絶対にちゅーちゅーしたい冷血メイドさんとその眷属のお話

@shovel

第1話

 私は檜扇(ひおうぎ)あかり。

 苗字がちょっと変なだけの、それ以外は至って普通の女子高生である。

 明るいピンク色のショートボブに、耳に開けた銀のピアス。

 よく周囲の視線を集めるGカップの胸と、生まれつき色黒の肌。


 お気に入りのミントキャンディを常に40個くらいストックしていないと落ち着かなくて、中学の頃に柔道の個人戦で県大会の決勝まで行ったことのあるような。

 ただそれだけの女子高生。


 それが私、檜扇あかり。

 至って平凡である。


 ――『こいつ』に比べれば。



「お嬢様。血を吸わせてください」


「あーもー! 嫌っつってんでしょ、馬鹿!」


 朝。電車の時間が迫るクソ忙しい中、玄関で靴を履きながら、私は自分の後ろへ怒鳴りつけていた。

 怒鳴りつけた先。

 そこには罵声を浴びせたにもかかわらず、玄関にたたずむ氷のような無表情をたたえたメイドがいた。


 浮世離れした人とはこういう奴のことを言うんだろう。

 実際、そのメイドは異世界から抜けて来たような見た目をしていた。


 年齢は二十代くらい。日本人離れなした色素のない白い肌に腰まである銀髪。

 ゲルマン寄りの彫りの深い目鼻立ちと、くすんだ紅い輝きを宿す切れ長の瞳。

 顔だけでもまるでファンタジー映画じみている。


 さらにそんな整った顔のすぐ上の頭の頂点にはメイドさんがよくつけるひらひらのフリルのついたカチューシャがあり、姿勢の良いモデルのような瘦身には今時アキバでもあまり見かけないスカート丈の長いクラシカルなメイド服ですっぽりと覆われていた。


 怜悧な氷の刃を思わせるそのメイドの姿を見ればさぞ、人はいろんな想像をするに違いない。

 さらに女性としてあまりに魅力的な顔立ちも、その想像に拍車をかける。


 あと胸も私と同じくらいデカいし。

 まぁ、その……女である私でもエッチなことを多少なりとも考えてしまう。

 とはいえ、そんなクールなメイドさんから飛び出す言葉はいつも同じだ。


「そんな……今日も血を吸わせてくれないのですか?」


「はぁ……」


 平均的な日本家庭におよそ馴染まぬメイド服の女性が本気で首をかしげるさまに私はげんなりする。


 ―—そう。このメイドは『吸血鬼』なのだ。


 やがてげんなりする私は現在進行形で身に降りかかる不条理を飲み込み、口を開くとメイドへまくしたてる。


「今日も無理! つか一生無理! ず~っと無理なの! じゃあね! いってきます!」


 バンッ!


 言うだけ言って私は後ろ手に扉を閉めて私は外へ出て、すぐさま駅へ向かう。


「あーもう、最悪! 電車乗り遅れちゃうし!」


 身の不条理に対する不満を思わず叫び、散々な気分で私は駅までの道を急ぐ。


 ――私に降りかかる不条理。

 それはまさに先ほどの吸血鬼の事だった。


 吸血鬼、ヴァンパイア、ノスフェラトゥ。

 呼び方は何でもいいがとにかく、私の家には吸血鬼が家政婦(メイド)として住み着いてしまっていた。


 キッカケは今から四か月前の事。

 単身赴任で海外に行っていた父が赴任先で別地域への転居を命じられ、その引っ越し手続きや準備を父の仕事の傍ら手伝うということで母も数か月ほど海外へ向かうことになった。


 私としては、一人でも問題なかったのだが、母は大いに私を心配したらしく、方々に電話をよくかけ色々と手を巡らせていた。

 まだ子離れできない親なのか、いつでも親とは心配性なものなのか。


 そしてついに父のもとへ向かう当日の早朝、一式を詰めたキャリーケースを持ちながら母は寝ぼけ眼の私にこう言った。


『実はね、黙ってたんだけどお母さん、ある吸血鬼さんの眷属なの』


『……は? けんぞく?』


『だから、その吸血鬼さんに私がいない間のあなたのお世話を頼んでおくわね』


『はい?』


『それじゃあね、くれぐれも吸血鬼さんと仲良くね』


『いやあの』


 問答無用。

 母は飛行機の時間があるからと足早に行ってしまった。


 一方で私は寝間着姿で立ち尽くして、言葉を失う。

 そして数時間後。やたら美人なメイドがピンポン鳴らしてやって来た。


『初めまして。吸血鬼のミキュール・コールドブラッドと申します。本日からあなたのお母さまから身の回りのお世話を仰せつかりました。何卒よろしくお願いします、お嬢様』


 その時の私は人生で初めて、ギャグマンガじみた横転をしていた。

 何しろ吸血鬼なんてファンタジーな生き物、実在すらしないと思っていたところに吸血鬼が家政婦としてやってきたのだ。


 しかし、その吸血鬼——ミキュールに、いろいろと証拠を見せられればいやでも認めざるを得ない。


 銀製品や日光に触れると、急速に黒ずんでゆく汗一つかかない生白い肌。

 影に入ると巻き戻しの映像を見るかのように白さを取り戻して復元する様子(顔や手には日焼け止めを塗っているから大丈夫だという)。


 それになにより、一番驚いたのは――。


『ええ、お母様は以前私の住む国へ来られた際、私が血を吸って眷属になっていただきました。それ以来、私はお母様の視覚を一部共有していましたので、お嬢様の事も一通り知っています』


 そう言って、その吸血鬼メイド・ミキュールは初めて入ったハズのうちのリビングで慣れた様子で湯を沸かしながら、キッチンの戸棚から買い置きの紅茶のティーバックを取り出していた。


 眷属。その言葉の意味はよく知らなかったが、後で学校のファンタジー系に詳しい友達に聞いたところ、その手の界隈では結構ポピュラーな用語らしい。

 眷属というのは吸血鬼に吸われた人間のことで、吸われた人間は同じく吸血鬼となり、下僕となって力の一部を与えられたりするらしい。


 つまり、うちの母も吸血鬼だったようだ。

 そういえば最近、妙に肌が白くて若々しくなったような気がする。


 とはいえ、普通に母は最近もずっと普通に日焼け止めなしで日光の下に出ていたが、と言うと、「個人差がありますからね」と言いのけた。化粧品のCMかよ。


「はぁ……」


 そんなわけで、今、私は吸血鬼のメイドに世話になっている。

 電車に無事乗り込めた私は安堵のため息をついて、自分のことを改めて振り返るが、すぐに首を振って、思考を変えるように流れ馴染めた車窓の景色を見つめる。

 考えても仕方ない。


 母が吸血鬼の眷属であることや、その母の主であるはずの吸血鬼がなぜメイドとなって下僕である眷属の娘である私の家に来ているか。そんなことを色々考えても本当に頭がおかしくなるので、私はその日から考えるのをやめていた。


 考えるのをやめれば、色々と快適だ。

 何しろ吸血鬼であることと除けば、ミキュールの家事は完璧なのだ。


 料理、洗濯、掃除。

 作る食事は和食洋食問わず、国際色豊かで美味しく、おかずは多いしバラエティも多い。


 家は母がいるとき以上にきれいに保たれ、私がいる間はおとなしくしており、求めれば家事の合間に適度に話し相手になってくれるし、一人になりたいときはプライバシーを尊重してくれる。


 家族と世話役の中間のような、絶妙な距離感を常に保ってくれる素晴らしいメイドだった。

 ただ、たまに隙あらば血を吸わせてくれと頼んでくること以外は――


「そういうところは、やっぱ吸血鬼なんよね……母さんに続いて、私も眷属にしたいのかな?」


 言いながら、私は学生カバンの前ポケットからジップロックに詰めた大量のミントキャンディから一つを取り出し、口の中で転がした。

 鼻からすーっとしたミントの香りが通り抜け、徐々に思考をクリアにしていく。


 そうしてまもなく、電車が学校の手前の駅に着き、同じ制服の別の学生たちや乗客がぞろぞろと乗り込んでくる。

 乗客の中には私の事——主に私のおっきい胸を見て、驚きに目を見開いたり、そらしたりする。


 けど、ミキュールに比べれば、つくづく私、檜扇あかりは平凡な高校生だと思う。

 人が多いせいか車内が話し声で、徐々に騒がしくなってくる。

 それを目にとめながら私は胸ポケットからイヤホンを取り出してそっと耳に着け、スマホを取り出し、電源を入れる。


 画面にはいくつもメッセージアプリの通知が来ていたが、私はそれにはとりあわず、音楽アプリを立ち上げ、再生させる。

 すぐさま耳元から心地いい軽快なギター音やドラムスのイントロが流れ出し、周囲の雑踏をかき消してゆく。


 ――今日のミキュールの作ってくれたお弁当のおかず、何だろな。


 とりとめもないことを考え、やがてゆっくりと電車が動き出した。



 放課後。

 柔道部の部活が終わって家に帰るといつもの光景が私を出迎えた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「うん、ただいま」


 玄関。きれいな姿勢で一礼するメイドに私は靴を脱いで、カバンを預け、その横を通り抜けていく。

 このままお風呂場へ向かって、用意してくれているであろうお風呂に入って、そのあとに晩御飯。


 母がいた時と同じ、いつもの決まったルーティーンだ。


 その途中、私はふと「あ」、と足を止め、振り返る。


「そうだ。ねえミキュール」


「はい、なんでしょう。もしかして血を吸わせてくれるのですか?」


「いや吸わせないけど……。ミキュールってさ、なんで私の血を吸いたいワケ?」


「吸いたいからです」


 即答。すごくまじめな顔で言い切られた。直球すぎる。


「なにそれ理由になってないじゃん。……あーもういいや、お風呂入ってくるね」


「はい。そのあとは、すぐにお食事にされますか?」


 丁寧な確認。いつもそうしているのにかかわらず、ミキュールはわざわざ聞いてきてくれる。私はうなずいた。


「うん。そうする。そんじゃね」


 学生カバンを抱えるミキュールにひらひらと手を振って、私は脱衣所へ向かう。

 やがて、私はスマホを取り出してバスタオル置き場の上にのせ、制服のブラウスのボタンへ手をかける。と、バスタオルの上に乗せたスマホがブゥンと振動した。


 見れば画面にはメッセージアプリの通知がひっきりなしに来ていた。

 それは部活のグループチャットで、誰かがクラスの男子の話題を出したらしく、それがえらく盛り上がっているようだった。


「……はぁ」


 私はひっきりなしに通知が続くスマホの電源を切り、制服のブラウスのボタンを外して脱いでゆく。


 ――まったく、今日の私はため息ばっかりついている。



「友人が欲しいからです」


 リビングでの晩御飯の最中。私が晩御飯のパエリアに入っていたエビの頭をむいていた時、キッチンから出てくるなりミキュールはふとそんな言葉を口にしていた。


「はい?」


「お嬢様は私がなぜ血を吸いたがるのかと先ほど聞かれましたね。その理由です」


「……ああ、あの話ね」


 すっかり忘れていた。今になって返事が来ると思っていなかったが。

 言ってミキュールはよそってきた湯気の立つジャガイモのポタージュスープの皿を置いて、温かい食事が並ぶ私の向かいに座る。


 ミキュールの前には何もない。

 これもいつもの食事のスタンス。


 ミキュール曰く、吸血鬼は基本的に食事は出来るが、不死らしくとらなくても平気らしい。

 ただ、さっきのミキュールの言葉はいつもと違い、さすがに違和感がある。

 なにせ、ミキュールは吸血鬼関連以外のことで自分のことを話すことは今までなかったからだ。


「でも、友人が欲しいってどういうこと? ミキュールって不死なんだし友達だって、多いんじゃないの?」


 吸血鬼なんだし、見た目若いけど、案外多分私の人生の倍くらいは生きてそうではある。しかし、ミキュールは静かに首を振った。


「私は吸血鬼としてあまり年を取っていません。今で百九十二歳と十一カ月……吸血鬼で言えば赤ん坊のようなものです」


 倍ほどじゃなかった。十分長ぇじゃねえか。

 思わぬカミングアウトにドン引きしていると、ミキュールは小さく目を伏せ、つづけた。


「現代の吸血鬼は基本的に孤独です」


「……孤独?」


 吸血鬼らしくないその言葉に思わず尋ねると、ミキュールはええと頷いた。


「お嬢様にはすでにこちらへ来た際にご説明したかと思いますが、我々吸血鬼は現代医学によって、それまであった多くの吸血衝動をはじめとする衝動は、薬で克服できる精神疾患となった……ということはご存じですね」


「うん。覚えてる」


 言いながら私は剥いたエビを丁寧に、スプーンの上によそった黄金色のサフランライスと合わせて食べる。うん相変わらず、ミキュールの料理はとっても美味しい。

 ああ、それと今日のお弁当のローストビーフや小エビのフリッターも美味しかったなぁ。

 メシの事ばかり考えながら私はミキュールとの会話を続ける。


「血を吸わなくてもよくなったから、今の吸血鬼って普通の人とほとんどかわらなくなったんでしょ?」


 もぐもぐ。


「ええ。ですが大勢いた他の吸血鬼はほぼすべてが自死を選び、今はほとんどいなくなってしまいました」


 ぴた、と。静かに、私の食事をする手が止まった。


「……え? 自死……って、自殺? え、なんで」


「それは我々が吸血鬼だからですよ」


 底冷えするように紡がれたその言葉に前を見れば、この世ならざる暗く紅い瞳が私をじっと見つめていた。


「お嬢様のような人間の方には理解できないかもしれませんが、治療によって欲求を絶ち、眷属を作る行為や、血で快楽を満たす行為がすべて必要のないものとなってしまうと、途端にそれまで吸血行為によって生きてきた吸血鬼は生きる気力が失せてしまったのです」


「……」


「とはいえ、気づいた時にはすでに遅く、ほとんどすべての吸血鬼は死んでいました。最後に残った吸血鬼はこの私と……」


「あなたの眷属になった私のお母さんだけってことね」


「ええ。あなたのお母様は、昨年、私と会った時に自分の血を吸うように言ってくれました」


「うん、そうなんだよね。それも覚えてる」


 それは四か月前にミキュールが教えてくれた話。旅行で行った国でお母さんは自ら、自分の血を吸わせたそうなのだ。

 ただ理由はあまり深く教えてくれなかったが。


「それは私が崖に落ちて自ら死のうとしていた時だったのです」


「……え」


 突然の理由を聞いて息をのむ。


「私は孤独でした。生まれたのはちょうど吸血衝動を完全に抑える治療法が確立され出した頃。それから百年ほどで、他の吸血鬼がすべて死に、父も母も失い……何の目的もなく、生きるだけの無限の日々……それを受け入れることは到底できないと悟ったのです。一人は……辛いから……」


 言葉を失う私の前で、ミキュールは訥々と語る。それは今まで、ミキュールがいたこの三カ月の間に一度として出なかったミキュール自身の告白だった。


「ただ、傍にいる友人が欲しかったんです。そう言うと、お母様は……」


「血を吸わせて眷属になってあげたってわけね。お母さんらしいわ」


「……そこには驚かないんですね」


「うん、お母さん結構向こう見ずだしね」


 ミキュールは氷のような相貌を珍しく驚きにわずかに歪めていた。

 でもやっぱり私はお母さんが吸血鬼に血を吸わせても驚かない。


 旦那の引っ越しを手伝いに言葉も文字も知らない国へすぐさま家を出ていくような人だから今更だ。不死になったとしても驚かない。


「それで? ……ミキュールは私の血を吸いたい?」


 静かな家のリビングにゆっくりトーンを落として、問いかける私の声が響く。

 そう問いかけた自分の声はまるで、子供を諭す母親のような声色で、こんな声をだした自分に少し驚いた。


 今までそれはミキュールやお母さんに言われてきたような言葉だったからだ。

 ミキュールは子供のように目を俯け、長いまつげを小さく伏せて頷いた。


「……はい」


「一人ぼっちは嫌だから?」


「……吸血鬼の私の力は、眷属にした者の視界を共有できることが出来るのは知ってますね」


 私はうなずいた。初めて来たとき、平然とリビングで勝手知ったるように紅茶を入れてくれた時のことを思い出す。


「この数カ月余り、私はあなたのお母様と視界を共有していました。娘と二人きりで暮らす、母親としての光景はずっと一人でいた私に寂しさを忘れさせ、新鮮な喜びをくれました。だから私はもっと眷属を作って、いろんな人の視界を見たい。そして――」


「馬鹿言わないで。眷属なんて、いいもんじゃない」


「え――」


 反射的に強く出た私の声。

 お母さんと同じで私も同情してくれると思っていたのだろうか。

 ミキュールの氷の相貌は見る影もないほど、驚きに引きつっていた。

 それでも私は言わなければならない。この吸血鬼にとって私が言わなければならない言葉を。


「ここで待ってて」


 そう言って、私は食べている途中の食器を残して席を立つ。

 残されたミキュールが椅子から立ち上がりかけ小さく声をかけるが、私はそれを制し、歩き出す。

 やがて戻ってきた私は、手に握ったそれをミキュールの前に置いてやる。


「これは……」


「私のスマホ。電源は入れてあるから。それの私のトークアプリ見てみな」


 困惑するミキュールは不思議そうに、細く白い指で私のスマホを触る。

 人間社会で長く生きていたためか、やはりある程度のスマホの扱い位は出来るようで、ミキュールはいくつか操作した。

 そして数分したころ、その表情が笑みにほころんでいく。


「わあ……。通知がいっぱい……。お友達がいっぱい話しています」


 開かれた切れ長の紅い瞳が大きく開き、スマホの電子の輝きを映しこむ。


「部活のグループチャットでしょ? うん、知ってるいっつもめっちゃ通知来てるから。ミキュール流に言えば、人間同士で作り出した眷属みたいなもの」


「他にもいろんなことを話してるグループがあります。すごい。いろんな人が……

 。これなら私もきっと」


「寂しいよ」


「え」


「グループに入ってるのも部活とか、同じクラスの女子とかの連絡用の奴だし、どいつもこいつも私と関係ない所でずっと盛り上がってる。でも、その眷属(グループ)に入らないと学校でハブられるから義理で入ってるだけ」


「そんな、」


「あんたの言う視界を共有できる眷属だっけ。これもそれと同じだよ。他人が他人とやり取りしてるのなんて見ても結局は他人事でしかない。ましてや、見ているものに自分が興味がなければなおの事。空しくなるだけ」


「……」


 言葉を失うミキュール。ようやく見えたと思った生きる目標を否定されて、絶望してるのだろうか。でも、そうじゃない。私は意を決して言った。


「多分、私もあなたと同じ。寂しいんだ」


「寂しい? お嬢様が?」


「うん。だって私ってこんなナリだし。結構学校では浮いてるんだ」


 ミキュールに会うまでの私は、正直に言うと変わっている人間だった。

 恵まれた体形に、柔道の素養。


 男子に声をかけられただけで同じ女子から陰口をたたかれ、部活でいい成績を残せば先輩から目の敵にされる。


 普段よく聞く音楽やミントキャンディの話題も誰とも合わないし、話す気もない。

 だから私は周りとの壁を作った。通学に乗る電車では同じクラスの奴とも誰とも話さないし、体を見つめる無遠慮な視線といっしょにシャットダウンする。


 しかし、今、私の眼はミキュールをまっすぐに見つめて――


「寂しさなんて、吸血鬼じゃなくたって誰にだってあるものだよ。そして、いくら眷属を得たところでその寂しさは変わらない。ミキュールもすぐに気づくはず。だから私はあなたに血を吸わせてあげない。眷属にはならない」


「そう、ですか」


 途切れて出たその言葉はどこか掠れていた。

 今度こそ本当に望みが絶たれたと思ったのだろう。

 そして私はそんなミキュールへ、


「——けど、私と友達になってくれるならいいよ。ミキュール」


 この数カ月、ずっと言いたかったことを言った。


「えっ」


 思わぬ言葉だったのだろうか。ミキュールは表情をぽかんとさせていた。

 なんだか今日のミキュールは驚いてばかりだ。でも、自分でもこんなことを言って驚いている。


 いつの間にか体が熱い。気づけば寝間着のTシャツを着ている私の体には緊張か、汗がたっぷり浮き出ていた。ああ、ほんとに何言ってるんだろ私。

 でも、決心した私は言葉を続ける。


「ねぇミキュール。あなたの言う友達って吸血鬼や眷属じゃないとだめなの? 人間の友達は友達じゃないの?」


 私はこの四カ月、この吸血鬼・ミキュールにメイドとして、よくされてきてもクラスや部活にいるときと同じく、適度な距離感を保ち接してきた。

 吸血鬼と人間。交わるはずのない関係。

 それはミキュールにとっても同じようだったようで、ただ、ミキュールは眷属としての関係を持つよう強制ではないにしろ主張して、互いに壁を作ってきた。


「そ――その、」


 戸惑うミキュール。

 けど、先に壁を壊したのはミキュールだ。

 だから私も言ってやる。


「私はミキュールが吸血鬼でも友達になりたい。家族でもいい。ただ血を吸われるだけでいいみたいな、学校の義理で入るような、そんな下らない眷属(グループ)なんかより、ずっといいと思うから」


 言いながら私は四カ月前、お母さんが赴任先のお父さんのもとへ向かう前に言った言葉を思い返していた。


『——くれぐれも吸血鬼さんと仲良くね』


 やけに念を押すような言葉。

 お母さんめ、肝心なことは行きがけの時なんかじゃなくて、もっとしっかり言ってくれればいいのに。


 お母さんはこの孤独な吸血鬼の事も、学校で浮いている私のこともきっと初めからわかっていたんだ。

 だから、あんなことを言った。


 私がこの人ならざる冷血な吸血鬼と友達になるように。


「あかり、さん……」


 聞いたことのないミキュールの声がする。けど、ミキュールの氷の相貌が今はどうなってるかわからない。


 見ようとするけど、視界が滲んでぼやけてしまっている。

 きっと今の私の顔は、メイクしている外と違って、ふろ上がりのすっぴんで更にぐしゃぐしゃで散々なことになっているだろう。


 けど、私は引きつりそうなのをこらえて、この四カ月ずっと言いたいと思っていたことをはっきりと言った。


「ミキュール。私はあなたと友達になりたいの」


 そして再びリビングに沈黙が落ちる。

 言うだけ言った私はもう目を伏せ、ミキュールの顔を見れなかった。

 そんな中、伏せた視界の向こうから優しい響きが耳に入ってくる。


「————あかりさん、私は……」


 その先に続く言葉は―—




 一か月後。

「ねぇー、そろそろ電車来るし、アタシ先行くよ?」


 開いた玄関扉の前から気だるそうな女の子の声。心底うんざりしているのであろう、その声の主は焦れたようにパタパタと靴を鳴らしていた。


「あーっ! ちょっと待ってよ、今行くから!」


 慌てて私は支度を済ませ、その声の主へ駆け寄る。


「はぁ……お待たせ、


 氷のような瞳をたたえた十代後半ほどの銀髪女子へ、私は声をかけた。


「遅すぎ。つか、はいっつもメイク長すぎ」


「しょうがないじゃん。前までミキュールがやってくれてたんだしさ、ほら日傘も持ってきてあげたよ」


「む……日よけ塗ってるから、いらないって言ってるのに」


「いいじゃん。似合ってるし、可愛いよ」


「うっさい」


 そんなやり取りをして私たちは二人一緒に駅までの道を話しながら一緒に歩く。


「あー最悪。もう五分しかないし、走って行こ」


 駆け足気味になりつつも、そう言うミキュールの片手はしっかりと日傘を差してくれている。

 私もそんなミキュールの後に追いつきながらうなずく。


「うん、いいけど。あ、ミキュール。そういや、今日お母さん帰ってくるって」


 するとミキュールは急に表情を笑みに輝かせ、


「えっ、お母様が⁉ あっ……」


「ふふ、久しぶりに聞いたかも。ミキュールのその口調」


「……あう、油断した……」


 イタズラに笑う私の前でミキュールは顔を真っ赤にして、律儀に赤らむ頬を押さえている。

 ころころと変わる表情。もう、氷のメイドの面影はどこにもなかった。


 ―—あの夜のリビングでの告白から一カ月。

 私とミキュールは晴れて友達となって、いつからか互いに名前で呼び合い、ミキュールはメイドという立場を捨てた。


 さらに友達になってからというものの、今までかなり遠慮していたのか、友達になって以来徐々にフランクな口調になって、家事は当番制となり、休みの日は一緒に出掛けるようになった。


 家事が振られるようになって、私は楽ではなくなったし、ご飯のおかずもワンランク程クオリティが落ちたが、それでも全く嫌ではなかった。


 また、驚くのは長い時を生きてきたミキュールの吸血鬼パワーなのか、ミキュールは私と同じ学校に通うといって、何と見た目の姿を十歳ほど若返らせ、さらにどこからか戸籍を手に入れては、同じクラスに転校。


 あれよあれよと、すっかり私の学校での日常に溶け込んでしまっていた。

 でも、不気味なほど白い肌に銀髪に赤い瞳というミキュールの吸血鬼特有の特徴は相変わらず残っており、それはたちまち通行人の目を引いた。

 けど――


「ほら、ミキュール」

 

 電車に乗り込んだ頃、私は後ろにいるミキュールに髪をかき分け、首筋をさらした。


「なに?」

 

 きょとんとするミキュールに私はにやりと笑って、


「血。朝、遅れたお詫びに今なら吸っていいよ」


「いらない」


 即答。すごくまじめな顔で言い切られた。そんなに否定されてもなぁ。


「それより」


「ん?」


「あかりのイヤホン片っぽ貸して。昨日、あのバンドの新曲サブスクに来てたよね」

 やけに詳しいなこの吸血鬼。てか、いつの間にか私と同じサブスク入ってるのか。


「結構変わってる感じの曲だけど……一緒に聴く? てか自分のスマホあるなら、自分ので―—」


「これ、あかりと一緒に聴きたかったんだ」


「……うん、そうだね。私も。あ、アメ食べる?」


「いい。今日はアタシが持ってきたから。パッションフルーツ味。たまには変わったの食べな。ほら、あげる。あーんして」


「私、甘いの嫌いなんだよね……」


「ふふ、知ってる」


 言って、アメを摘まんだミキュールの細く白い指が私の唇に触れ、私は突き出されるアメをなすがまま口に入れ転がす。

 やがて、ミキュールもその手で自分の分のアメを摘まんで食べる。


 そうしてゆっくりと電車は動き出し、やがていつものように次に止まった駅ではまた別の学生たちが乗り込んでくる。


 騒がしくなる車内で、半分しかないイヤホンではすべての音はシャットダウンできず、口の中に広がる味は甘ったるく、思考は全然クリアにならない。


 それでも―—


「ねぇミキュール」


 騒がしい車内。私はこっそり傍らで、長いまつげを伏せて曲に聞き入るミキュールへそっと声をかける。


「なに?」


 浮世離れした紅い瞳が私を見つめる。

 そして、私はそんな瞳からゆっくり流れてゆく車窓へと目をそらし、


「私、あなたと友達になれてよかった」


 そんな恥ずかしいことを言ってのけた。

 すると、騒がしい声や電車の走行音にかき消されながら、私にだけ聞こえるくらいの小さい声が聞こえてきた―—。


「……私もです、お嬢様」


 私は檜扇(ひおうぎ)あかり。

 苗字がちょっと変なだけの、それ以外は至って普通の女子高生。

 それが私、檜扇あかり。

 

 あと、吸血鬼と眷属ともだちになりました。





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