【第1章】偽りの断罪、記憶の覚醒
王国の建国記念パーティーは、その年の冬一番の煌びやかさで彩られていた。シャンデリアの光が磨き上げられた大理石の床に反射し、着飾った貴族たちの宝石をきらきらと照らし出す。けれど、私の心は凍てつく冬の荒野のように、冷え切っていた。
私の名はイザベラ・フォン・ヴァイス。ヴァイス公爵家の長女にして、この国の王太子レオナルド・フォン・リヒト殿下の、ただいま現在までの婚約者である。
そのレオナルド殿下は今、私のことなど存在しないかのように、寄り添う小柄な少女に夢中だった。聖女アリア。異世界である現代日本から、つい数ヶ月前に召喚されたという奇跡の少女。
「まあ、ヴァイス嬢。お可哀想に」
「聖女様がいらっしゃれば、もはや公爵家の力など…」
聞こえよがしに囁かれる侮蔑の言葉。嘲笑うような視線。私は背筋を伸ばし、完璧な淑女の微笑みを顔に貼り付けたまま、ただ静かにその光景を見つめていた。王太子妃となるべく、幼い頃から受けてきた教育が、そうすることを私に命じていたから。感情を殺し、常に毅然とあれ、と。
やがてパーティーの熱気が最高潮に達したその時だった。
甲高い悲鳴が、音楽を切り裂いた。視線が一斉に、ホールの中央階段へと集まる。そこには、今にも泣き出しそうな顔で尻餅をついたアリアと、その前に仁王立ちするレオナルド殿下の姿があった。
「アリア!大丈夫か!」
「レオナルド様……っ!」
アリアは震える指で、階段の上に立つ私を指さした。
「イザベラ様に……!私がレオナルド様のお側にいるのが、そんなに妬ましいのですか!?私が聖女だから……だからって、階段から突き落とそうとするなんて……ひどいですぅ!」
え?
何を言っているの、この娘は。私はずっと、壁際であなたたちの茶番を眺めていただけだというのに。
だが、私の反論は、レオナルド殿下の怒声にかき消された。
「イザベラ!貴様、なんてことを!!」
「お待ちください、殿下。私は何もしておりません」
「黙れ!アリアが嘘を言うはずがない!ああ、アリア、すまない、私がついていながら怖い思いをさせた……!」
レオナルド殿下はアリアを優しく抱きしめると、私を鬼のような形相で睨みつけた。何の証拠もない。目撃者もいない。あるのは、聖女様の「証言」だけ。それで、私の罪は決定された。
「貴様のような嫉妬深い女は、未来の国母に相応しくない!イザベラ・フォン・ヴァイス!貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
満座の中での婚約破棄宣言。貴族たちの間に、歓声ともどよめきともつかない声が広がる。傍らで控えていた父が、悔しさに顔を歪めて拳を握りしめているのが見えた。けれど、王家の決定は絶対だ。公爵家といえど、覆すことはできない。
さらにアリアが、涙に濡れた瞳でレオナルド殿下を見上げ、慈悲深い聖女を演じる。
「レオナルド様、どうかイザベラ様を死罪にだけはしないで差し上げてください……。私、イザベラ様が反省してくださるなら、それで……」
「アリア、君はどこまで心が清いのだ……。分かった。君の慈悲に免じて、死罪は取り下げよう」
その代わり、として言い渡されたのは、王国で最も過酷な土地である北の「冬の領地」への永久追放だった。それは、生きて罪を償えという名の、緩やかな死刑宣告に等しい。
屈辱と、絶望と、理不尽さへの怒り。様々な感情が渦巻いて、私の意識は急速に遠のいていく。
ああ、私の人生は、ここで終わるのか。
そう思った瞬間。
ぷつり、と何かが切れる音がして。
――高層ビル。パソコンのモニター。鳴り響く内線電話。膨大な量のプレゼン資料。クライアントへの謝罪。終電間際の駅のホーム。
全く別の人生の記憶が、洪水のように私の脳内へと流れ込んできた。
そうだ。
私は、イザベラであると同時に、「佐伯伊織(さえきいおり)」だった。
過労で命を落とした、日本の、しがないキャリアウーマンだったのだ。
全ての記憶が統合され、今の自分の状況を客観的に認識する。
婚約破棄?追放?……上等じゃない。
こんな中身空っぽの王子と、性悪勘違い聖女にくれてやる未来など、こちらから願い下げだ。
ふらつく身体を叱咤し、私はゆっくりと顔を上げた。
そして、勝ち誇った顔で見下ろす二人に向かって、こうべを垂れる代わりに、冷たい決意を込めた瞳で言い放った。
「――御心のままに」
この理不尽な運命に、ただ打ちひしがれてやるものか。
第二の人生、新たなプロジェクトだと思って、必ずや生き抜いて、幸せになってやろう。
私の反撃は、ここから始まるのだ。
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