回答
小テストの日は、あっさりと終わるのだった。
数学の授業は月曜日の二限目。
そのせいで、いつもけだるな茂は緊張が重なって、駄々口が一段とうるさかった。
「うぇえーん、めんどくさいよー!」
「たかが小テストだろう…」
俺はいつものようにそれを流していた。
他のクラスメイト達もそのうち混ざって、互いにめんどくさいやらヤバイやら、色々こぼしていた。
全員、茂につられて共感し合っていた。
さすがクラスのムードメーカーって、思わず苦笑いをしていた。
彼らが談笑しているところ、俺は復習しながら芝目の方をちらりと見る。
机にうつ伏せになって、寝ているように見えた。
しかし、肩の揺れは、彼女の心配している様子を語ってくれていた。
…こういう時こそ俺が話掛けに行くべきだよな。
……なんて言えばいいかは、一切わからないけれど。
結局、行こうと思っても、簡単には行けなかった。
片足だけ机から出て腰をあげようとする。けど、片足は硬くなって床から離れようとしなかった。
自分の頭の整理もあったが、席回りの談笑が俺にまで話が飛んできた。
「坂田君はいいんよな、頭いいからさ」
「いや、大袈裟だよ」
誰が言ったのかを把握できずに心半分に返事した。
その割に会話はそのままつながって流れる。
みんなの話が俺を巻き込んでいるように感じてしまった。
「昨日勉強してねぇー」「あの式まったくわからん!」「小テストだから、赤点ないよね?ね?」
それが休憩時間にも続いて、二限目になるまで俺を引き留まらせていた。
……何を言っているんだ、俺…ただチキっているだけだ。
みんなが声をかけてきていることを言い訳にして、動かないでいるだけだった。
そのまま二限目になると、先生が教室に入るとともにテストの始まりの知らせが飛んできた。
教科書やノートをカバンにしまう音、そしてテスト用紙のぱらぱらした音。
しばらく続く沈黙の後、先生の合図が来た。
「今から30分な。スタート。」
テストの内容は知らされた範囲の通りで、わからない問題はなかった。
すぐに解けるものを流れ作業のように欄を埋めて、少し時間をかけて考える必要のあるものは後回しに。
難しい問題になった時には、俺は茂の後ろ姿をちらつかせた。
頭を掻いて小さくうねるも、腕の動きからして鉛筆はずっと止まっていなかったように見えた。
わからない問題はないはず。きっと大丈夫だろう。
そして気になって今度は芝目の方。
少し離れているせいでどんな風にテストに取り組んでいるのかが見えなかった。
しかし、見回っている先生が芝目の元に一瞬とどまった時、胸のざわついた感覚を覚えた。
芝目さん…大丈夫かな……
***
あの日はそのまま、結局芝目に声をかけずにいた。
テストの後、答え合わせの話が俺の席で賑わっていた。
覚えている限り問題を白紙に書いてノートと照らし合わせてから、俺の方にどうだったという質問が飛んで来たりする。
流れるように考えて答えると、喜ぶ声と嘆く声が席回りにできた島に響き渡るように感じた。
耳を刺すように響いた。
テストの後、授業の休憩時間になる途端どこかへ芝目は姿を消していた。
完全に話しかけるタイミングを、その日逃してしまった。
翌日に数学の授業があり、小テストの結果が返ってきた。
名前の順番で呼び出され、とんとんとテスト結果が渡されていく。
ある人は小さく「うわぁー」と声をあげる。ある人は喜んで笑い声を押さえる。
俺の番が回ると、引き受けるときに先生が一言を小さく一緒に渡した。
「惜しいよ、坂田君。計算ミスで減点だった。次は気を付けてください」
用紙に書かれる点数を見ると「18/20」と書かれていた。
さらってみると、確かに計算ミスをした一か所があって、それにつられて出した回答も間違えてしまった。
茂は後に続いて結果を渡され、彼はほっとしたような溜息をもらしていた。
「な、あっきーはどうだった?」
「お前からだ」
俺が言うと、茂は得意げになりながらテーブルに置いた。
点数は「16/20」だった。
「僕にかかればちょちょいのちょいだ!あっきーに勝ったんじゃない?」
どこでそんな自信が湧くんだよ、こいつ……
無言で俺の結果用紙をテーブルに広げて見せ、点数に指をさした。
茂の顔は得意げなまま固まって、スッと黙り込んだ。
変に浮かれる罰だ。
そんなくだらないやり取りをしているうちに、芝目の名前がスッと出た。
教室の空気は特に変わっていなかった。
だけど俺は、なぜかざわざわした感覚が胸を締めつけていた。
芝目はゆっくりと先生の方へ近づいて、テスト用紙を受け取るように手を伸ばす。
先生の表情は読み取れないもののまま、無言でそれを渡していた。
受け取った途端、芝目の肩が落ちた。
点数のところを折って、彼女は静かに席に戻った。
そして何事もなく、次の名前が呼ばれる。
一か所の曇りに、誰も気にしないで、みんなは流れていた。
俯いた芝目の後ろ姿を見て、鋭く痛む感覚がこみあげていく。
何もしていないのに……いや、何もしていなかったからこそ、芝目がこうなった。
強く、鋭く、そうと俺は感じてしまった。
「よし。どうやらみんなは一つの問題で手間取っている様だから、今日はそこの復習して終わる。ノートを開いてください」
先生の呼びかけとともに、授業の再開。
一テンポ遅れて俺の体は流れるように動いても、目は芝目から離せなかった。
向こうも同様に動くけど、先週の元気のなさがずっと残っているようだった。
そのせいで、先生が教卓で話している問題の内容が一切耳に入らなかった。
かっこつけて決断したくせに、何やっているんだ俺は……
話しかけるだけ。たったそれだけでよかった。
芝目ができたことを俺が返せていない。
『…また……よ、よろしく……お願い、します』
芝目の挨拶の後の言葉が脳裏をよぎる。
矢のごとく俺の胸を貫くような痛みがまた走った。
あの人が俺を信じてくれていた。
それにこたえてあげないといけない…いけなかった。
俺がチキったせいで、それを裏切った。
……とうとう、自分が嫌いになってきた。
授業が続く中、集中が途切れてしまう。
このままではダメだ。何度もそれを理解していたはずだ。
三門にも茂にも言われてきたんだ。
島村にすら素直になれていないってことを突かれていた。
あの日の生徒会室の日を思い出せ……芝目が勇気を振り絞っていた。
……俺だけしないなんて、彼女に不公平だ。
タイミングよく先生の説明が終わるとともにチャイムが鳴った。
「では、次の授業はゴールデンウィークの後。しっかり休んで、また休み明けに頑張りましょう。」
先生が言い残し、教室を去った。
いつも通り、休憩時間に教室の賑わいが部屋を充満していた。
誰もが一か所の空気に気にしないでいた。
芝目は、机に顔を埋めたまま動かなかった。
教室のざわめきの中で、その小さな背中だけが沈黙をまとっていた。
「はぁ……なんかドッと疲れたよー…ね、あっきー?」
茂が席に座ったまま後ろに体を回す。
だけど、俺の視線に気づいたか、それ以上に話を求めてこなかった。
代わりに、茂は俺の肘を突いて、促すように芝目の方へ顎を傾けた。
「行きなよ」
そうだ。行くべきだ。
「…ああ……行ってくる」
重い腰をあげて、踏ん張るように足を前に出す。
緊張はあるもの、彼女の勇気を思い出してそれを振り払った。
行け、チキン!
彼女が見せた勇気を見習って、俺も踏み出すべきだろうが!
気分を落ち着かせる一息を吸い込み、吐くころに芝目の席についた。
俺に気づいたか、肩は小さく跳ねた。
だが、まだ顔をあげなかった。
ごめん、芝目さん……俺を信じてくれたのに、応えてあげなかった。
これからはちゃんと、応えるようにするからな。
「芝目さん、大丈夫か?」
俺が言い出す。
すると、またびくりと肩は小さく揺れた。
そして、わずかに身を起こした。
顔は俯いたまま、視線は俺の方に向き始める。
「……う、うん…」
蚊の羽の音ほどに小さな声。
それとともに、彼女は手を拳に握りしめた。
つられて俺も手を丸めた。
こんなに弱っている芝目は…もう見たくない。
その心の声が耳に強く響いた。
「そうか…」
胸の奥から何かが突き上げた。もう黙って見ているだけはできない。
今まで思ってきた守りたい気持ちを、貫いて見せる。
俺の第一歩は、この言葉として宣言する。
「あのさ…よかったら、一緒に勉強しようか?茂ってやつの勉強も見たりしてるんで、教えるのに自信はまあ、あるんだ」
咳払いして裏返りそうな声を押さえる。
それが言えたあと、しばらく沈黙が続く。
俺が出た行動を意外に感じたのか、教室の談笑の音も何段か鎮まったように感じた。
彼らには、芝目の声は届いていないだろう。
ゆっくりと顔をあげて、目を合わせてくれた。
それが一瞬だけ、すぐに視線を逸らす。
その一瞬に、目元が滲んでいることに気づいた。
「……は、はい…」
声は教室の残っているざわめきに消えかけた。それでも俺には届いた。
すまなかった、芝目。
独りにして、ごめんなさい。
もう、一人にしない。
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