第2話

降りしきる冷たい雨が、容赦なく体を打ちつける。

王都の門を一人で抜けた俺に残されたのは、擦り切れた服と、腰に差した一本の錆びた剣だけだった。


「クソッ……クソッ! なんで、俺が……!」


ぬかるんだ道に足を取られ、何度も転ぶ。

その度に、謁見の間での嘲笑が脳内で反響した。

悔しさと情けなさで、涙が雨に混じって頬を伝う。


行き先などない。

追放者が行き着く場所は、決まっている。

魔物が跋扈し、生きては戻れないと噂される『忘却の森』。

死に場所としては、お似合いなのかもしれない。


三日間、森を彷徨い続けた。

雨は一向に止む気配がなく、空腹と疲労で意識が何度も遠のく。

アリアの冷たい瞳。カインの嘲笑。

裏切りの光景が、亡霊のようにまとわりついて離れない。


「グルルル……」


その時、茂みの奥から獣の唸り声が聞こえた。

ゆっくりと顔を上げると、そこにいたのは三体のゴブリン。

緑色の醜い肌、飢えた目で俺を睨みつけ、涎を垂らしている。


「……ああ、そうか。死ぬのか、俺は」


もはや抵抗する気力もない。

錆びた剣を杖代わりにして、なんとか立ち上がるのがやっとだった。

ここで魔物に食われて死ぬ。

それが、聖剣に選ばれた男の末路。

笑える結末だ。


「シャアアアッ!」


一体のゴブリンが、棍棒を振りかぶって襲いかかってきた。

ゆっくりと目を閉じる。

痛みを感じる間もなく、終わってくれ。

そう願った、その瞬間。


キィィィィン――!


頭の中に、冷たい機械のような音が鳴り響いた。


《生存への渇望を確認。条件(トリガー)を満たしました》

《スキル【無限模倣(インフィニット・コピー)】が覚醒します》


「……は?」


《対象:ゴブリン。スキル:剣術(初級)を模倣(コピー)します》


次の瞬間、俺の身体は意思に反して勝手に動いていた。

死を覚悟して閉じたはずの目が開き、振り下ろされる棍棒の軌道を完璧に捉える。

一歩、横にずれる。

それだけの動作で、棍棒は空を切り、俺の身体を掠めもしなかった。


「な……んだ、これ……?」


自分の身体じゃないみたいだ。

手にした錆びた剣が、まるでずっと使い込んできた愛剣のように、しっくりと手に馴染む。

目の前のゴブリンの次の動きが、まるで未来を予知しているかのように、はっきりと頭の中に浮かび上がった。


「グギャッ!?」


考えるより先に、腕が動く。

錆びていたはずの剣が、鋭い軌跡を描いてゴブリンの喉を正確に切り裂いた。

鮮血が雨に混じって舞い、一体目が悲鳴を上げて崩れ落ちる。


動揺する残りの二体。

その隙を、俺の身体は見逃さない。

駆け抜けざまに一体を斬り伏せ、最後の一体は振り返りもせずに背後へ剣を突き出した。

心臓を貫かれたゴブリンは、声もなくその場に倒れ伏す。


一瞬の出来事だった。

あまりに非現実的な光景に、息をすることさえ忘れていた。


「グルオオオオオッ!」


茂みの奥から、一際大きなゴブリンリーダーが姿を現す。

その手には、俺の胴体ほどもある巨大な斧。

だが、もう恐怖は感じなかった。


《対象:ゴブリンリーダー。スキル:統率(下級)を模倣(コピー)します》


再び、頭の中に声が響く。

次の瞬間、リーダーゴブリンの思考が流れ込んできた。

威嚇し、隙を作り、仲間がいたはずの方向へ追い込み、挟み撃ちにする。

そんな単純な戦術が、手に取るようにわかる。


「お前の動きは……全部見えた」


俺は、笑っていた。

絶望の淵で、初めて浮かべた笑みだった。

斧が地を揺るがす勢いで振り下ろされる。

俺はその衝撃風を逆に利用して懐に飛び込み、錆びた剣を逆手に持って、リーダーの剥き出しの心臓を一突きにした。


「グゴアアアア……」


巨体が、地響きを立てて倒れる。

森に、静寂が戻った。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


激しい疲労感に襲われ、俺はその場に膝をつく。

手のひらを見つめる。

スキル【ゴミ】じゃなかったのか?

【無限模倣】……?

あらゆるスキルを、写し取る力……?

これが、俺の本当の……


「すごい……」


その時だった。

凛とした、透き通るような声が背後から聞こえたのは。

弾かれたように振り返ると、そこに立っていたのは、銀色の長い髪を雨に濡らした、神秘的な雰囲気を持つエルフの少女だった。

彼女は驚きに翠色の瞳を大きく見開き、俺と、倒れたゴブリンたちを交互に見つめている。


「あなた、一体何者……?」


少女の問いに、俺はすぐには答えられなかった。

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