第二話「響かぬ音、映らぬ影」
村の裏手に広がるのは、ひび割れた岩山と、半ば朽ちた木製の柵。陽の傾いた午後、坑道の入り口はぽっかりと口を開けていた。地の底へと吸い込むような暗がり。
風はそこで止まり、音さえ飲み込んでしまったかのようだ。
「……これが、旧坑道」
アルヴァが低くつぶやく。
「封鎖の札が……焼かれてる」
リリアナが指差す先には、魔除けの印と共に、簡素な封印呪符の残骸がある。端が焦げ、何者かによって意図的に破られた跡があった。
セイラは腰から仮面を取り出し、静かに顔へと掲げた。ヴェールの下、瞳が細く光を捉える。
「ここから先、魔術の効果範囲が不安定になります。光と音の術式、どちらか片方しか維持できません」
「了解。じゃ、俺は光の役目を引き受ける。そっちは、気配を読む方に集中してくれ」
アルヴァがそう言い、弓に取り付けられた細工にそっと魔力を通す。細い棒状の水晶がきらりと光を放ち、ぼんやりと坑道を照らし出した。
「ねえ、それ……詩人用の“投光弦”?」
リリアナが目を丸くする。
「昔、劇場の演出家がくれた。舞台の暗転中に詩を読むための、小道具さ。ま、今は洞窟探検用ってことにしとくよ」
軽口を叩きつつも、アルヴァの動きは慎重だった。弓を下げ、光を前に投げ出すようにして、足元を確かめるように進む。
坑道の中は、湿り気を帯びた冷気が漂っていた。壁に残る鉱石の粒がわずかに光を返す。だが、人工の支柱は多くが朽ち、崩れた木片や石が足元を乱していた。
誰かが通った痕跡はある。
──だが、それは最近のものではない。おそらく数日以上……もっと古い気配も、混じっている。
「……音が、吸い込まれる」
リリアナが足を止める。
「この坑道、普通じゃない」
声を発するたび、壁が押し黙るように反響しない。どこかで“音を食らう”何かが、この空間を支配している。
セイラは膝をつき、石の破片に触れた。指先に微かに残る熱。──魔力だ。しかも、魔術ではなく、精製された魔法式の痕。人工的な、強引な力の行使があった。
「これは……火の魔法の名残。誰かがここで何かを燃やした」
「封印の札が焼かれてた。犯人は中に入って、何かを起こして……まだ戻ってない、ってわけか」
アルヴァの声が静かに落ちる。
奥へと続く道の先から、ほのかに微かな風が吹いた。
それは風ではなく、呼吸のようだった。
「立ち止まらないで」
セイラが囁く。
「この空間には、動かないものを見つけ出す“目”がいる。止まれば、見つかる」
三人は足音をできる限り殺し、仮面を深く被り直した。誰もが息を潜め、坑道の奥──光なき空間の深淵へと歩を進める。
そして、彼らが次に立ち止まったその時──
地の底から、声が聞こえた。
──助けて。
──たすけて。
──たすけて。たすけて。たすけて。
それは人の声ではない。石と石の狭間が擦れ、歪にこだまする。言葉を真似た“何か”の、凍るような鳴き声。
「……“模倣”だ」
セイラがつぶやいた。
「音を、記憶して、呼びかけている。ここに来た誰かの“最後の言葉”を、何かが──」
──ぐぅ、ぎ。
奥の闇の中で、“何か”が身を捩る音がした。鉄を爪で削るような、粘り気を帯びた、異音。
「来る……!」
光が瞬き、風が止んだ。
三人はすでに、逃げ場のない地下にいた。
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