異世界、とある街、とある生活。
軽座 灰人
第1話 解体屋の矜持
冒険者ギルドの裏手にある小屋。その鉄の扉を開けると、いつも中は血と金属の匂いに満ちている。
床には昨日仕留められた魔猪の骨が転がり、壁には整然と刃物が並ぶ。中央にはには大きな作業台。
そこに立つのが解体担当者のオルドンであり、その横にちょこんと立つのが見習いの少年レオだった。
「じいさん、やっぱ俺、狩りにも行ってみたいんスよ」
「お前はまだ、肉の繊維も見分けられないだろうが」
レオの言葉を、オルドンはいつものように切って捨てた。
少年は不満げに唇を噛むが、解体中の手元から目を離さない。太い筋を外し、内臓の境界を刃先でなぞる。その一手一手がまるで魔術のように美しかった。
「狩りはそういうやつがやるもんだ。俺たちの仕事は“そのあと”だ。忘れるな」
そこに、ギルドの扉が乱暴に開かれた。
「おい、誰か! オルドンはいるか! 大変なもんが来たぞ!」
重装備の冒険者が数人、巨大な荷車を引いてくる。その荷車の上にあったのは、青い鱗に覆われた巨大な死体。
硬い皮膚に無数の傷、もう動くことのない翼。
――ドラゴンだった。
「……ドラゴン、だと?」
オルドンの手が止まり、レオも思わず見上げた。
「こいつをギルドで買い取るって話だが……、解体できるか?」
冒険者のひとりが言った。顔には、明らかに「無理だろう」という表情が浮かんでいた。
「価値のあるとこだけでいい。心臓と逆鱗、あと鱗と爪、それに尻尾の骨。バラバラでも構わん」
「……それはできん」
オルドンの声は低かった。
「ドラゴンの素材は、生き物としての“繋がり”を壊せば価値が落ちる。逆鱗は、心臓と一緒に摘出しないと砕ける。鱗の下には魔素を通す軟膜がある。これを破ればただの硬い皮だ」
「……できるのか? 本当に?」
「俺がやる。レオ、器具を並べろ」
レオの目が光った。
ドラゴンの解体は、一種の儀式だった。
皮膚の上からではわからぬ骨格を、手の感触と経験で読み取り、刃が滑る道を想像する。刃を入れる角度、力の入れ具合、少しでも間違えればすべてが命取りだ。
冒険者たちは初め、やじるように見ていた。
だが数十分後には言葉を失うことになる。
鱗と鱗の隙間に刃を差し込むと、魔素の通り道が傷つかぬように、レオが尾の骨を支える。
少年の目は輝いていた。
オルドンの動きを目で追いながら、工具を手渡すタイミングを寸分違えず合わせていく。
心臓を抜き出すとき、オルドンの手は震えもせず、たった一滴の血も漏らさなかった。
切り口はあまりに滑らかで、まるで手を加えたようには見えなかった。
「すげえ……なんだこいつら……」
「これでただの解体屋かよ。とんでもねえ腕前だ……」
冒険者たちは呆然としていた。
彼らはようやく気づいたのだ。
この老職人の技は、ただの“後片付け”ではない。
これほどの手際と解剖の知識、それに刃物の扱い。戦士以上の技量だった。
日が傾き始めた頃、全ての工程が終わった。
ドラゴンの素材は美しく並べられ、傷一つなく保存用の布で包まれている。
「……終わったぞ。持っていけ」
オルドンはそう言って、長く息を吐いた。
「どうして、お前らはギルドに雇われてるんだ……? そんなに腕があるのに」
冒険者のひとりが、ぽつりとつぶやいた。
レオもその言葉に、少し胸をざわつかせた。
だがオルドンは、ただ静かに血のついたエプロンを外すと、隅の水桶で手を洗った。
レオは片付けながら、つい言ってしまった。
「じいさん……あれ、本気出してたよな。俺、初めて見たかもしれない」
「ああ。大物は滅多に来んからな」
「じいさんも、あんなすごい技術あるなら、冒険者になってれば良かったんじゃ……」
オルドンは少しだけ笑った。
「ドラゴンの素材は、確かに貴重だ。でもな」
彼は小さなナイフを持ち直し、隅に積まれた魔猪の死体に向き直った。
「この革は、防寒具になる。内臓は薬屋に回せば保存剤の材料になる。骨は槍の芯材にもなる。毎日この街で必要とされてる。ドラゴンなんざ、一生に一度あるかどうかだ。けどこの肉は、毎日食卓に並ぶんだ」
レオは黙って、その横顔を見た。
「人の役に立つってのはな、大層な活躍をすることだけじゃない。目の前の誰かが、ちゃんと暮らしていけるようにするってことだ。それで、家族を食わせられるなら十分だろう」
レオは、目を伏せた。
「……なんかズルいな、じいさん」
「なんでだ」
「俺、まだその言葉を言える自信がない」
オルドンは笑った。
「だったら、そのうち言えるようになれ。……それが一人前ってもんだ」
小屋の中に再び、静かな音が戻ってきた。
刃が骨をなぞり、肉を切り分ける音だけが続いている。
今日もまた、誰かの暮らしのために、肉と血に向き合い、技を磨く。
目立たなくても、語られなくても、なくてはならない仕事がある。
解体屋の手は、そんな役目を担っている。
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