20 森のクリスマス

 まさかの勢いで逃げ帰り、森の自宅に帰り着くとコップの水をごくごくと飲みほした。どうしよう、テオのことが好きって、好きって……


「ううう、ダメ。萎んじゃうかも」


 きゅうっと小さく座りこんで膝を抱える。どきどきのあまり心臓が破れてしまいそうだった。まあいい、カヌレは渡せた。渡せたけど。


「ごめんねもいってなかったよ。どうしよ、フェンリル」


 そばに座りこんだフェンリルの頭に触れると毛をもみくちゃにした。フェンリルは迷惑そうに首を反らす。はあっとため息をついてキッチンの扉にもたれかかると天井を見た。古美なシャンデリアも動揺で素敵に見えない。こんなにうろたえている何て、それでも精霊かと自問したくなる。


「ダメ、ほんとにダメ。やめよう。うん、もう町にはいかない。あ、いや。それをすると読書が、カヌレも売れないし、って。ああ!」


 自分が大きな失態をしてしまったことに気づく。テオにはちゃんと約束していたのだ。一冊本を返す時に一冊借りていくこと。その約束を破ってしまったのだ。返却時に毎回テオはきちんと本を用意してくれていた。それを強引に返すことで無下にしてしまったのだ。


「嫌われたかもしれない……」


 げんなりと落ちこんでいるとフェンリルがほんとうに大丈夫? という顔で見上げてくる。きゅうううん、と鳴いてドリュアデスのコートに触れた。テオが素敵だと褒めてくれたコートだ。着ているのもなんだか恥ずかしい気持ちになって脱いで、あたふたと自室のハンガーにかけるとパントリーにいってミルクを入れた。精霊たちがどうしたのという声を出しているがその姿すらも目に入らない。カップごと炎の精霊に温めてもらってゴマとハチミツを入れてかき混ぜるとソファに腰かけた。


「わたし人間みたい……」


 自分でもいっていておかしくなる。失笑してマグカップを机に置いてソファに倒れこむと目を閉じた。平常心、平常心と念じていてしばらくすると心臓が静かになった気がする。そっと耳に触れていると神経が自然と落ち着いた。まどろんでドリュアデスはそのまま夢のなかへ誘いこまれた。




 精霊の隠れ里に雪が積もり始めた。他の季節は活発な花の精霊たちも大人しく葉の影に身を潜めている。元気に動き回っているのは雪の精霊くらいだ。彼、彼女らは空を舞って雪の結晶をまき散らしながら空気を冷やしていく。吐息が白くくぐもって身が凍るように痛い。純白の空に精霊の歌が流れ始めた。



——雪の女王は冷たいのがお好き。精霊も生き物もすべて氷漬け。世界よ白く染まれ。



 雪の女王? と考えこんでいると声がした。


「ドリュアデス、雪かきをしなさい」

「えっ?」


 どさっと雪が滑り落ちる音で目が覚めた。外には家が埋もれてしまいそうなほどの雪がうずたかく積もっていた。暖炉の火がぱちぱちと鳴ってそばでフェンリルが寝ている。忘れていた、ここは精霊の里ではなく自宅だった。


 ガラスには雪の結晶が張りついて、景色が半分以上隠れている。畑もダメだなと思いながらコートを取りにいくと炎の精霊を呼び起こしにいった。


 夢で聴こえていたのはおばあさんの声だ。冬のどんな厳しい時にも家がつぶれてしまうからと彼女は屋根に上っていた。そういう時は精霊の力に頼らず、大人しく手伝ったのだけれど今はもうそんなことはしない。


「みんな、外に出るよ」

「ダメよ、そんなこといってちゃ。住む家がなくなっちゃうわ」


 嫌がる火の精霊を焚きつけると家の外へ出ようとしたが開かない。ドアの外も雪で埋もれてしまったのかもしれない。そっと姿を消してドアをすり抜けて外に出るとやっぱりそうだった。火の精霊は炎が消えそうなほどに委縮している。自らの力の恩恵のない季節にはどうしても精霊はそういう性質を示すのだ。


 雪をふみながら畑にいくと雪の精霊がやはり舞っていた。彼女らはとても美しい見目をしていて、髪飾りの雪の結晶は宝石のように輝き軌跡がすうっと空中に残る。


「さ、負けずに雪を解かすのよ」


 炎の精霊がぶるると身を縮こめて家に入ろうといっている。それを叱責してスコップを持つ。この調子ならば夕方までかかりそうだ。長い梯子を使って屋根に上ると屋根の上の雪の量にびっくりした。よく潰れずに保っていたなと思う。


 腰を痛めるかもしれないと思いながら、「精霊が腰を痛めるって何?」とツッコミをする。落とした雪は炎の精霊が下でイヤイヤ溶かしてくれているので心配はないが結構な力仕事になりそうだ。


 しばらく作業して息を切らすと屋根の雪に倒れこんだ。まだ三分の一も終わっていない。


「フェンリルの手も借りたいくらいね」


 コートが濡れるのにも構わずに空を見つめる。静かな心地で今の自分自身を見つめた。


「わたしは人間になれないのかな。そうすればテオと一緒に」


 暮らせるのに……と思ったけれどそれは言葉に出来なかった。こんなに俯きになってしまう自分自身が情けない。大好きなものに囲まれて心を満たしたと思っていたのにこの空虚さは何なんだろう。


「ドリュ!」


 びっくりして足元の方を見るとまさかの人物が梯子を上って来た。ウソ!


「テオ!」


 どうしてこんなところに、森は人間が入りこめないほど雪が積もっているというのに。


「コレ!」


 テオはくすりと笑って本を差し出した。


「おすすめの本忘れていったでしょう?」


 何の冗談をいっているのかと目を白黒させた。彼が手に持っていたのは『静かな森のクリスマス』という絵本だった。テオは慎重に屋根に上ると足元に気を配りながらドリュアデスのところまでやってくる。そばに立つとマネをするように横に倒れこんだ。


「ああ、しんど。二時間くらいかかっちゃったな」


 その声には面倒さなんて含まれていない。彼は会いに来てくれたのだ。わたしに会うために? 封じこめていた期待が湧きあがってくる。


「ねえ、ドリュ。クリスマス一緒に過ごそうか」

「えっ……」

「一人だと寂しいでしょう」

「……うん」


 みんなもいるけれど、とは思ったけれどそれはいない。テオの本音が聞きたかった。


「でもどうして」

「人間はクリスマスを大切な人と過ごすんだよ」


 横を振り向くとテオはこちらも見ずに空を眺めていた。綺麗な瞳でまっすぐに遠くを見ている。彼は自分のことを大切な人といってくれたのだ。優しさがじんわりと伝わってくる。背中はどうしようもなく冷たいのに心はとても温かかった。


 その年のクリスマスは初めておばあさん以外の人と過ごした。ケーキを作り、カヌレを焼き。メインディッシュはタンドリーチキン、添え付けのフルーツサラダと野菜スープ。ごちそうをいっぱいこしらえて精一杯のおもてなしをして。同居の精霊たちもみんな集めてクリスマスプレゼントを交換した。摩訶不思議なプレゼントに笑って、ソファに一緒に腰かけて『静かな森のクリスマス』をみんなのために朗読して忘れられぬ時を過ごした。


 それから数か月が過ぎて森に芽吹きの春が訪れる——



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