒は考えた。


 探偵に話を聞いてもらったり、SNSで千里のことを伏せて情報を呼びかけたりもした。


 しかし誰も信じてくれず、八方塞がり。


 なんとか頭に策を浮かび上がらせては、ペケをつけていく。


 帰りのホームルームまでずっと考えていたが、結局良い案は出なかった。


 クラスメイトが続々と教室を出ていく中、1人の男子が近づく。


「よぉ、莉緒。帰らないの?」


「宮田……」


 宮田和希。6日前に千里と別れた男である。女友達の中ではイケメンと呼ばれていたが、莉緒は特段なにも思わなかった。


「今日、バイトないだろ? 一緒に帰ろうぜ」


「悪いけど、今日は1人で帰りたい気分なの」


 言い切るなり、莉緒は千里の席へ向けた。宮田はその視線に気付き、鼻で笑う。


「千里とは元々別れるつもりでいたんだ。それが早まっただけだ」


「聞いてないし。どっか行って」


 莉緒は嫌な顔を見せると、宮田も嫌な顔をし返す。


「あっそ。気にかけてやったのに」


 嫌味を言って、ドスドスと教室から出ていった。


 昇降口で宮田とばったり会うのが嫌だったので、気晴らしがてら校内を少し回ることにした。


(部活に入ってないからわからなかったけど、意外と色んな部活があるんだ)


 ぼんやりと眺めているなか、莉緒はとある部室の前で足を止めた。


「オカルト研究部……」


 オカルトという言葉は知っている。呪いとか、妖怪とか、そういう怖い系を調べる部活なのだろう。


 今までだったらバカにしていた。オカルト研究部に所属している、というだけで偏見の眼差しをむけていたと思う。


 でも、今は違う。


(千里を襲ったバケモノのこと、何かわかるかもしれない)


 わらにもすがる思いで、扉をバンと開ける。


「あ、あのっ! た、助けてほしいですっ!」


 そう言う莉緒を驚いて見たのは、大型図鑑を読んでいた1人の男子生徒だった。


「……助けを求められたのは初めてだな」


「あ、えっとえっと……っ、すみません! 急に大声を出して!」


 莉緒は慌てて礼儀正しくする。


「えっと、私の名前は、牧瀬莉緒です」


「知ってる」


「え、知っているんですか?」


「もちろん。去年のミスコンで、前年度1位の撫子を破って1位になった君を、この学校で知らない人はいない」


「そ、そうですか」


 莉緒は苦い顔をした。ミスコンで1位を取ったことで、SNSで騒がれるようになってしまい、プライベートで不便を感じているからである。こうなるんだったら、ミスコンに出なければよかったと後悔している。


「俺は桃崎慶太郎、3年でオカルト研究部の部長だ。オカルトというが、主に妖怪を研究している。恥ずかしい話、部員は俺の他に幽霊部員が1人だけ。実質、俺の部屋と化してる」


「へ、へぇー、そうなんですね……」


 確かに見渡せば、本棚と長机、その上に一台のノートパソコンだけという、寂しい部屋である。


(この人に相談して大丈夫だろうか?)


 莉緒は部室に入ったことをちょっぴり後悔した。


「で、助けてくださいと言っていたけど、どういうことかな?」


「あ、それなんですけど……」


(話しても、意味ないかもしれない。でも、話さなかったら、入った意味がない。鼻で笑われることなんて、もう慣れた……っ!)


 莉緒は意を決する。


「その、桃崎先輩は、この世に妖怪とか、バケモノとか、実在すると思いますか?」


「うん」


「……え?」


「は?」


「じ、実在すると思うんですか?」


「実在するよ」


「っ!!」


 実在。


 その単語を人の口から聞けただけで、莉緒はとてつもなく心が救われた。やっと、信じてくれる人が現れた。


(この人には話してもいいかもしれない。)


「笑わないでくださいね」と前置きし、莉緒は千里が襲われたバケモノの話をした。


 便器の中から舌が出ていたという話に一切笑わず、真剣に聞いていた。


「――――ということなんです」


「なるほど。それは恐らくこいつだろうな」


 大型図鑑をペラペラとめくり始める慶太郎。


「……信じて、くれるんですか?」


「嘘を話したのか?」


「いえ、話してないです。全部本当のことです」


「だったら信じる。それに、その特徴を持つバケモノは知っている」


「え!? 知ってるんですか!?」


 慶太郎は頷き、持っていた大型図鑑の、ある見開きページを見せた。


「そのバケモノの名前は」


 莉緒はそのページを覗き込む。


「尻舐め小僧だ」

 

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