9-2 ヒトラー、本性を見せる
舞台の熱がまだ皮膚に残っているようだった。汗も引かぬうちに、俺たちは袖に戻され、ほどなく司会者のもとへ呼び出された。
選考の合間の軽いトークタイム。──名目は軽いが、胸をぶち抜かれるような緊張感が漂っていた。
司会のタレントが笑顔を作りながら切り出す。
「いやぁ〜、独裁ナイツ……本当にぶっ飛びました! しかも急遽メンバー交代だったんですよね?」
俺は放心したまま笑って答えた。
「ええ、そうなんです。楽屋で急遽、ノリで」
会場がどよめく。司会も声を上げる。
「それであの完成度!? あり得ない!」
ようやく、自分たちが何を成し遂げたのか、他人の言葉を通じて少しずつ輪郭を取り戻している。
「爆笑点でもずば抜けてましたよ。優勝への手応えは?」と司会がコメントを促し、今度はヒトラーがマイクを手にとった。舞台上とはまた違う緊張感が流れる。会場も水を打ったように静かになる。
そこへヒトラーの声が低く、だが通るように響いた。
「本当に我を笑っていいのかね?」
空気が凍る。その後、場内が微かにざわつく。
「独裁者を笑うとは不謹慎に見え、だがその恐怖との落差を我らは消費される。独裁ナイツが王座に就けば、危険な獣が笑いという武器とともに解き放たれる。それを恐れておらんのかね?」
そのコメントで会場は支配された。俺は思わず突っ込んだ。
「難民が権力なんて握れるか! 選挙権持ってからいえ!」
笑いが一気に起こる。だが、ヒトラーはすかさず返した。
「仕方ない。ではドイツに帰るか?」
「待て待て、お前、ウクライナ人だろ!」
「いや、新たなる戦場を求め、ソマリアに……世界征服の拠点を作る!」
「どっちだよ!」
俺は激しく突っ込むが、会場のざわめきが笑いに変わるまでに数秒がかかった。「ソマリアで爆笑ネタかよ!」という笑いと、「大胆すぎねえか」という驚きが混ざった不思議な空気だった。
俺は続けた。
「ソマリアに行っても客は笑ってくれるかな?」
ヒトラーは断言した。
「……無論、笑いは万国共通である。アーリア人の偉大さもな」
俺はここぞとばかりに叫び、軍帽をぶっ叩く。
「バカ野郎! 笑いは支配からの解放だろうが!」
ヒトラーはニヤッと笑い、軽く首を振った。
「それ、我のセリフ」
俺たちは顔を見合わせ、クスリと笑った。互いの返しに含まれる言葉の裏を観客は感じとったのか、会場からまた大きな笑い声。
ほどなく審査員が戻ってきた。一人が肩をすくめながらいう。
「君ら、危ういわぁ……そこがええねんけど、危なっかしいわ」
べつの審査員も口を開いた。
「世界征服を口に出す芸人なんて初めて見たよ?」
ヒトラーは目を細めた。その瞬間、俺は思った。
やっぱりこいつは、普通の芸人じゃない。真剣さが違う。笑われるために全身全霊をかけている。
俺はいま頃、怖くなった。もし今日優勝できなかったらどうなる?
ヒトラーが、あの威圧感をネタにしなくなったら?
芸に飽きたら?
ふざけた独裁者という仮面が外れたとき、その奥に、何が残る?
——世界征服。あの一言が冗談に聞こえない。
目をそらしたくなる考えだけど、胸に深く刺さり、言葉が出なかった。
そのとき、舞台の袖から、ヘルコップのふたりが入ってきた。黒い革ジャンとピンクの髪。彼らはカメラを構える関係者に囲まれていて、明らかに注目を浴びている雰囲気だ。
司会がすぐにマイクを向ける。
「ヘルコップのおふたり! いやぁ、独裁ナイツさん、すごかったですよね?」
ボケ担当の井原が虚をつかれたような顔。しかし軽快なネタに切り替える。
「やばかったっすね。でも僕らだって新ネタ持ってますよ! おでんに激辛ラー油ブチ込んで……」
ツッコミ担当の棚橋が肩をすくめ、笑う。
「パクってるじゃん!」
「オマージュっていって!」
ひとしきり絡み合うヘルコップだが、司会が食い下がると、こんなことをいい始めた。
「ぶっちゃけますけど、あんな恐怖の圧で笑いとっちゃう芸って、見たことないですし……正直、独裁ナイツが優勝じゃないですか?」
あれだけ挑発していたコンビが、敗北宣言をした。
一同がざわつく中、ヒトラーは軽く腕を組んで微笑んだ。
俺には、その笑みが自信に満ちて見えた。恐怖さえもネタに変えて掌握する能力は、いまだに発揮されている。
ヘルコップは苦笑いを浮かべながら、ヒトラーを遠巻きに見た。値踏みを忘れ、リスペクトの表れに映った。
雑談トークは終わり、審査員のペーパーを受けとり、司会がドラムロールの音声を流し始める。
「では、爆笑王決勝、優勝者の発表です!」
ドラの低い響きが、胸を締めつける。唾を飲み込む俺の真横で、ヒトラーが胸元のちょび髭をそっと撫で、眉間にわずかな皺を寄せた。彼の視線は遥か未来を見通しているようだった。
俺は手のひらを軽く握りしめた。震えているのに、妙にあったかい。胸の奥に、祈りの炎が灯っていた。
今日は、勝つ。
こいつとなら勝てる。
「では、第十二回爆笑王……その頂点に輝くのは――独裁ナイツ!」
司会の声と同時に、歓声が爆発した。俺たちは互いを見つめ、拳を固めた。
思わず笑い、そして泣きそうになって、俺は隣のヒトラーの肩を叩いた。
狂ったように響く拍手の中、俺たちは確かに頂に立っていた。
ヒトラーは再び支配者となった。明日から時代の音色が変わるだろう。間違いなく。
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