第26話 陰キャつながり
70年代男との再会にさほど時間はかからなかった。ホンさんの「守護霊みたいなものに」にふっとばされたことがよほど気に触ったのか、それもこれも全部、曽爾悠のせいだと理解したのか、70年代男は昼夜問わず頻繁に悠の前に現れるようになった。
とはいえ、70年代男の移動(?)できる範囲は限られていて、せいぜい文学部棟の出入り口周辺数十メートル、という感じだったので、邂逅ゾーン(と悠は呼んでいた)に入らない限り、70年代男にメンチを切られる恐れはなかった。
大学はほぼ夏休みに入っていた。「ほぼ夏休み」というのは、通常の講義は終わったものの、大学自体はそれで終わりではないからである。
学期末試験が行われる傍ら、最終レポート提出期間でもあり、一方で出張の多かった先生の授業の補講も行われているし、夏季集中講義も始まっている。そろそろ通信教育課程の夏季スクーリングも始まるので、その準備も始まっている。
つまり、試験を受ける者、課題作成のために図書館とコンピュータールームを往復する者、補講を受ける学生、集中講義やスクーリングのための準備に走り回る事務員が入り混じっており、一言でいうと学生は個別に緩急入り混じった日々を送っているというのが正解だ。大学が本当に静まり返るのは、おそらくお盆の前後くらいなものであろう。
悠はと言うと、試験が必要な科目はすべて終え、課題レポートも残りあと一つ、というところに差し掛かっていた。最後に残った「比較民俗学」はゼミ担任、郡山先生の担当講義でもあり、できれば良い成績を取りたかった。なので、悠は連日図書館に通い、指定された参考文献を読み耽っていた。ブッ…マナーモードにしたスマホが鳴る。ホンさんからLINEだ。
「今晩、一緒に晩ごはんを食べましょう」
「マジすか。また葛城先輩の家っすか」
「ちがいます!(困った顔文字)大学の近くに新しいお店できました。とてもおしゃれ」
「そのお店に行くんですか」
「行きましょね(はぁと)」
「おっけーっす!!!」ビックリマークを3つも付けてしまった。ホンさん引くかな。まあ、いいや…そう思いつつ、悠はニヤニヤが止まらない。
「じゃあ、19時に正門で」
「了解!」
やった…あともう少しで参考文献も読み終わる。課題の下書きは大体できているし、多分、仮説の通りの結論になる。コンピュータールームで少しだけ手直しして、今日中にオンライン提出できそうや。この課題を提出したら、文字通り、悠の夏休みが始まる。今年の夏休みは…もしかして俺史上最高の夏休みになるかも…そう考えた悠の心に隙が生まれたとしても、誰も責めることはできまい。
そう。この時の悠は隙だらけだったのだ。メモと課題の下書きを抱えた悠はルンルン♪でコンピュータールームに向かった。コンピュータールームは中庭を挟んで文学部棟の向かい側にある。
いつもの慎重な悠なら、文学部棟裏側の渡り廊下を通って社会学部棟に入り、社会学部棟の端の出口から大回りしてコンピュータールームに向かうという「令和の方違え」的なルートを辿ったであろう。しかし、そんな大回りをしていたら、課題作成作業が遅れ、最悪の場合、ホンさんとのデート(!)の時間に間に合わなくなるのだ。
しかもこのデートに成功するか否かが、悠の来る夏休みの充実度に深く関わっているのだ。弱冠20歳の身では、恋愛の成就が命よりも重要な時もあるのだ。
というわけで、悠はついつい鬼門ルートを通ったのだ。つまり、文学部棟の正面入口から堂々と出でしまったのだ…そして堂々と70年代男に遭遇した。そいつはじっと立っていた。まるで…まるで悠の登場を予期したかのように。
「マズい…」悠は思わず声に出した。もはや気づかぬふりはできないとは思っていたが、今日は正直会いたくなかった。18時とはいえ、夏の日はまだ高い。しかも明日からは夏休みだ。今日をしのげば、しばらく会わないで済んだ相手だったのだ。おまけにこれからデートなのだ…あまりにも迂闊だった。そう後悔した時は遅かったのだ。
どうする…とりあえず悠は徹底的に無視するというやり方を取ってみることにした。不機嫌そうな表情を作り、70年代男からできるだけ距離を取りつつ、向かい側の建物に向かって歩みを進めた。
がしっ。
数歩も歩かないうちにまた肩を掴まれた。悠のすぐ右側にヤツの顔がある。意外に小柄だ。悠の肩ごしにヤツの陰気な両目が見える。陰気…そうだ、陰気なのだ。コイツの目には表情がないと思っていた。なのに表情全体が醸し出す雰囲気は非常にネガティブなものだ。それはなぜなのだろう…と悠はずっと考えていた。今、その解が閃いた。
陰気な瞳。
陰キャ。こいつは…とてつもない陰キャ野郎だ。そうだ、コイツも陰キャなのだ。ちぇっ、俺と同じかよ…。
悠がそう思った瞬間、70年代男の唇が歪む。笑ったのだ。瞬間、悠にはすべてが理解できたような気がした。コイツが…俺に固執するのは、俺が「同類」だと思っているからだ。きっと、自分と同じ匂いを感じたんだ…。
「分かったよ。話くらいは聞いてやるから」悠は静かに答えた。
「オマエ、何がしたいんだよ。というか、俺に何をさせたいんだ」
「…」
70年代男の唇がさらに歪んだ。笑っているのだろうか。でも、悠には泣いているようにも思えた。コイツ…生前は気が弱かったんやろな…最初思っていたような学生運動とやらで死んだんじゃないのかも。そんな強面にも思えんわ…。
70年代男も学生の頃は、孤独なりに何かの夢があって、そしてそれが失望に変わって、この世を去ったのだろうか…悠はそんなことを考えていた。
70年代男は悠がじっと黙って自分を見つめていることに、やや驚いていたようだった。そして唇が動いた。
「…しい」
「え?」
「さ…び…し…い…」
「さびしい?」
「…」
70年代男は「さびしい」と言ったのだ。「さびしい」…そりゃそうだ。どこにも行けず、文学部棟の辺りをずーっと彷徨いている。もはや大学の都市伝説として語られるくらいだ。もう何十年もここにおるんやろ。
人が亡くなったらどこに行くのか。死んだことのない悠には分からない。でも、人はいずれ死ぬ。どんな生き物でも死は免れない。いつか来る出来事だ。生きている人間と死んでいる人間、そこには思うほどの差はないのかも知れない。
悠の子どもの頃の思い出が蘇る。家を売って居なくなった家族。その不在に気づかず家に居続けた老人の霊。家への愛着、家族への未練があったのだろうか。家に夫であり父親でもあった老人の魂を残したまま引っ越していったことに、家族は気づいていたのだろうか。半年もしないうちにどんどん薄くなっていった老人の影。彼は彼なりに次に進むべき方向に気づいたのかも知れない。待てよ、次に進むべき道ってどこにあるんだろう。そして…どこにつながっているんだろう。
悠は陰気な表情を浮かべた70年代男を前にして、死後の世界について考えていた。そして結論に達した。
「俺に言っても無駄だよ。だって俺は見えるけど、それだけだし」
「一緒に…」
「え?何だって?」よく聞こえなかった。
「一緒に行く…」
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