3-4 テレビ、向いてない?

 テレビ出演の話が来たのは、曇り空の水曜日だった。事務所の窓から見える新宿の街並みはどこかぼやけていて、湿気を含んだ空気が部屋の中までじっとりと染みこんできていた。雨でも降り出しそうな気配。


 どんどこプロの事務所にいると、突然、代表電話に着信が入った。受話器をとると、名乗ったのは某テレビ局のサブプロデューサー。人気バラエティ番組『しゃべれ! スターアワー』の出演依頼だという。


「マジで? うちの名前、どこから知ったんですか?」


 思わずそう聞くと、相手は少しだけ笑って「まあ、いろいろ」と濁し、「独裁ナイツさんの噂はかねがね」という。


 だが俺にはすぐにピンときた。田崎社長――あの男が裏で手を回したに違いない。かつて一世を風靡した芸能事務所「田崎芸能」の辣腕社長。何かにつけて独裁ナイツの話を持ち出し、売り込みを画策していたのか。


 彼の嗅覚は鋭い。実際、田崎社長と接触して以降、独裁ナイツは注目株になっている。まだ世に出てないものの、ちょっとした「推し」で公共の電波に乗ることも不可能ではないところまできていた。


 当日、俺たち三人はテレビ局へ向かった。局舎の入口は思いのほか地味で、通用口からは大量のロケ弁と台本が運び込まれていた。入館証をもらい、通されたのは控え室という名の仮設の一室。薄いパーティションと蛍光灯の下で、ヒトラーとスターリンは無言だった。


「緊張してきたな……」と独り言を洩らしてしまう俺。


 自然と、手に汗が滲んでいた。自分が緊張していることに驚きながらも、それを隠そうとしても意味がなかった。天井は低く、スタッフたちが慌ただしく行き来する。照明機材、マイクコード、カメラ台車。すべてが遠い過去の世界だった。


 そこへ現れたのが、例のサブプロデューサーだった。細身の黒縁メガネをかけた若い男で、身なりはきっちりしているが、目だけは異様に鋭かった。


「今日はよろしくお願いします。収録ですが、今回はひな壇芸人として出演していただきます」


 頭を下げながらも、彼の目線は俺たちの上半身をなめるように観察していた。商品の品質を確認するような、冷たく機械的な眼差し。


「ひな壇芸人……?」と、ヒトラーが口を尖らせる。


「それは、いじられる側ということか?」と、スターリンも難しい顔で唸る。


「はい。番組の構成上、メインMCが話を振るので、それにリアクションで応えていただければと。笑いを生むのが、みなさんの役割です」


 サブプロデューサーは慣れた口調で説明していたが、ヒトラーとスターリンのただならぬ雰囲気に、言葉の端が少しずつ震えていた。


「民衆の前で、弄ばれるのか……」スターリンがつぶやく。

「それは支配者の座とは真逆ではないか」とヒトラー。漫才との違いを瞬間的に察知したようだ。


 おいおい、このままじゃ帰っちまうぞ、こいつら。俺は焦った。即座にふたりの袖を引き、強引にスタジオ脇の喫煙所へ連れ出す。たばこは吸わない。けれどここしか、落ち着いて話せる場所がなかった。


「なあ、落ち着けって。これは試練なんだよ」

「試練……?」とスターリンが眉を上げる。


「そう。田崎社長が用意してくれた、試金石みたいなもんだ。ここで結果を出せば、もっと上の枠、ゴールデン帯の番組だって夢じゃない」


「田崎……ってだれだ?」ヒトラーが問う。

「大手事務所の社長だ。お前らを本気で売ろうとしてくれてる。どんどこプロとは比べ物にならないスケールで動いてるんだ」


 スターリンはしばらく沈黙したあと、「出世のチャンスか。悪くないな」と頷いた。


 ヒトラーも、「笑われる者が、やがて笑う者を操る。支配とは、まず見られる側に立つことだ。……つまりこれは、統治への第一歩だな」と、どこか満足げにいった。


 そのセリフに、俺は背筋がゾワリとした。

 彼らは「笑い」を目的としていないのではないか?


 少なくとも、俺が思っている意味ではない何か――もっと深くて、恐ろしくて、べつの「使命」のようなものに従って動いているのではないか。


 楽屋に戻ると、サブプロデューサーが外で待っていた。苦笑いを浮かべながら、「なんだかすごいオーラですね……正直、あんな新人、見たことないです」と洩らす。敏腕な局員に見えていたが、普通の人になり下がっていた。


 俺は笑ってごまかした。


「そうなんですよ。今日で、たぶん何かが変わります。御社の番組も、俺たちの人生も」


 淡々と口にしながら、自分でもゾッとした。


 それは「売れる」ことへの期待じゃなかった。

 変わる、という言葉に含まれた何か――もっと得体の知れない何かが、自分たちを飲み込もうとしている気がしていた。

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