第2話「新木花帆と木下美香が出会ったなら」

花帆は歌声のする扉の前で立ち止まっていた。そっと扉を少しだけ開けると、窓際に一人の少女が立って歌っていた。

声は澄んで温かく、教室の空気を震わせる。花帆の胸がぎゅっと締め付けられる。

少女の名前は木下美香。長い髪が光に揺れ、制服のスカートもかすかに光を反射して、とても眩しかった。その光景に、花帆の胸がぎゅっと締め付けられた。


「……あれ、私……」


思わず涙が零れて、胸の奥がじんわり温かくなる。目の前の少女に心が引き寄せられた。


歌が終わると、美香が目をぱっと開ける。視線が重なり、花帆は慌てて扉を閉めて、廊下を走り出した。


「……っ!」


逃げなきゃ、聞いてはいけない。だけど、あの子の声が追いかけてくる。


「待って!」


息が詰まるほど走った渡り廊下で美香は花帆の手を掴んだ。振り返ると、美香が息を切らしながらも真っ直ぐに花帆を見つめていた。


「あなた、さっきの歌、聴いてた?」


花帆は胸がいっぱいで言葉が出ない。頬を伝う涙に美香は目を丸くする。


「泣いてるの?」

「ご、ごめんなさい……。感動して……いろいろ、ぐちゃぐちゃで……」


美香はポケットからハンカチを取り出して、花帆に差し出す。


「これ使っていいよ」

「ありがとう……ございます」


二人は廊下の床に並んで座り込んだ。花帆はハンカチで目元を拭っていると、美香は隣で花帆をそっと見つめていた。


「落ち着いた?」

「はい。あ、ごめんなさい。ハンカチ、濡らしてしまって」

「いいよ。元気になってくれてよかった。泣いていたからびっくりしたよ」


少しずつ、言葉が心に染みていく。


「あ、自己紹介がまだだったね。私、木下美香。一年生だよ」

「……新木花帆。同じ一年生」

「すごい! 運命!」


美香が花帆の手を握る。花帆の心がふわりと温かくなる。


「ねぇ、友達になろう!」

「友達?」

「うん。友達! これは何かの縁だよ!」


花帆の表情に温かみが戻り、二人は笑い合った瞬間、距離がぐっと縮まった気がした。


「ねぇ、『花帆ちゃん』って呼んでも良いかな?」

「いいよ。私も、『美香ちゃん』って呼んでも良い?」

「もちろん!」


 二人は笑い合い、二人の間に初めての距離の近さが生まれた。花帆の心はもう歌声と同じくらい震えていた。


「花帆ちゃん。うちの部活、見に来てよ」

「部活?」

「アカペラ部。声だけで音楽を作るの」

「へぇ、そうなんだ……」


その言葉に、花帆の胸がチクリと痛む。


「無理にとは言わないよ。でも、また声を聴きたくなったら、いつでもおいで」


春の陽だまりのような笑顔に、花帆はうつむきながら小さく答える。


「……うん、行ってみる」


胸の奥で小さな音が鳴った気がした——。

——キュッ、と、新しい何かが芽吹く音。


『明日……音楽室へ行ってみようかな……』


まだ知らなかった。この扉を開けるだけで、心が震え、歌いたい気持ちが自然と前に向かうことを。

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