第六話「揺らぐ幻、揺るがぬ歩み」
踏み入るほどに、森の空気は甘さを増し、光は白く滲むように広がっていった。風は止み、耳に届くのは靴音と衣擦れ、そして幻のように漂う人影のざわめきだけ。
「……ここだな」
アルヴァが立ち止まり、耳に意識を澄ませる。指先が弦に触れると、かすかな共鳴が返り、重なる響きの揺らぎが一点を示した。
視線の先。
鬱蒼とした木々の中央に、ひときわ異様に膨れた大樹が聳えていた。根元には淡い青緑の光を帯びた蔦が絡みつき、脈打つように光を走らせている。
そこからこぼれる粉のような粒子が、風もないのに漂い続けていた。
「……あれが、原因」
セイラが低く呟く。
ヴェールの奥の眼差しは冷静でありながら、その奥には鋭い警戒の色が宿っていた。
「花粉みたいなもんだな。吸えば幻に呑まれる――そういう仕組みか」
若い魔法使いたちが顔をしかめる。さきほどまで力押しで幻を吹き飛ばそうとしていた彼らも、これには不用意に近づくことを躊躇した。
セイラが地面に指先をかざす。浮かび上がった紋章は根から流れ出す魔力を映し出し、光の波となって揺らめいた。
「……やはり。過剰に魔力を吸い上げ、制御できずに漏らしている。森そのものを蝕んでいるのね」
その声は静かだったが、確信と重みを帯びていた。
アルヴァが弓弦を弾く。澄んだ振動が空気を伝い、光の粒子を震わせる。
「音も怯えてるな。このままじゃ、森ごと幻に食われちまう」
若い魔法使いたちは互いに視線を交わし、ひとつ頷いた。
「なら……俺たちが散らせばいい」
掌に炎が灯り、風が舞い、粒子が渦を巻く。
森の中心で、静寂を破る決意がひとつ動いた。
炎が唸り、風が吠える。
若い魔法使いたちの魔法は力強く、粒子の霧を切り裂き、吹き払い、進む道を拓いていく。光と影が交錯し、森の奥はわずかに揺らぎを見せた。
しかし――幻はまだ消えない。力押しだけでは限界があることを、誰もが悟っていた。
そのとき、一歩前に進んだのはリリアナ。仮面の奥の瞳が静かに煌めき、舞布が風を撫でる。
「私が……流れを作るわ」
その声に呼応するように、森の風が旋回し、炎と舞に導かれ粒子が一点に集まる。火は舞の軌跡をなぞるように進み、無駄なく蔦の花粉を焼き払っていった。
だが、焼かれても粒子は次々と溢れてくる。根を締めつける光の蔦が絶え間なく魔力を吐き出し、大樹そのものを歪ませていた。
「力だけじゃ終わらない……ここからは私の番ね」
セイラは両手を重ね、低く詠唱を紡ぐ。声は風に紛れるほど細やかでありながら、編まれる紋章は幾重にも重なり、暴れる魔力の奔流を包み込んでいく。
光が蔦を覆い、制御の繭を編み上げる。
「……でも、まだ波が荒い」
セイラが眉を寄せる横で、アルヴァが弦を鳴らした。
澄んだ旋律が森に流れ、もうひとつの調べが重なる。それは震える波を和らげ、調律するように魔力の流れを導いた。暴れる力は次第に落ち着き、粒子の揺らぎは静かに鎮まっていく。
炎の魔法が散らし、風の舞が払う。セイラの術が根を縛り、アルヴァの音が流れを導く。
それは戦いというより、ひとつの演奏だった。
力と制御、舞と調律。異なる術が重なり合い、ひとつの和音を響かせていた。
三者三様の力が調和し、力任せでは届かなかった領域が、ようやく姿を現す。
「……これなら、いける」
セイラの低い声に、若い魔法使いたちも息を整え、炎と光を慎重に練り直す。もはや焦燥はなく、呼吸の調子がひとつに揃いつつあった。
やがて光の蔦は最後の痙攣を見せ、脈を失う。粒子の霧は消え、森に本来の緑が戻ってきた。
「……終わったのか」
誰かが呟いた声は震え混じりだったが、その瞳は晴れやかだった。
セイラはゆっくりと手を下ろし、静かに息を吐いた。
「ええ。ただ……森が完全に癒えるには時間が必要。魔力の流れが整うまで、まだしばらくはかかるわ」
アルヴァが弓を背に、肩をすくめて笑みを浮かべる。
「なら、風に任せりゃいい。俺たちは前へ進むだけさ」
リリアナは仮面の奥で小さく微笑み、舞布を翻す。
森は静まり返り、ようやく――本当の安らぎを取り戻したのだった。
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