第18話 甘いカフェ・ラテ

「で?」葛城先輩が紙コップを片手に先をせかす。


 悠は、もう小一時間、メモを片手に喋り続けている。おまけに聞き手には日本語絶賛学習中のタイ人も含まれているため、「どゆ意味ですか?」が5分置きに入る。そちらへの説明も忙しい。


 「婿養子」の意味について、ホンさんに必死になって説明している間に、葛城先輩が学食隅の自販機に走って、カフェ・ラテを3人分買ってきてくれたのだ。


 「ありがとうございます!」


 「コープクン・カー」

 葛城先輩にお礼を述べたあと、ホンさんは両手で紙コップを大事そうに抱えて、一口啜る。嬉しそうだ。見ている悠まで幸せになる。


 「フナダマ…若い女の子なんやね」ホンさんが興味深そうに聞いてくる。

 「タイにもいます…メー・ヤー・ナーンっていうの」


 「へえ、そうなんだ。やっぱり若い女の子なの?」と葛城先輩。


 「ちょっと分からない。メーもヤーもナーンも若いイメージないよ」ホンさんによると、メーは「母」、ヤーは「祖母」、「ナーン」は既婚女性の敬称で「〜夫人」というような意味なのだそうだ。どれも女性を指す言葉だが、3つが合体すると、どこにも若い女性のイメージはない。特に「祖母」が。


 ただ、20年ほど前に、メー・ヤー・ナーンが主人公のテレビドラマが作られて、その時演じたのが若くて綺麗な女優だったので、その時からメー・ヤー・ナーンは若くて綺麗な女性、というイメージが出てきたらしい。


 「船霊が主人公のドラマって、ちょっとスゴいっすね」悠は素直に感想を述べた。



 「そうだね、でも私は生まれたばかりの赤ちゃんだから、そのドラマを知らないの」


 「そうなんですね。で、その、め、メー、ヤー…なんとかって」


 「メー・ヤー・ナーン」葛城先輩が訂正した。葛城先輩は一度でこの長いフォークタームを覚えたようだ。流石、葛城先輩。


 「そ、それっす。それって、やっぱり日本の船霊みたいに船を守るんすか」

 「そうです。メー・ヤー・ナーンを信仰している船は、舳先に色布を巻くからすぐ分かります。南部が有名だけど、川を渡る船も信仰している。軍艦も信仰しています」


 若い女性が船を守る信仰がタイにもあることを知って、なぜか悠はホッとする。なぜなら悠は寅吉の日記を読んで以来、こうした船乗りたちの信心を迷信と一蹴することができなくなっているからだ。まあ、実際に波香さんの家で、老いた寅吉らしい姿を見てしまった、ということもあるのだけれど。そして、ホンさんは外国人だけれど、同じ文化を共有するのなら、きっと馬鹿にしたり、面白がったりすることはあるまい。


 「岸を離れると海は異界だからねえ…」葛城先輩が呟く。「信心深くもなるわ」


「寅吉さんは、リッチな人のムーコヨーシになってそれでハッピーエンディング?」 


 ホンさんは「婿養子」に独特の抑揚をつけて発音した。可愛い。可愛ければすべてが許される。

 

 「曽爾君、ホンちゃんをウットリした目で見つめない。さっさと話を続ける」

葛城先輩からダメ出しが入る。悠はちょっと赤くなる。


 「まあ…夫婦仲は良かったようです。事業も拡大の一途で。寅吉さんが50代になる頃には、林田家の資産も倍以上に増えていたようです」


「そうなんだ。でも、林田さんの家で寅吉さんらしい老人と抱き合っていたのは、浦吉丸の船霊なんでしょ」お玉さんだっけ、と葛城先輩が確認する。


「そうなんですよ。50代になった寅吉さんは、またお玉さんに巡り合うんですよ」


 そうだ。寅吉の物語はここで終わらないのだ。


 50代になった寅吉は、持ち船を増やすだけではなく、水産物加工にも事業を拡大し、市内の何箇所からに缶詰工場を経営するようになった。事業は順風満帆で従業員数も増え、妻との間に4人の子どもに恵まれていた。悠たちが訪れた和歌山市内の豪邸が建ったのもこの頃である。


 そしてある日、若い頃に「かしき」として乗り込んだ浦吉丸が売りに出ていることを知る。もはや大型和船の時代も終わりかけていた頃だ。漁船も近代的な鉄製や鋼製の船舶にとって代わられ、浦吉丸も長いこと漁に使われることがないまま、港に係留されていた。


 寅吉は売り主の言い値より遥かに多くの金額を提示し、すぐに浦吉丸を買い取った。そして、浦吉丸の、船霊が埋め込まれた帆柱を切り取って、自室に運び込んだのだ。


 悲劇は、と呼んでいいのかどうかは分からないけれど、物語はここから始まったのだ。


 気づくと、悠は話しながら紙コップの中のカフェ・ラテをすべて飲み干していた。悠を見つめる二人の女性、4つの瞳。話に熱が入るのもあるけれど、密かに気になっている女性に見つめられる、というのは別の意味で体温上昇を招く原因になる。必要以上に喉がカラカラだ。


 「あ!」なにかに気づいたホンさんがいきなり立ち上がり、バッグを掴むとどこかに走っていった。しばらくして戻ったホンさんの手にはカフェ・ラテがなみなみと注がれた紙コップが握られていた。


 「悠君、はい!カフェ・ラテおかわり♪」


 そういうと、ホンさんは空になった悠の紙コップを片付けて、新しいカフェ・ラテを置いた。嬉しい…ホンさんがカフェ・ラテを奢ってくれた…!悠のテンションはものすごい勢いで上がっていく。


 「ホンさん、ありがとうございます!」


 「あっ」葛城先輩が小さく叫びそうになって、なんとか踏みとどまった。「あ」の形の口のままで声は出さない。


 悠は葛城先輩の小さな動揺に気づいたが、さして気にもとめなかった。悠は話を再開する前に、ホンさんが持ってきてくれたカフェ・ラテを一口啜った。


 うっわ…甘い…なんだこれ…。


 というか激甘…これは…甘いというか甘すぎる。どんだけ砂糖増量したんや…。ふと気づくと、葛城先輩が悠を見ながら苦笑している。まるでこうなることを予測していたように。


 「美味しい?」とホンさんがニコニコ笑いながら聞いてくる。


  「あ、は…はい、美味いっす」悠は慌てて笑顔を作り即答する。しかし、紙コップの中をおずおずと覗き込むと、底の方にどんよりとした塊が見えるし、これは…もしかして「混ぜるな危険」というヤツなのではないだろうか…悠の防衛本能がそう訴えかけてくる。


 「良かった。日本のコーヒー、味が苦いね。だから私、自分用に持ってるんだ」

 

 ホンさんは、バッグから自慢気に小さなポーチを取り出した。ポーチの中には練乳のチューブと、たくさんのスティックシュガーが入っていた…!これを…悠のカフェ・ラテにも入れてくれたようだ。しかも…大量に…。


 「タイ人は甘党だからねえ…」

 

 葛城先輩が困ったような可笑しいような表情を浮かべながら、ホンさんに見えないように悠に向かって右手の親指を立てるハンドサインを送ってきた。


 頑張って飲み干せよ…ということなんだろうか。

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