第5話 南雲靖久:夜明けと共に
スノードームの祈り④ 南雲靖久:夜明けと共に
2月3日、月曜午後4時半。
深夜に起きた傷害致死を夜通し追っていた俺は、戻ってきた捜査一課で眠気のピークを迎えていた。さっきようやくマトモな飯にありつけたってのもデカいな。まだ帰れないのに、腹一杯食ってる場合じゃなかった。
デスクにつきながら、椅子をクルクルと回して大あくびをすれば、奥のデスクに座る夏目がじとりとした視線を飛ばしてくる。目ざといヤツだな、相変わらず。
「ボス、これから二課への引き継ぎなんですから居眠りしないでくださいよ」
「しないって。ちょっと瞑想はするかもしれんけど」
「それ、居眠りとどう違うんですか」
「まぁまぁ夏目くん。今は私たちの調書や引継ぎ資料出来るの待ってる時間だから、南雲さんには少し休んでもらっててもいいんじゃない?」
突っかかってくる夏目に、副班長であり俺の元相棒である穂積柾が、苦笑いとフォローを挟んできた。俺の肩を持ってくれるあたりさすがだな。長い付き合いは伊達じゃない。
「……穂積さんはボスに甘くないですか?」
「えぇ?そうかなぁ。でもホラ、ウチの班は南雲さんが居ないと成り立たないから。今回の事件だって、南雲さんが先陣切ってくれたおかげでスピード逮捕出来たでしょ?」
「それはそうですけど、穂積さん、ボスにいつも振り回されてるじゃないですか。胃薬飲む回数増えてるって柊木さんから聞きましたよ」
「いやぁ、それはまぁ……ホラ、副班長でサポートするのが役目だから、仕方ないというか」
若手に押されてタジタジする穂積の弱さよ。階級は警部補な穂積の方が上なのに、巡査部長の夏目の方が立場強そうなのはおかしくないか?
「陸くんさぁ、穂積の胃腸の弱さを俺のせいにしてない?穂積の胃痛持ちは昔からだよ?」
「胃腸の弱い人に負担をかけてるって言いたいんです。ボスが好き勝手してる間、一課長に嫌味を言われてるのは穂積さんなんですよ」
「そこについてはちょっとは悪いなと思ってるけどさ。でも、穂積からしたらむしろ俺は恩人だろ?なんせ愛する嫁さんと出逢ったきっかけを作ったのは俺なんだからさ」
な?と恩着せがましく振れば、穂積は困ったように後頭部を掻く。
「それは……そうとも言えますけど」
「だろ?」
苦笑いを深めながら、穂積はトレードマークの八の字眉を下げる。
穂積の嫁は薬剤師で、胃薬を貰いに通ってた薬局で出逢って結婚した。昔の俺はまぁちょっとヤンチャしてた時期もあって、当時相棒だった穂積は、今よりももっと俺の世話で苦労していたのだ。
胃が痛いと病院に行き始めたのもその頃だった。となれば、俺が愛のキューピットだと言っても過言ではないだろう。……穂積の嫁には、ウチの人に迷惑かけんなと怒られたこともあるけど。
「都合良く解釈しないでください。穂積さんも、たまにはボスのこと叱ってくださいよ」
「うーん、私、そういうの苦手なんだよねぇ……特に南雲さんはホラ、言ってもあんまり聞いてくれる人じゃないから」
言って、穂積がチラッと横目で見てくる。そこには含みがあるが、俺は素知らぬふりでまた椅子を回した。そんな弱々しい抗議なんぞ受け取ってやるものか。
「ホラ、こんな感じだからさ。南雲さんを叱る役目は夏目くんに任せるよ」
「任せられても困りますよ。大体、僕の言うことなんて穂積さん以上に聞いてくれないんですから」
「あのさぁ。ふたりとも、俺の話題で盛り上がるのやめてくれる?あと穂積。またホラーマンになってるぞ」
「ホラ」は、穂積の口癖だ。昔から何かにつけて言うもんだから、いつの間にかホラーマンと言われるようになっていた。といっても、そう呼んでいるのはごく一部だが。
わいのわいのと言いながらも、夏目と穂積は手を止めることなくひたすら書類仕事をしている。
今ふたりが作成してるのは、二課への引き継ぎ書類だ。送致に関するものはもう作成済みで、今まさに検察に提出しに行ってるのだが——
「ただいまっすー。今戻りましたー」
ちょうど戻ってきたようだ。
胴間声を響かせながらのしのしと歩いてくる大柄な男——柊木透悟と、その半歩後ろに隠れた小柄な女性——雛形弥生。出払っていたウチの残りの班員が、揃って帰ってきた。
「おう、おかえり」
「検察庁への出向お疲れさま。柊木くんと雛形さん、帰ってくるの一緒になったんだね」
「そうなんすよ。バッタリ出入口のとこで鉢合わせまして」
「……ただいま戻りました」
ウチの班の紅一点で、唯一の道警キャリア組である雛形がクールに帰りを告げ、即座にデスクに戻る。コツコツとパンプスのヒールを鳴らし、ひとつに束ねられた長い黒髪をピンと揺らす姿は、俺からすると『女版・夏目陸』だ。その鉄壁さたるや、最年少とは思えない。
「結構時間かかったね。柊木くんの別件の証拠品再提出はそんなに時間かからないと思ってたんだけど」
「オレもそう思ってましたよ。なのに担当検事がネチっこくてネチっこくて。コレでもかってくらい詰められたんすよね」
「それは柊木さんの提出した証拠に不備があったからですよね?最初からきちんと提出していれば、呼び出し受けることもなかったんじゃないですか?」
2月の外の空気よりも冷たい雛形の一撃が飛ぶ。夏目といい雛形といい、どうしてウチの若いのはこうも上の者に容赦がないのか。……俺が許してるせいか。
「雛形ちゃんは今日も厳しいなぁ。オレ、一応キミの先輩なんだけどな。司法係の仕事も教えた仲なのに」
「教え始めて一週間で立場逆転してたけどな」
「柊木さんの捜査報告書の抜け、雛形さんに即指摘されてましたからね」
「班長〜。夏目と一緒になって突っ込むのやめて下さいよ。オレにも立場ってモンがあるんですから」
「立場も何も、お前が上なのは年齢だけだろ?」
キャリア組である雛形は、若干25歳にして夏目と同じ巡査部長だ。対して柊木は今年で32になるが、早々に出世の道を捨て、のらりくらりと気ままな生活をしている。そのせいで階級は巡査長止まり。昇格に試験が必要な巡査部長になる気はないらしい。
「階級は確かにオレの方が下っすけど、実務キャリアはオレの方が上じゃないっすか」
「……って言ってるけど?」
雛形に話を振ると、銀のアンダーリムがキラリと光った。細い縁だけのメガネの奥から、レンズ越しのキリッとした瞳が射るように向く。
「階級や年齢がどうだろうと、尊敬できる人間であれば私は敬意を表しますよ」
「ふむ、つまり柊木はその範疇じゃないってこった。残念だったな、柊木」
「ひでぇなぁ。オレの味方が誰もいねぇ」
デカい体を丸めて、柊木がすごすごとデスクにつく。柊木の隣に座る雛形は即仕事に戻り、ものすごい速さと静かさでパソコンのキーボードを打っている。切替が早いったらないな。
夏目、穂積、柊木に雛形。そして俺。
総員5名。これでウチの班——南雲班は揃い踏みだ。
「ボス、二課への引き継ぎ書類が出来ました。承認お願いします」
夏目が席を立ち、被疑者調書や供述要旨、捜査報告書を差し出してくる。俺は「ご苦労さん」と受け取ると、パラパラと詳細を確認する。
——暫定名称・北24条傷害致死事件。
2月3日午前1時。地下鉄北24条駅から程近い雑居ビルの裏路地で、男と男が争っているという通報があった。通報を受けた北警察署の人間が現場に急行すると、そこには暴行を受け昏倒している男がひとり。被疑者はすでに立ち去った後だった。
被害者は救急車で搬送されたが、打ちどころが悪く間もなく死亡。傷害事件から傷害致死事件に切り替わり、札幌北署から道警本部へとお鉢が回ってきた。
被害者は難波達雄、32歳。NPO法人「音の環—オトノワ—」の理事をしている男だった。
逃亡した被疑者は、目撃証言や近くの防犯カメラ映像によりすぐに特定。逃亡した篠崎学、45歳は今日の昼前、逃亡先のすすきののネットカフェで無事逮捕された。
そこで事件はひと段落。その後とっ捕まえた柏木が被疑者の篠崎に聴取をしたんだが——そこで、気になる証言が飛び出した。
「……『音の環—オトノワ—』に金を騙し取られたのがわかって、返せと言いに行きました。だけど難波は知らない、勘違いだと突っぱねてきて、挙句の果てに俺のことをバカにしてきて……それで、その……頭に、血が上ってしまって」
篠崎は、被害者である難波が『NPO詐欺』をしていたと語り出した。
午後1時半。夜通しの捜査から一息つけると思ったのに、別の犯罪の可能性が出てきたせいで、俺たちの仕事はすんなりとはいかなくなってしまった。さらに奔走することになり、昼飯として買ったセーコマのカツ丼とは、泣く泣くお別れするハメになった。
手分けして調べたのはまず、篠崎が語った詐欺の有無。供述をもとに振込履歴を洗い出し、篠崎が振り込んだとされる金額や金融機関の裏付けを取った。そして同時に、被害者である難波の経歴や所属、口座などの洗い出しもした。
順調に調べは進み、その結果——篠崎の供述は、事実と判明した。
NPO法人、『音の環—オトノワ—』はクロだった。
音楽家を目指す恵まれない未成年たちに支援をするという名目の団体だったが、実際の活動実態は全て虚偽。
また、代表理事の名は有名音楽大学の教授という肩書の男だったが、どうやらそれも名義貸しの線が濃厚だ。
何人もの寄付者から不正に金を搾取していた形跡が見られ、俺たちは組織的な犯行と断定。一課長に報告すると即二課に話が行き、この件は引き継ぎ案件となった。
——で、今まさに俺たちは引き継ぎ手配の真っ最中。細々と書類作りに勤しんでいるというワケだ。
「ん。オッケー」
夏目から受け取った引き継ぎ用書類にポンと押印する。傷害致死としては単純な事件だったが、この詐欺事件はどう転ぶんだろうな。ま、そこは二課の手腕に期待しておこうか。
「二課の担当、明原さんのとこですかね」
「詐欺事件だからな。最近暇してるらしいし、今頃ウッキウキなんじゃないか?」
「大当たりや。よぉわかっとるな」
突如背後から小気味良い関西弁が聞こえて、俺は椅子をぐるりと回す。
そこには、今まさに噂をしていた男がいた。
俺の同期で、捜査二課の詐欺専門班班長——明原修二郎。
シャレた紺のスリーピーススーツを今日もキメ、口元だけの涼しい笑みを浮かべる様は、いっそ詐欺師よりも詐欺師くさい。
どこぞの紳士服のモデルみたいな見た目だが、中身に品はない。鼻の効く犬みたいなヤツだ。
「よォ、南雲。お前んとこの詐欺もらいに来たで。最近小っさい仕事しか回って来んくて暇しとったから、めっちゃ助かるわ〜」
「おいでなすったな、詐欺の元締め」
軽口で出迎えれば、キツネめいた切れ長の目がキュッと細まる。
「誰が詐欺の元締めや。俺は詐欺の元締めを締める側やで?善良な一般市民の皆様の味方や」
「その言い回しが嘘くさいんだよ。つーか、詐欺起きてんのに助かるって言うな」
「せやかて仕事がないと俺らただの穀潰しやし。どっかに詐欺落ちてへんかな〜って思っとったんや。そしたらなんや、お前んとこから回ってくるって聞いてな。なんや美味そうな匂いがするし、居ても立っても居られんくて直接貰いにきたわ」
規模がデカいと見たのか、やたらと饒舌で上機嫌だ。お仕事大好き、もといお手柄大好き明原だ。ここらで一発、派手な捕物を決める気満々なんだろう。
「わざわざ班長自らお出ましとはね。まぁ、こっちから出向く手間は省けたけどよ」
「せやろ?夜通しの捜査でお疲れやろうと思って気を利かせたんやで?俺の優しさや」
「嘘つけ」
短く切り捨て、出来立てほやほやの引き継ぎ書類で胸を叩く。明原は突きつけられた書類にニンマリすると、嬉しそうに目を通し始める。
「今流行りのNPO詐欺やな。音の環自体の規模は中程度やけど、こういうのは複数のNPOに跨がっとる場合があるからな。どうせやったら芋づる式に挙がってくれるとええんやけど」
「ま、後は頼むわ。好きなだけしゃぶり尽くしてくれや」
「任しとき。こっちもお前んとこに負けんくらいスピード解決したるわ」
ニヤリと唇の端を吊り上げ、明原が堂々と胸を張る。さすが自他共に認める二課のエースだな。自信がハンパない。
「このヤマ終わったら久しぶりに飲みにでも行こうや。しばらく『あすなろ』に行ってへんやろ?大将がお前の顔見たがってたで」
「あー、確かに顔出してねぇなぁ。そうするか」
「ほな決まりやな。落ち着いたら連絡するわ」
「ん。よろしく」
ひらりと手を振り、明原は去っていく。
これでウチのヤマは本当に一区切りだ。あとは二課や検察からの要請でもない限り、手を出すことはないだろう。
肩の荷がひとつ下り、束の間の平和は訪れた。
しかしこの平和は——文字通り『束の間』だった。
——2月6日。明原班が詐欺の主犯と見られる男を特定。
明原の読み通り、複数の音楽支援系NPOにおいて詐欺の実態が判明。傷害致死事件の被害者・難波達雄の交友関係を辿る中で、設立に関与していた真の代表理事が浮上した。
複数の偽名を使い、詐欺グループを展開していた中心人物は——石黒智哉、32歳と断定。
明原は即座に任意同行を求めるつもりでいたが、あいにく当の石黒は、自身がプロデュースするピアニストのコンサートのため富良野のホテルに出張していた。
石黒の行方の判明に時間がかかり、乗り込もうとした時にはすでに時間が遅かった。明原は渋々翌朝に予定を繰り越すと、念のため富良野署に警戒依頼を入れ、所在把握のみを指示した。
富良野署からは、「石黒はコンサートイベントに向けてホテル側と綿密なやり取りをしており、逃亡の危険性なし」との報告があったらしい。
明原はそれに安心して、翌朝のお手柄を心待ちにしていたのだが——
事件は、大きく転がった。
2月7日、午前6時26分。
富良野署より、道警本部に緊急連絡。
警戒依頼を受けていた、詐欺の主犯と見られる男、石黒智哉がホテルの中庭にて死亡。
——殺人の可能性、あり。
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