7 キャラメルブリュレ

 町立の図書館は避暑地にある。旧貴族の別邸を町が手入れして近隣住人が利用しやすくした建物であるが、ドリュアデスは外観の趣味のよさを気に入って通いつめているという。


 朝の比較的早い時間だというのに壁際に設置された木の机や紅の猫足のソファには本を読んでいる人の姿がすでにあっていつもの日常だ。中央には司書の働くサークル状のカウンターがあってペンで書き取りをしている音が耳に心地よい。


 テオは少し前を歩いてあいさつしてくるからとカウンターへ向かった。それから職員と二言三言交わして戻るとじゃあいこうかとドリュアデスをエスコートした。


 エントランスの突き当りの左右に湾曲した木造のサーキュラー階段を上って二階にいくと物語のコーナーがお目見えする。彼女が借りた『沈黙の人魚』は右から二番目の通りだ。借りたというには少々語弊があって本当は内緒で拝借したらしい。


「どうやって持ち出したんだい」

「テオ、声が大きい」


 テオは今度は囁き声で問いかけた。


(うん。じゃあどうやって持ち出したのか教えてくれる)

(こんな風にするの)


 ドリュアデスは人がいない通路を探すと周囲に人がいないのを確認して……


「あ、消えた!」


 目の前にいたドリュアデスが突如いなくなったものだからテオは目を白黒させる。胸元に抱えた本も一緒に消えていた

 ドリュアデスは大した余興じゃないけれどと、ぱっと姿を再び現してスカートを整えた。


「でも本当は泥棒だからちゃんと借りたかったの。図書カードも書いてみたいけれどわたしはペンを持てないの」

「ああ、そういうこと」


 テオは沈黙の人魚を受け取って戻してやるとどうしたものかと思案した。


「読みたい本はあるの?」

「本のことよく知らなくて」

「読みたいのはホラー、哲学、それとも恋愛?」

「人間の哲学は難しいから。読んでも理解できないことが多いの」

「分かった」


 それならば、とテオは通路を歩きながら背表紙もろくに見ずに棚からいくつか本を抜き出していく。彼女にはその説明をつけ加えた。


「恋愛小説何てどう? キミくらいの歳の子なら……」


 と、話しかけてそもそもの前提がおかしいことに気づいた。彼女の年齢は見た目よりずっと上だ。二十歳そこそこに見えてもそんな年齢じゃない。当たり障りのないようにいい換える。


「女の子はみんな読んでる恋愛小説だよ。昨年話題になった新作『キャラメルブリュレ』、都会で暮らす十七歳の女の子の物語だ」


 で、次はと説明をつけ加えた。


「『アフターライフ』は老夫婦の森の暮らしを描いた作品で、少し単調だけれどでも僕はいい作品だと思う。恋愛というにはちょっと刺激がないけれど森の生活だったりキミみたいに好きなことを楽しんでいる人間のライフスタイルを描いた作品で読むと癒されるのかな。歳を取っての恋愛もいいなって思う」


 それとこれはと残り三冊も理解しやすいように掻いつまんで説明をした。説明を受けた側のドリュアデスは真剣に悩んでいる。


「うーん。どれにしよう」


 あごに手を当てて思案していたので、全部借りていってもいいよと提案をした。


「えっ、本当! じゃあ……」


 と喜びかけたところで「あっ」と失言に気がつく。


「あ、ごめん。やっぱ全部はなしで」


 ドリュアデスがせっかく喜んだのにと意気消沈した。ハチミツ色の髪をさらりと揺らして極上の笑顔を作ると琥珀の瞳でドリュアデスを見つめながら言葉を告げた。関係を近づける魔法の言葉——


「一冊読み終わったら僕に会いに来て」

「えっ」


 ドリュアデスの頬がみるみるうちに染まりゆく。


「たくさん借りてくより、一冊の方がまたすぐに会えるでしょう?」


 少々、気恥ずかしいけれど素敵な彼女にはまた会いたい、心からそう望んでいた。ドリュアデスは胸元を抑えて口をぱくぱくとさせている。その様子に伝わったかなとほくそ笑んだ。


 しばらく動揺していた彼女が口を開く。


「また……図書カードを書いてくれるってこと?」


 ……違う、そうじゃない、そうじゃなくって、「はあ」と首を落としながらまあコレも彼女の良さかと苦笑した。


「いいよ、書いてあげる。約束だからまた会いに来てね」

「うん」


 テオは親切に一階のカウンターで図書カードを作るところから借り出す作業まで全部代筆した。

 ドリュアデスは念願の貸し出しを終えて満面の笑みを浮かべる。


「ありがとう、親切ね。テオ」

「いいよ。読んだらまた感想聞かせてね」

「うん」


 胸元にはキャラメルブリュレの一冊。彼女はそれを満足そうに抱えて帰っていった。



       *    *   *



 ドリュアデスは森の自宅に帰り、カヌレを森の住民に販売すると夕方には店を閉めた。コトコトと根菜のスープを煮て、メインの白身魚のポワレをたっぷりの香草で焼き上げる。机に並べた銀色のカトラリーは大昔におばあさんから貰ったものだ。


 食卓に飾ったハーブの花は庭でつんで来たもの。幸せ満開の食卓にはフェンリルの姿もあってそれを何よりの幸せだと思う。二人で静かに食事をとりながらドリュアデスは今日の出来事を思い出した。フェンリルはどこ吹く風だが、それでも彼女にとってテオという人間の青年と出会えたことは特別でそれが嬉しかった。


 人との出会いを大切にしていると向こうから幸せがやってくる。どこかで読んだ気に入りの一説を思い出した。


 パントリーでプラム酒を入れていると火の精霊がなあにそれと囁くのでまた今度ねと伝えた。自室のベッドで腹ばいになるとプラム酒の入ったグラスをサイドボードに置いて本を手に取る。テオが図書館で勧めてくれたキャラメルブリュレだ。足をパタパタと遊ばせてプラム酒でほろ酔いになりながら仰向けになって。毎晩の読書は毎日続けている何よりも大切な習慣だ。


 主人公はオシャレが大好きな恋する女の子、都会でたくさんの男の子と出会っていくつもの恋をする。たまに傷つき落ち込んで、それでも上を向いて歩いていく。人間って頑張り屋さんなんだ、なんて人並な感想をこぼして。でもこういうのも楽しそうだなと微笑んでみる。眠くなってきたら続きはまた明日。みんな、おやすみ。

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