3.付き纏う

 『聖灰せいはい教会』の教えに曰く。

 この世は最初、灰によって成り立った。

 灰より出でた最古の者達『始祖』は灰から大地を、海を、全てのものを造り上げた。

 故に、万物は終わりを迎えると灰に還るのだ。


 終わりとは即ち、死である。


 死せる者の想いを汲み、“葬送の秘術”によってその亡骸を灰へと還す者。

 それを、『葬儀士』と呼ぶ。


——————




 夕暮れ時。

 商業都市の南西端、高い外壁の影に沿う様にして拓かれた貧民街スラムを、影よりも暗い魔女が闊歩かっぽする。

「死にかけの子犬を二匹送って寄越す、とは聞いていた」

 その後ろを、少年少女は歩いていた。


———


 真昼の一件の後、遅れてやってきた数人の自警団員の手によって取り調べを受ける事となった三人は、まず近くの屯所にまで連行された。

 一時は乱暴な扱いを受けたものの、フィーネとベニーが教会の深い関係者だと知ると、彼等の態度は一変する。

 商業都市は、大陸に存在するどの国にも支配されない、商人たちの国である。

 住民は国を捨て、我が身以外に寄る辺もなく流離さすらってきた者たちだ。

 そんな商業都市の者でさえこうべを垂れる、大陸唯一の存在。

 それが聖灰せいはい教会である。

 特にフィーネが『モエニアの聖女』である事を知ると、取り調べを担当した一人が個人的な感謝と賛辞を述べた。

「かの大戦は、貴女様のお力によって鎮められた。私はあの戦場にいたのです。貴女が現れなければ、無為に死んでいた事でしょう……」

 兵士が何度も頭を下げるのをフィーネは気不味そうに遮り、ベニーは少女の威光に感心した風にしていた。

 魔女はそれらを退屈そうに眺めていた。


———


 解放されるや否や、魔女はさっさと何処かへ向かって歩き始める。

 「何処へ?」と訊ねれば「寝床」と素っ気なく答えた。それ以上、何を言うわけも無かったので、フィーネとベニーは顔を見合わせ、魔女の揺れる背中を追う事にする。

 大通りを外れ、入り組んだ迷宮のような裏路地を曲がり、進んでいく。

 次第に狭まっていく建物同士の間隔。その陰に隠れた道無き道に、人を拒むかの如き冷たい風が吹き抜ける。

 ぽっかりと口を空けた暗闇の中、何処からか射し込む僅かな光を頼りに歩き続けると、やがて前方に広がる茜色が三人を照らす。

 都市の中にあって、都市全体からそっぽを向かれたかのような、荒んだ土地。きょろきょろと周囲を見渡すフィーネの視界に映るのは、いずれも貧民街の名に相応しいあばら屋の数々だった。

(ひどい所……)

 屋外に人気ひとけは無い。が、方々の吹きさらしの窓から、陰湿な眼差しが三人に向けられている。視線を送ると、気配は家屋の中に引っ込んでいく。

 商業によって栄えるこの都市において、およそ貧民とは即ち商売に失敗し、都市を離れる旅の資金すら工面出来なくなった者を指す。

 余儀無くされた定住の中で、緩やかに死を……その身が灰になる時を待つのである。

 そんな敗者の放つ独特の死臭が貧民街には溢れていた。鼻腔にしがみつく焦げ臭い匂いだ。

「子犬ではありません。人間のベニーです。そしてこちらはフィーネ」

「ご丁寧な説明をありがとう、痛み入るよ。興味は無いが」

 皮肉交じりに返す魔女。

「いえいえ。こちらとしても、あまり踏み込んだ興味を抱かれては困ります。短い付き合いになるでしょうから」

 けれど、ベニーも負けていない。

「興味を持たれたくない、にしては随分と派手な立ち回りをしたものだ」

「有事でしたから。無我夢中、というヤツですね」

 ふうん、とつまらなそうに鼻を鳴らし、魔女は呟く。

「無我夢中、ね」 

「はい」

 先を行く魔女は、ちらと背後の少年を一瞥した。

 少年の貼り付いた笑顔を見るその眼差しは、帽子の唾と乱れた髪に妨げられて観察出来ない。

「そういう事にしておこうか」

「しておくも何も、そういう事ですよ」

 ベニーの声音は、すっかり穏やかさを取り戻している。魔女の挑発的とも取れる言動をいなし、冷静に切り返していく。

「ところで」

 そこでふと、魔女が立ち止まった。

「いつまで尾いてくる気だ?」

「えっ……?」

 思わず声を漏らしたのはフィーネだった。

 貧民街の有り様に気を取られていた頭に、予想もしなかった問いかけを投げられて考えが追い付かない。

 対する魔女は当然といった風に非情を告げる。

「なんだその顔は。私の家には泊めないぞ」

「務めを放棄するんですか?」

 フィーネと違って予想が付いていたのか、ベニーは落ち着いた様子で返す。

 言い方はともあれ、彼女は確かに教会からの書簡を受け取ったという旨を話していた。

 そして書簡とは、死期を間近にしたフィーネとベニーの死を看取り、その亡骸を灰にして聖都へ持ち帰る様にとの意向を示した、教皇直々の依頼書に他ならない。

「確かに書簡は受け取った」

 大陸全土に及ぶ信仰を統べる聖灰教会。

 その頂点に立ち、あまねく国家の支配者達が平伏へいふくひざまずく信仰の王、教皇レガリア。

「だが引き受けるとは言っていない」

 その意を反古にする……そんな者は恐らく、大陸の何処を探しても二人と居るまい。少なくともそんな人間を、フィーネはこの時、初めて見た。

「仮に引き受けたとして、だ。私は葬儀士であって宿屋じゃない。お前達が何処で、何をして、どう生きようが私の知った事か」

「それは……」

 口を噤むフィーネ。突き放した言葉ではあるが、その通りだった。

 葬儀士とは死者の亡骸を灰とし、その魂を始祖の元へと送る“葬送”の秘術を行使する者を指す。

 本来ならば、死体が灰へと変わっていくのには時間を要する。時と場合によって差異はあるが、少なくとも死ねばすぐに灰になるという様な事例は殆ど無い。

 斯様に定められた法則へと干渉し、死体を即座に灰へと還す秘儀は、それに連なる数多の技術と共に創世より継承される権能の一種だ。

 魔女が昼間にやって見せたのがその一端である。

 教会が占有するその秘儀は、境界の庇護から抜け出た者が行使するのは、大罪として禁じられている。

 だが、魔女は平然とその禁を破り、隠し立てもせずに葬儀士を名乗って、咎められる事無く商業都市で暮らしている。

 その様な者。外法の輩にあって、教会が黙認する唯一の存在。

 それが『灰歩きのカレト』と呼ばれる魔女だ。

 考えてみれば当然かもしれない、とフィーネは胸中で独りごちた。

 わざわざ教会から抜け出し、敢えて葬儀士を名乗るのは、よほど教会に対して思う所があるに違いない。破戒者である彼女が、教皇の意に従う道理は無い。

「死んだら教えろ」

 魔女は冷たく言い放った。歩みを再開した魔女の背中を、フィーネは追えずに立ち尽くす。

「無責任だ」

 食い下がったのはベニーだった。

 その表情はやはり変わらない。

 魔女は立ち止まるものの、背中を見せたままだ。

「最低ですね。どうして教会は貴女の様な人を看過するのか、僕には理解出来ません」

「同感だな」

「そもそも引き受ける気がないのであれば、その旨を返すべきではありませんか?」

「だから今、こうして返している」

「教会の慈悲と寛容が分かりませんか? フィーネと僕を貴女の元に遣わせたのも、貴女への恩赦であると気付きませんか?」

「余計なお世話だ」

「貴女には、他者を慈しむ心が無いのでしょうか?」

「……やってられない」

 深く、大きく溜め息を吐く魔女。そこでようやく二人に向き直る。

 正面から見てどうにか覗けた魔女の瞳には、明らかな拒絶の色が灯っていた。

 呆れたように、聞き分けの無い子供を諭すように。或いはいきどおりを隠すかのような、努めた冷徹さが備わっている。

 「いいか?」と前置いて、魔女は語った。

「ここは聖都じゃない、商業都市だ。このルプステラの大地において最も自由な街……自由というのはな、贅沢品なんだよ」

 魔女が語り聴かせたのは、法律無き商業都市に生きる全ての者が知る、この街の絶対的な法則である。

 好きな物を自由に食し、好きな物を自由に着飾って。好きなように生きて、好きなように死ぬ。

 商業都市において、自由とは金で買う物であり、それ以上にもそれ以下にも成り得ない。「自由」の何たるかを語った哲学は不要なのだ。

 この街で生きるには、金が要る。

「死にかけの坊やと小娘を二人養って、私に何の得があるんだ」

 フィーネの胸中に様々な感情が沸き立ち、渦巻く。

 愕然、怒り、失望、疑念。

 いずれも心臓を締め付けるそれらを「仕方ない」という言葉で括り、諦めが支配する。

「そう、ですね」

 ようやく絞り出した声はか細い。

 隠しきれない寂莫せきばくが、声色を上擦らせた。

 そんなフィーネの様子を見て、魔女は眉を潜める。が、すぐに興味を失くして踵を返す。その背中がふらりと揺れた。

 きっと彼女がこちらを見る事は二度と無いだろう。

 それを、フィーネは黙って見送る事しか出来ない。

 遠い記憶の幻想が霞んでいく。もはや手を伸ばしても届かない何かは果たして、そこにあったのかどうかも分からない。

「お金を払えばいいんですね?」

 沈黙を裂いた言葉に、魔女の肩がぴくりと反応した。

 少年の背中をフィーネは訝しげに見つめる。

 ベニーは手に持った鞄を地面に降ろし、それを開いた。中から濃紺の巾着袋を取り出し、更にそこから数枚の金貨を摘まんで取り出す。

「これでどうですか」

 首だけを振り向かせた魔女の目に、ベニーの差し出された片腕が映る。その手に乗せられた金貨には、始祖達の女王メアリの似姿が彫られている。教会が独自に鋳造した高純度の金は、大陸で最も高い価値を有する特別製だ。

「宿代としては十分な額だと思いますが」

 葬送の報酬は、役目を完遂した時に教会から支払われるだろう。と付け足して、ベニーは問うように首を傾ける。

 その主張を聞き終えて、再び身体を向き直した魔女はゆっくりとベニーに寄った。

 親睦を深めるには近すぎる距離で、少年の笑顔を見下す。一方のベニーも、たじろぐ事無く魔女を見上げ返した。

「何故だ?」

 相変わらず、魔女の問は簡潔に過ぎて要領を得ない。

 賢明な魔女には凡人よりも多くの物が見えていて、およその事は訊くまでも無く理解出来て当たり前なのであろう。

 だからこそ「何故」を問う時には、問うならばその事以外にあり得ないという何かが見えているのだ。

 この場合は「何故そこまでするのか?」という事であり、それはフィーネも、当然としてベニーも理解していた。

「仕方がないからですよ」

 吐き出すように、ベニーが魔女の問へと答える。

「教会の葬儀士は、誰も僕達を看取ってはくれない。拒んだんですよ。僕と、フィーネを」

「……」

 言葉の意味を咀嚼し、沈黙する魔女。

 絶えず笑むままのベニー。その背から、耐えきれなくなって目を逸らすフィーネ。二人の様子を見据え、艶めかしい唇が剣呑に開く。

「お前達、一体何をした?」

 魔女の問いかけに具体性が増す。前傾となり、少年の目と平行に視線を合わせる。その動作と言動にベニーは一瞬、目を丸くするも、すぐに態度を直して答える。

「先に言ったでしょう。踏み込んだ興味を持たれては困ります。貴女はただ……僕達の死体を灰にしてくれれば、それでいい」

「……」

 幾度目かの沈黙は、殊更ことさらに重圧を増していた。

 表情も意図も互いにたがえども、睨み合う魔女と少年は微動だにしない。

「……気に入らない奴だ」

「結構。気に入られても困ります」

 先よりも大きな溜め息を吐き、魔女は姿勢を戻す。

 少年の手から金貨を取り上げ、外套の内に収めた。今度こそはと口にはせずとも、背を向けて、歩みを再開する。

 見つめる二人に声を掛けた。

「いいだろう。全てとはいかんが……私の自由をお前達に売ってやる」

「ええと」

「つまり?」

 困惑するフィーネ。とぼけて返すベニー。

「……ついて来い、と言っている」

 苛立ち混じりの返答を最後にして。もはや何も語る気は無い、と魔女の背中は語っていた。

 ベニーが振り向き、フィーネに軽くウィンクをする。何と形容する事も出来ない胸中の念を押し殺し、僅かな苦笑を浮かべたフィーネは、遠くなる魔女の姿を追って少年に目配せをする。返し、少女の隣に並び立つベニー。

 魔女を追う少年少女の足取りは、幾ばくか不安が取り払われて軽く、にわかに課された別の重みを含んで、にぶい。


———


 魔女の寝床は、貧民街の片隅にあって、場違いな程に堅実な石造りの一戸建てだった。

 寝床と吐き捨てるには立派であり、一人が棲む家にしても些か広い。丁度、三人家族の住む分に程好いという印象を受ける大きさと外観だ。

 馴れた手付きで木製の扉を開き、閉める事無く中へと消え入りかけた魔女に、フィーネは思いきって声を掛ける。

「あの!」

「なんだ?」

「私の事、覚えてらっしゃいますか?」

 その問の意味は、フィーネ自身にも理解出来ていなかった。

 何を期待したのか。何を望んでいたのだろうか。

 一体どんな反応を示し、どういう言葉が返ってくるのか。

 そんな事は、分かりきっていた筈なのに。

「知らん」

 たった一言。

 言って、魔女は扉の奥へと消えていく。

「……っ」

 唇を噛む。

 少年に肩を撫でられながら、扉の向こうへと入り込んだ頃。

 黄昏が終わりを迎え、宵闇が街を覆い尽くすその狭間。

 少女の心の片隅で、淡く何かが霞んで消えた。

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