第四章『風は深き闇の底で』※ホラー要素注意

第一話「戻らぬ人、消えた音」


 丘を越えて、土の匂いが変わった。空はいつも通り澄んでいたが、村の空気にはひとつ、湿った鉱の気配が混じっている。かすかに鉄のにおい。


 セイラはその変化を風の中に嗅ぎ取り、ローブの襟元をそっとつまんだ。青に刺繍された星々が、光に揺れる。


「鉱山の村、なんて渋い舞台じゃないか。この空気の重さ、ただの湿気じゃないね。下から、じーっと、誰かの黙劇サイレントショーが始まってる…みたいな?」


 アルヴァが冗談めかしてつぶやいた。が、その目の奥には、詩人らしからぬ鋭さがわずかに灯っている。弓を背に、仮面の奥で何かを測っていた。


 村は、坂を下った先に寄り添うようにして建っていた。木の柵、石造りの倉庫、乾いた道。かつて賑わった面影があるが、今は人の気配が薄い。窓越しにこちらを覗く影があり、すぐに引っ込む。


「賑わってた時代は……ずいぶん前のことのようですね」


 セイラの声は静かだった。占い師としての感覚が、胸の奥で軋む。


――ここは、何かを閉ざしている。



「リリアナ、大丈夫?」


「ええ、ええ。暗い村より、明るい踊り場が恋しいわ。でも……」


 仮面の踊り子は、細い指で頬の隙間を押さえるようにして、小さく吐息をついた。


「こういう空気、昔を思い出すの。静かな村に、静かな依頼。静かな……」


「不幸?」


「そう、そんな感じ」


 軽口に見えて、リリアナの目はどこか曇っていた。けれど三人は、もうその曇りを口実に立ち止まるような旅人ではない。



 村の広場の中心、石で組まれた井戸の脇で、待っていたのは一人の壮年の男だった。煤けた服、手には錆びたツルハシ。だが目だけはしっかりしている。鉱夫の顔だ、とアルヴァがひそかに言った。


「おう、あんたらが『占いと、何でも屋』の旅団か」


「仮面をつけて歩く、いささか変わった占い師とその仲間たち……とでも名乗れば、話が早いかもしれませんね」


セイラがそう返すと、男ははにかむように笑った。


「名はガルド。村で鉱山管理をしてる。正直、助けを求めにいったのは、半分賭けだった。だが、運命ってやつが働くこともあるらしい」


 ガルドの話によれば、数日前、村の若い鉱夫たちが、封鎖されている廃坑に潜ってしまったという。


「陽晶石だよ。……知ってるか?」


 セイラが、そっと眉をひそめる。


「あれは……病に効くとされる鉱石。けれど、今は採れないはずでは」


「ああ、最深部、旧坑道の奥にしかない。だがそこの入り口は、十年以上前に崩落して封鎖されたんだ。掘り起こすのも、命懸けでな。何度も止めたんだが、あいつら……止まらなかった」


――誰かのために、命を懸ける者たち。


 その言葉は、セイラの胸の奥に重く落ちる。


「この村の空気、そしてその鉱石……何かが、深く沈んでいる気がする。ひとつ占わせてください」


 セイラは風を読むように立ち上がり、腰の小さな占具箱を開いた。星のかけらのような金属板、指先に乗せて息を吹きかける。


 ひらり、ひとつ、落ちる。ふたつめ、音なく揺れる。みっつめ――止まらず、転がった。


 そして。


「“底に潜む目”……視えました。何かが、深くでこちらを見ている」


 それは魔物の気配ではなかった。けれど、知性とも狂気ともつかぬ「視線」。人が触れてはならぬ“何か”が、目を開いている。


 風が止まった。


 リリアナが肩をすくめる。アルヴァは唇を引き結び、遠くを見た。


「なら、潜ろうじゃないか――深く、深く。風が息を潜めているなら、こっちから甘く囁いてやれば、きっと静かな答えが返ってくるはずさ」


 その声は軽やかに響いたが、仮面の奥の瞳はすでに“闇”の中を見据えていた。



 村は、夏の風にそよぐ麦のように、いかにも静かだった。だがその静けさは、どこか“沈黙”そのもののようだった。


 その晩、宿で出された素朴なスープの湯気が消える頃、ようやく話が出た。


「村の鉱夫が、戻らない?」

セイラの声に、宿の老婆が頷いた。


「掘削に出たまま、もう四日。わしらも最初は“また寝坊でもしてるんだろう”て笑ってたんだがね。昨日、あの坑道に荷運びに行った若いもんが……泣きながら帰ってきたのさ」


「泣くほどのものがあったのか?」

アルヴァが眉をひそめる。


「“奥で何かが見ていた”、そう言っての。……まるで、地の底に目ん玉があるみたいだってな」


 その場の空気がひやりと冷えた気がした。

 セイラはそっと目を伏せ、胸元のペンダントに触れる。透き通るような銀の細工の中央に、小さな水晶が嵌め込まれていた。


「占ってみましょう。彼の行方を」

 静かにそう言い、セイラは荷から布を取り出した。旅の道具と仮面を収めたポーチの中に、いつもの占具──三枚の銀盤と、小さな香炉がある。


 


──しん、とした。


 


 香炉から白煙が立ちのぼり、盤の上で砂が細かく踊る。セイラは仮面を顔にあてた。仮面越しに覗く未来の形。呼吸を整え、意識を沈める。次第に、空間が静けさの向こうへ傾いていく。


──砂の流れが止まり、瞬間、盤の中央が黒く染まった。


「……見えます」

かすれた声が漏れる。


「この村の地の底に、“古き目”が在る。底知れぬ闇の中、光を忌む何かが、誰かを見つめている……。けれど、その視線は、彼に向けられていたのではない……娘。彼の娘が、呼んだのでしょう。地の底の石を。──彼は、まだ生きているかもしれません」


 言葉が終わると同時に、仮面を外したセイラの額に、冷たい汗が伝った。リリアナが、そっと水差しを手渡す。


「……石って、まさか。〈陽晶石〉?」


「可能性はある。辺境には、ごく稀にまだ残っている場所があるって言ってた。……だけど、それが採れるのは封鎖された旧坑道の、さらに奥。正規の地図にも記されていない場所のはず」


 アルヴァが腕を組み、思案するように天井を仰いだ。


「廃鉱に足を踏み入れる……あんまり愉快な旅にはならなさそうだな」


「でも、行くのでしょう?」


 リリアナがそう言ったのは、問いではなく、確認だった。彼女の目の奥にもまた、どこか影が差していた。仮面の裏の、そのまた奥で。静かに頷くセイラを見て、アルヴァも肩をすくめ、笑う。


「まったく。占い師に言われたら、もう逃げられないさ。風の気まぐれに、ついていくのが俺たちだからな」

 


──こうして、三人は地の底へと向かうことになる。


 次に彼らが光を目にするのは、いつになるかも知れぬままに。

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