華、ひらく。

水無月水憐

第1話 日常

 




──旧校舎二階突き当たり。社会科準備室と書かれたその空き教室には、願いを叶えてくれる悪魔が住んでいる








 人の噂も七十五日とはよくもまぁ簡単に言ってくれるもので、実際75日間というのは想像しているより何倍も長い。それが学生ならば尚更だ。


「ねぇねぇ聞いた? 旧校舎に悪魔が住んでるって話」

「願いを叶えてくれるんでしょ。本当なの?」

「先生たちが、悪魔がどうのこうのって」

「やだ怖いー!」

 

 夏休みの終わりとともに流れはじめ、一か月が経とうとしているのに、“悪魔“の噂は廊下を歩くたびに必ず耳にする。いつどこで誰が言い始めたのか、今やこの華明かめい高校では知らない人がいないとも言われるほどこの話題で持ちきりだ。


「馬鹿馬鹿しい」

 

 教室の端で話をする同級生には聞こえない声で不破は呟いた。机の上にある参考書を広げて勉強に取り掛かろうとする。しかし集中が出来ないのか広げては閉じ、開いたとしても文章が頭に入らない。「チッ……」と舌打ちをして不破は再び参考書を閉じた。

 

 集中できない理由に心当たりはある。例の噂が流れる前に行われた秋季考査の結果だ。


 全国有数の進学校である私立華明高等学校では、年に二回、春と秋に三学年統一テストを実施する。学年、学習範囲など関係なく全校生徒が同じ内容の試験に挑み、そして優秀な成績を残した上位十名が生徒会役員に任命される。華明高校の生徒会役員会に所属していた事実のみで、難関大学への推薦はもちろん、その後の大手企業への就職内定率にも影響する。実際、著名な研究家や政治家を出している実績もあり、華明高校に入学した生徒は誰もが生徒会役員会に入ることを目標として勉学に励む。

 


 そのテストの順位が昨日掲示板に張り出されたのだ。不破は人混みをかき分けて紙の一番上を見た。

 





 一位 生徒会長 神木千景  三年

 二位 副会長  鈴ノ宮凛音 二年

 三位 書記   市川傑   三年

 四位 会計   不破慎也  一年

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「俺が、四位……?」

 

 春の時は三位だった。今度こそ一位の自信があった。なのに前回より下がっている。

 しばらく掲示板の前で立ち尽くし現実を受け入れることが出来なかった不破はまともに睡眠が取れず、そのまま今に至る。


「前回よりも勉強したのになぜ一位になれない……。俺の何がダメなんだ。まだ学習が足りないというのか。神木は一度も会議や集会に出たことがない。授業すら出ていないくせに、毎回満点を取っては生徒会長の座を奪っていく。俺の方が優れていると言うのに。クソ……」

 

 休み時間にぶつぶつと机に向かって話す不破は大変不気味である。周囲の誰もが不破と距離を取ろうとする中、一人だけ彼に近づく少女がいた。


「慎也、大丈夫?」

 

 不破は少女の声に反応して頭を上げる。心配そうに見つめる彼女に対して、不破は「何がだ」と冷たい声で返した。


「順位落ちてたから……何かあったのかなって」

「何もなかった。何もなかったからこうして原因を探っている」

 

 不破の態度は依然として冷酷なままである。かさついた自身の指同士を何度も絡め、何度も瞬きをしては脚を激しく揺する。尋常ではないほど動揺をしている彼を見て、少女は言葉を失ってしまう。


「いつまでそこにいるつもりだ。物集もずめ

 

 自分の机の前から動かない少女に、今度は不破から声をかけた。少し落ちかけていた眼鏡を中指で直し、立っている少女を見上げる。


「あー、その……きょ、今日慎也うちに来ない? 晩御飯食べていきなよ」

 

 少女、物集文生ふみは不破と同じマンションに住む幼馴染だ。同じ年齢の子を持つ隣人ということもあり、彼らの親同士がよく交流を深めていた。そのため子である二人も実の姉弟と思うほどに仲良くなっていった。しかしそれも中学生までの話である。


「行かない」

 

 悩むそぶりもなく返答され、不破は再び参考書を開いた。これ以上話しかけるな。声には出していないがそう思わせる態度をとる不破に物集は憤りを感じた。「そっか」と言い残して彼の席を後にした。不破は物集に視線を移すことはなかった。

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