それでも世界は回る
金曜日の最後の授業が、チャイムとともに終わる。
溜息をつきながら俺は筆記用具を片付け始めると、茂は勢いよく立ち上がる。
「んじゃ、また来週」
逃げられる前にそいつの肩を掴んだ。
勉強を教えてって言っておきながら、逃げる気かよ…
「どこに行こうというのかねぇ…」
指に力を少しだけ入れて、俺は茂の後ろに迫るように近づく。
「んああー!勘弁してくれよー!週末はもうやる気ないよ!」
「小テストは月曜日だろ」
「うぅ……」
まったく、こいつはいつもこうだ。
やり始めさえすれば真面目にやるのに、その前が一番めんどくさい。
昨日は泣きつくほどに助けを求めてきたくせに……調子のいい奴…
観念したように椅子へ座り直した茂の横で、俺はふと視線を上げた。
芝目が静かに荷物をまとめている。
いつも通りのはずなのに――元気がないように見えた。
立ち上がった彼女は、そのまますっと教室を出ていく。
声をかけ損ねた俺を横目に、茂が小さく言った。
「行きゃいいのに」
図星を突かれ、顔をしかめた。
……またチキンって言われるな、これ。
溜息を吐きながら荷物をまとめ、茂の肩を軽く叩いた。
「ほら、行くぞ」
「へ?どこに?」
「図書室だよ。念願の勉強会だ。」
「うぅ……わかったよ……」
ぶつぶつ言いながらも、結局ついてくるのがこの人だ。
廊下に出ると、芝目の姿はもうなかった。
どこか期待をしていた分、肩が落ちた。
……次こそ、俺から話しかける。
そう決めながら、俺たちは図書室へ向かった。
***
廊下は談笑でにぎやかだった。ゴールデンウィークの予定を語る声があちこちで飛び交っている。
横を歩く茂も、さっそく便乗する。
「せっかくだし、三門や島村も誘って遊ぼうよ」
カラオケももちろん、ボウリングもやりたい、新しくできたボルダリングジムも行ってみたい、と。
あれやこれやの店を、どうやら茂は調べていたらしい。
趣味多彩、もしくは何にでも手を出したがる茂。
楽しそうで、俺もつい笑ってしまう。
そんな話をしているうちに、図書室についた。
中に入ると、三門はカウンタ―で作業をしているところだった。
顔をあげると、俺がいることに驚いたようで話しかけてきた。
「あれ?坂田、お前今日当番だっけ?」
「いや、違う」
俺の後に続いて入ってきた茂を見て、三門はすぐに口角をあげた。
「ああ、宿題を見てもらうってわけか」
「それも違うよ」言いながら得意げに胸を張り始める茂。
「聞いて驚け!真面目に勉強しに来たんだ!」
泣いて、渋って、今度は自慢げに真面目ぶっている。
本当にいっそがしいやつだよ、この人。
三門はしばらく黙り込んで外を伺うように窓を見る。
「空からカエルでも降ってきそうだな」
思わず鼻で笑ってしまった。
「……ねえ、あっきー…こいつひどくない?」
まあまあと俺はなだめる。三門も観念したらしく、小さく笑ってから机を指さした。
「はいはい、悪かったよ。好きに座れ。カウンターで見張っとくから」
不満げになりながらも、茂は一緒に席についた。
ノートとプリントを広げ、しばらくは真面目に問題と向き合った。
茂は「へぇー」「なるほどー」と相槌を打ちながら、わからないところを突いてくる。
人に教えることで自分の復習にもなる。面倒どころか、むしろありがたいくらいだ。
そんなやり取りが続いたあと、茂が急に声を上げた。
「あのさ、あっきー」
「なに?わからないとこあった?」
「……いやいや、数学から頭離れてよ」
顔をむっとする茂に思わずため息が漏れた。
「小テストの勉強だっつうの…はぁ……」
三門は顔をあげず、カウンターから口をはさんだ。
「聞いてやれよ。鳥って集中力が短いんだよ」
少しだけ間をおいて、茂は三門に向いた。
「……遠回しに鳥頭って言っていない?」
「気のせいだよ?」
「むぅ……」茂は頬を膨らませて机をとんとん叩いた。
「せっかく芝目ちゃんがあっきーに話しかけたってこと教えようと思ったのに、もう話さない!」
「ちょっ!?」
慌てて乗り出すが、時はすでに遅し。
三門はようやく顔をあげ、にやりと笑った。
「ほぉー……へぇー……。またランデブーしたのか。いいじゃないか、この隙の無い野郎。」
熱がじんわり頬にのぼる。
いつもの調子のからかいだったはず…だけど不思議と嫌な感じはしなかった。
誇らしげな色がその笑みに混じっていたからだ。
「……っ…ま、まあ…」
なんだか複雑な気持ちになって、頬を掻いてしまう。
俺が大して噛みつかないのを見て、三門は笑みを和らげる。
「その調子なら勉強会に誘えばよかったじゃないか?」
「そうなんだよ!いえばよかったよね、あっきー!」
さっきまで拗ねていた茂まで、意気投合して頷く。
放課後、教室をすっと出ていった芝目の背中がよぎった。
沈んだ肩の線。元気のない様子。
……本当は、小テストに不安を抱えていたのかもしれない。そう思った瞬間、胸が重くなった。
ちゃんと声をかけるべきだった。
三門の声が静かに落ちる。
「流れに任せたら、せっかくの歩みも霧の中に消えちまうぞ」
その言葉が胸に刺さった。
いつの間にかカウンターから寄ってきて、肩に手を置いた三門が、いつもの調子で笑う。
「な、チキン?」
「……はいはい」
軽く小突き返しながら、俺は拳を握った。
来週こそ、俺から芝目に話しかける。
それだけは決めておく。
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