第三章

3-1 独裁ナイツ、バズった

 翌朝、目覚めた瞬間から、スマホの通知音が止まらなかった。


 寝ぼけた指でスワイプすると、ロック画面に連なるのはライン、ツイッター、インスタ……。見慣れたアプリの通知バッジが、血の気が引くほどの勢いで膨れ上がっていた。


 着信履歴は十数件。未読のラインは軽く百を超え、ツイッターの通知は「999+」の表示。恐る恐るアプリを開くと、目がチカチカするほどのタイムラインが洪水のように押し寄せてきた。


 ──これはえぐい。


 心臓がドクンと跳ねた。昨夜のことが一気に頭をよぎる。渋谷、ハロウィン、即興のあの漫才。交差点を舞台に、ギャラリーを巻き込んでぶっ放した「独裁ネタ」。まさか、あれが動画に撮られていたとは──いや、考えてみれば当然か。あの場にいた何百人という目撃者の中に、スマホを構えたやつは一人、ふたりじゃなかったはず。


 動画は、すでに複数の共有サイトで拡散されていた。


 いちばんバズっていたのはティックトックにアップされた一本。縦長の画面に収められた、ヒトラーとスターリンの掛け合い。再生数はすでに十万を超え、コメント欄には「やばすぎて逆に感動」「誰か止めろw」「ヒトラーがハート作るとか意味不明で笑った」など、笑いとも悲鳴ともつかない声が渦巻いていた。


 その動画には、だれかが即興でつけたハッシュタグが踊っていた。


 #独裁ナイツ


 その瞬間、俺は背筋がゾクッとした。劇場に足を運んだやつが、あの渋谷に出没していたのか。なんとなく、点と点が結びつき、本当の意味で「拡散」した気がした。名前が一人歩きを始めた。そう理解するよりほかない。


 騒々しい通知音が鳴り止まないなか、芸人仲間のタクミから電話が入った。


「おい、バズってるぞ。てか、お前大丈夫か? あのふたり、何? 本当にネタでやってんの?」


 寝起きの頭には刺激が強すぎる言葉だったが、逃げるわけにもいかず、曖昧に答える。


「……一応、留学生ってことにしといて」

「しといてって何だよ。ドイツとロシアの留学生とか、冗談キツすぎだろ。第二次世界大戦の亡霊かよ!」


 タクミの声には、呆れと、どこか興奮したような色が混じっていた。そりゃそうだ。だれだって混乱する。俺自身、あいつらが何者なのか、本当はわかっていない。


 けれど──ひとつだけ、確信がある。


 昨夜、あの交差点で確かに「何か」が生まれていた。笑いが、空気が、完全に変わった。あれは偶然でも事故でもない。あいつらは、明確に狙ってやっている。表現として、芸として、あの場を支配していた。


 ふと、ラインの通知の中に、見覚えのある名前を見つけた。芸能事務所「どんどこプロ」の矢部社長だ。


《見たよ。すごいことになってるな。まずはおめでとう。で、今日の昼、一度こっち来れる?》


 文章は淡々としていた。でも、長年この世界で揉まれてきた俺にはわかる。その奥には、焦りと期待と、どうにも抗えない「賭け」の気配が漂っていた。


《行きます》とだけ返信して、俺はスマホを置いた。


 その後も通知は止まらなかった。ツイッターでは、俺の過去の写真が特定され、アカウントには大量のメンションが飛び交っていた。


《独裁ナイツのマネージャーさんですか?》

《どこでライブやってますか?》

《応援してます!次の動画はいつですか?》


 俺は腹を括った。


 もう止められないなら、利用するしかない。


 ふたりに提案し、ライブ配信をやってみることにした。反応を見たかった。ネットの声がどこまで本気なのか、この熱狂がただの「炎上」なのか、それとも本当の意味での「始まり」なのか。


 準備は簡易なものだった。俺の部屋の片隅に、古びたカーテンを背景に吊るし、小道具のメダルや帽子を配置。三脚にスマホをセットして、照明アプリで顔だけを明るく照らした。


 配信開始のボタンを押した瞬間、画面に人が雪崩れ込んできた。百、三百、五百……と、視聴者数が跳ね上がる。


 画面にヒトラーとスターリンが並んで映ると、コメント欄が爆発した。


《本人!?》《やべえ……マジで怖いのに笑う》《スターリンの眉毛www》


 一分だけ。そう決めていた。


 ヒトラーが無言で立ち上がり、右手を高く掲げたまま行進のようなポーズで室内を横切る。その横で、スターリンが腕を組み、ぼそっといった。


「それ、肩こりのストレッチか?」


 笑いが滲んだコメントが走る。ヒトラーが振り返り、叫ぶ。


「我が腕は、歴史を貫く槍である!」

「まあ、肩は凝るよな。人類史を背負ってれば」


 一拍置いて、チャット欄が《wwwwwwwwww》で埋まった。


 その瞬間、スマホが震えた。今後は矢部社長からの着信だった。


「見てるぞ。……お前、化け物を育てたな」

「ありがとうございます。……ガチの化け物だけど」

「テレビに営業かけてみる。いけるとこまで、話だけでも通しておく。いいな? 覚悟しとけよ」

「はい」


 その言葉を聞いて、ようやく実感が湧いてきた。


 俺はいま、火を灯してしまったのだ。


 スマホを握りしめる。目の前のふたりを見る。彼らは無言で座り、なぜか嬉しそうな顔をしていた。


 確かに、こいつらは本物だ。手にした力の強さを、本人たちも少しずつ理解し始めている。


 そして俺も。芸人として、プロデューサーとして、いや何より「観客」としても。自分が今、何に火をつけたのか。その恐ろしさと、歓喜とが、胸の奥でせめぎ合っていた。


 ただ一つ、拭えない疑念がある。


 こいつらを、最後まで「ネタ」として笑いきれるのか──この俺自身が。

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