第2話 ベテラン受付嬢は大人になった

ギルドの朝は早い。

冒険者たちが起き出すよりも先に、受付嬢のミーナは机に向かっている。書類の束、依頼表、過去の記録。すでに何年も使い慣れた木製の椅子に腰掛け、カウンター越しの風景をぼんやりと見ていた。


「おはようございます、ミーナさん!」


朝の日差しと一緒に、後輩のアリシアが元気よくドアを開けて入ってくる。ミーナは軽く手を振って応じた。


「おはよう。朝のうちに、昨日の未処理分を片付けておきましょ」


「はーい! でも、相談の人、さっそく来てますよ?」


アリシアの言葉に、扉の方を見ると、ちょっと背中の丸まったおばあちゃんが所在なげに立っていた。


「冒険者ギルドにようこそ。どうされましたか?」


ミーナが声をかけると、おばあちゃんは帽子を脱ぎ、手にした鞄を大事そうに抱えたまま話し出す。


「あのねぇ……うちの前に木があってね、それがとても大きいのよ。つまずいちゃって困っててね。隣の子も転びそうで危ないし……でも、どこに言ったらいいかわからなくってね……」


聞き取りにくい話を、相槌を打ちつつ、五分、十分、十五分――。

ようやく「根っこを切って処理してほしい」という依頼にまとめあげる。

形式を整え、軽作業カテゴリの雑務クエストに変換し、受付用の木札に「斧推奨」「30分程度」と書き込む。


「アリシア、これ掲示板に出して。初心者用のところね」


「わかりました!」


にこにこしながらアリシアが去っていく。ミーナはふうと息を吐いた。


「こういうの、ほんとよく来ますよね〜」


「ギルドってのは、戦うだけの場所じゃないからね。こういう“間”の仕事が案外多いのよ」


(業者を呼ぶほどじゃない。けど、誰かの手は必要――)


そんな「間」にある仕事は、ギルドの役目だとミーナは思っている。

依頼の中には、明らかに業者に頼んだ方が早いものもある。けれど、専門の人を呼ぶには大げさすぎて、役所に頼むには遅すぎる――そんな“ちょうどいい困りごと”は、いつだって誰かの生活に転がっている。


年若い冒険者の中には、そうした雑用を軽く見る者もいる。

けれど、誰かが必要としている限り、ミーナは受け止め続けるつもりだった。


その後も、畑の柵が壊れたという農夫の相談や、荷物を運びたいという老商人の話を聞き続け、気づけば昼過ぎになっていた。

お昼ご飯の時間がまた遠ざかる。


椅子にもたれながら、ミーナはふと思い出す。


昔、まだギルドの看板娘と呼ばれていた頃。

こんなに静かな日なんてなかった。

いつも誰かが話しかけてきて、冒険者たちが軽口をたたいて、ミーナも忙しさに押し流されるように笑っていた。


(あの頃の人たち、今は何してるんだろ)


彼らは誰もが大人になった。

引退して故郷に帰った者、家族を持ち地に根を張った者、後進を育てている者。


ふと浮かんだ顔が、いつの間にか遠くなっていることに気づいて、ほんの少しだけ胸が詰まった。


けれど、懐かしさの波はすぐに引いていった。

今日も、ここには人が来る。

困りごとを抱えた誰かが、少しの助けを求めて、窓口に現れる。


(みんな大人になった。それは私も一緒ね)


ミーナは深呼吸をして、もう一枚の依頼書に手を伸ばした。


夕暮れ時、ギルドを出て石畳の路地を歩く。

街には子どもの笑い声、パン屋の香ばしい匂い、酒場から漏れる音楽、歓声、乾杯の音。

ミーナは立ち止まり、空を見上げた。


騒がしさに包まれた日々は、もう随分前のことになった。

それでも「ありがとう」の一言が、今の私を支えてくれる。

静かな夕暮れを歩くこの時間も、悪くないと思えるのだ。

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