第52話 大きな揺さぶり
その週の休日。私は王宮で、イザベラとダンスレッスンをしていた。イザベラは男役を務め、きびきびとした動きで私をリードしている。彼女の姿勢は美しく、真剣そのものだ。
今日は男性側を練習すると聞いて、イザベラの準備はばっちりだった。服装は男性用の黒いズボンをはいており、シンプルなシルクのシャツがよく似合っている。宝飾品は身に付けず、髪もポニーテールにしてまとめてあり、イザベラ本来の美しさが発揮されている姿だった。
対する私は、いつも通りのドレス姿だ。今日は青空のような裾が大きく広がったブルーのドレス。特にそれ以外に目立った装飾は無いが、幾重にも布が重ねられており綺麗なドレープが生み出されている。ヒールも高く、私よりも少し背が高いイザベラと同じくらいの目線になっていた。
「はい、そこまでで大丈夫です」
指導係である先生が手を叩くと音楽が止む。私達は体を離して先生の方を向いた。先生はさすがダンス講師と言った優雅な動きで私達に近寄った。
「ナンニー二嬢は男役も十分ですね。ですが、基本通りで少し固さがあります。臨機応変さが大事ですよ」
「はい」
イザベラは姿勢を正したまま深く頭を下げた。ダンスの後なので、彼女の額には汗がにじんでいる。先生は続けて私の方へ向き直った。
「リリアンナ嬢は逆に自由に動きすぎですね。もう少しお相手の動きも意識して。型から外れすぎるとお相手も大変になりますから」
「分かりました。ありがとうございます、先生」
先生は満足そうに微笑んだ。言葉は厳しいが表情は優しいので、この先生のことは結構気に入っている。
「では、今日はこれまでです。お疲れ様でした」
私たちは優雅にお辞儀をし、先生を見送った。イザベラは礼の仕方まで男性のやり方をしていて、本気度が凄い。先生がレッスン室の扉をくぐり出ようとした瞬間、入れ替わるようにアレクサンドが姿を見せた。
「お疲れ様、二人共」
「ありがとうございます、殿下」
今度はイザベラは女性の礼をする。ドレスは無いので裾を持てないが、綺麗な動きだ。婚約者の私は軽くお辞儀をする程度で彼を受け入れた。
「アレクサンド様も休憩ですか?」
「ああ、そうなんだ。お茶でもどうかと思って」
アレクサンドの言葉に、イザベラはためらうように目線を落とす。これ以降は一緒に王妃教育は受けられないのだ。事前に今日の予定のことは私も聞いており、まさかアレクサンドが来るとは思っていなかった私は彼には話していない。私の方から説明しようかと口を開いたが、言葉を放ったのはイザベラの方が先だった。
「申し訳ありません。この後は用事があるので、今日はこれで帰る予定なんです。ご一緒できなくて残念ですわ」
イザベラが丁重に断ると、アレクサンドは一瞬だけ表情を暗くしたように見えた。私の気のせいだろうか、というくらいわずかな変化だ。
「……それは残念だ。でも、用事があるなら仕方ないね」
彼はすぐに気を取り直したように、笑顔を作って優しい声で話す。いつも通りの、いかにも優しい王子様と言った様子で。
「また来週にでも誘うよ」
「その時はぜひ」
再び姿勢を正すと、イザベラは私達に向かって軽く会釈をした。
「それでは、失礼します。リリアンナ、また学園で」
イザベラは踵を返してドアへと向かう。颯爽と歩く姿は、男性の格好をしているのに女性らしい優雅さがあった。さすがイザベラだとつい見とれてしまう。それはアレクサンドも同じようで、イザベラがレッスン室の扉を閉めるまで、その後ろ姿をじっと見送っていた。
「アレクサンド様?」
私が声を掛けると、ようやく気付いたのかアレクサンドはこちらを向いた。その時には、いつもの親しげな表情に戻っている。本当に、小さな変化だ。でも、彼の中で何かが変化しているだろうことは予想していた。今日はイザベラがいない。今ならアレクサンドをつついて反応を見ることもできるはずだ。
私は覚悟を決めると、隣室にある休憩室へ足を運んだ。
休憩室はレッスン室の隣とは思えないほど静かで落ち着いた空間だった。壁は柔らかなクリーム色で統一され、高窓からは午後の柔らかな光が室内を満たしている。中央の小さなマホガニーのテーブルの上には、繊細な銀細工のティーセットと、華やかな王宮御用達の焼き菓子が準備されていた。私達は深紅のベルベット張りのソファに座り、お茶を飲み始めた。
「実は、殿下にお話したいことがあったんですが」
「話?」
紅茶をテーブルに置くと、彼は足を組む。私は緊張してドキドキしていた。この話をしたら、彼はどんな反応を示すだろうか。
「以前お話した、イザベラに男性を紹介して欲しいという話です」
アレクサンドの手にぎゅっと力が入ったのが分かる。驚いたように目を見開いていたが、その表情はすぐに笑顔に変わった。なんならその笑顔は、いつも以上に輝いて見えるくらい完璧だ。
「……別に、急ぐ必要はないんじゃないかな。私の方でも探してはみるけど、そんなに簡単に良い相手が見つかるとは思わないしね」
「そうは言っても、裏でイザベラのお父様が探しているそうなんです」
紅茶に伸ばしていたアレクサンドの手が一瞬止まる。明らかに動揺していそうなのに、表情は完璧な笑顔を保っているのが見ていて怖い。
「イザベラの意にそぐわない相手と婚約させられるより、私達でイザベラが本気で好きになれる相手を探してあげた方がいいと思って……」
緊張で口内がねばつく。紅茶を飲んでもそれは治まらなかった。
もう数年付き合いがあるが、はじめて気づいた。どうやらアレクサンドは動揺すればするほど、それを隠すためのポーカーフェイスが強まるらしい。輝きを増していく笑みが、私にとっては恐怖の対象でしかない。今、あの笑顔の裏で一体何を考えているのか。
「だ、だから。親よりも先に……急いでイザベラの相手を……」
「リリアンナ」
静寂が走る。彼に呼び捨てにされたのは始めてかもしれない。冷や汗でカップを落としそうになるので、私は必死に手に力を込めた。
笑顔のはずなのに、アレクサンドから睨まれているように感じる。彼の柔らかな青色の髪と整った顔立ちはいつも通り美しい。しかし、その顔に張り付いたような完璧すぎる笑みの奥で、黄金色の瞳が鋭く凍りつき、私の存在を射抜いているように思えた。それはまるで、獲物を見定めた捕食者のようで、その静かな威圧感に、私は息をするのも忘れてしまいそうになる。
「……一体、何の探りを入れているつもりだい?」
図星を突かれて私の体が大きく揺れた。カップから紅茶が零れてしまい、私は慌ててそれを机に戻した。
「……別に、探りなんて」
怖くて顔が上げられない。私は机を凝視するしかない。
見かねたアレクサンドが背もたれから体を起こして、私へ顔を寄せる。その姿勢は、テーブルを挟んでいるにもかかわらず非常に近かった。傍目から見れば、優雅なソファで身を寄せ合う、仲睦まじい婚約者同士の姿に見えるだろうか。
「イザベラ嬢と私を、君はどうしたいの?」
耳元で囁かれた言葉に、彼はほとんど私の思考を読んでいるのだと理解する。これではいくら誤魔化しても無駄だ。覚悟を決めて、私はアレクサンドを睨み返した。
「っ結ばれてほしいです!」
私は思い切り息を吸い込む。
「本当は一緒になって欲しいです! そうしたら、私とアレクサンド様の婚約解消を手伝ってもらえると思って。それに、イザベラだってずっとアレクサンド様が好きな様子だったし、私は別にアレクサンド様に不幸になって欲しいわけでもないんです。だから、イザベラとアレクサンド様が結ばれてくれたら一番いいと思って……」
耐えきれず、思っていることを全部言ってしまった。これ、どうなってしまうんだろうかと一気に怖くなる。休憩室のドアは空いているが、私たち以外誰もいない環境で本当に良かった。誰かに聞かれていたらどうしよう。
「……ふーん?」
恐る恐る彼を見ると、再び背もたれに背を付けて足を組んでいる。その表情は変わらず笑顔だが、先程までの圧のある笑顔とは違う、好奇心に満ちた、どこか楽しそうな笑顔だった。
「なるほどね」
「……アレクサンド、様?」
私は彼の反応を測りかねて、思わず名前を呼んだ。
「悪いけど、私は勝算が無ければ動かないよ」
「……じゃあ、勝算があれば動くんですか?」
笑顔が解かれ、彼の視線が明後日の方へ向く。考え事をするように頬杖をついて顔を隠しているが、その頬に赤みがさしているのが見えた。普段の彼からは想像もつかない、珍しい反応だ。
「……それは、まあ」
アレクサンドは誤魔化すように小さく咳払いをする。
「察してくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます