°˖✧*✧˖°秋の章°˖✧*✧˖°

8 森に巡る秋

 秋の森は紅葉がとても美しい。まるでキャンパスを塗りこめたように鮮やかに染まった森にはたくさんの木の実が落ちていて、その恵みを享受しようとたくさんの動物たちが見え隠れする。警戒心のない動物たちに交じってドリュアデスの姿もあって、自宅の裏の樫の木の下にはたくさんのドングリが落ちていてそれを懸命に拾い集めている。収穫したドングリは水にさらして丁寧にあく抜きをし、釜戸で炒るととても香ばしい。


 カゴいっぱいのドングリを拾い集めると縁側に腰かけて庭を眺めながらお茶を飲んだ。異国の地で好まれているものだ。飲むとホッとした心地がする。


 暑くもなく、寒くもない。ドリュアデスはこの季節が一番好きだ。


 空を仰ぎ見れば、つがいの小鳥が楽しそうに踊っている。さらっと軽やかな風が吹いて銀糸の髪を綺麗に揺らした。読書の秋、とは人間の慣習だけれどどうして秋が読書の季節なんだろう。まあいいやと笑って町にいった際に図書館で借りてきた『巡りの季節』というエッセイ本を開いた。


 テオには夏の出会い以降、たびたび会っている。当てにして会いにいったんだけれど休みという日もたまにあって、そんな日は本を借りられずに帰った。そうでなければテオは必ずおしゃべりをしてくれて決まっておすすめの本を出してきてくれる。


 イケメンで優しくって物知りで、それでと考えかけて頭をふった。


(ダメ、ダメよ。ドリュアデス。相手は人間なんだから)


 そばに座ったフェンリルが不思議そうに見上げている。心の中が透けて見えてしまったのだろうか。


「ごめんね、内緒にしていて」


 しいっと指先を口元に当てると膝の上に置いた本に読み入った。




 数時間の読書を終えて家のなかに入ると甘ったるい匂いがしていた。石窯オーブンのなかにはカヌレが焼けている。手作りのミトンで窯から取り出すと幸せな気持ちがあふれ出した。この瞬間はいつでも緊張する。


「上手に焼けた。昨日は少し火加減を間違えたから」


 するとそばにいた火の精霊たちがむうっと文句をいいたそうにしている。


「あげるからわがままいわないでね。昨日の失敗はみんなの責任」


 焼き型を裏返すとことんと皿の中に落ちて香ばしい姿がお目見えする。カヌレを二つやると火の精霊たちは数匹でそれを分け合った。


 トングでとりわけ作業をしているとこんこんとドアベルが鳴った。気の早い客だ。どうやらカヌレの香りは森のなかにまで漂っていたらしい。

 ドアを開けるとディング(鹿の仲間)の親子がつぶらな瞳でこちらを見上げていた。


「いつもありがとう」


 カヌレが二つ入った皿を差し出すと彼らは口にくわえていたペリドットを置いて、代わりにカヌレを持って去っていった。


 次から次へ森の動物たちがやってきて対価を置いていく。もらい受けた宝石は小さなカゴいっぱいになり、この量だと町で換金して当面の生活が出来る。鼻歌を歌いながらカゴを戸棚に片づけて散らかった室内を片づける作業を始めた。


 水に浸しておいたカヌレ型を洗いながら眺めていた。おばあさんから貰い受けたカヌレ型は十二個。それに後々カヌレ屋を始めて買い足したものが十二している。




——昔々、あるところにドリュアデスという精霊がいました。彼女は他の精霊と比べて落ちこぼれでみんなが出来ることが出来ません。精霊の本来の役割とは惑星と結びつき、大地の力を集積させて恩恵をもたらすこと。彼女はことさらその力が弱く精霊であるはずなのにせいぜい出来るのは消えて人間の不思議な生活を垣間見ることくらいです。


 精霊の里を爪はじきにされた彼女は世界を巡る旅に出ました。様々な経験をし、そして樫の木がたくさんある森にたどり着いたのです。


 その森にはひとりのおばあさんが暮らしていました。伴侶をもう何十年も前に残し一人きりで暮らすその老婦人はとても美味しそうな食べ物を焼いていたのです。


「すごくいい匂い。何て食べ物かしら」


 精霊であるはずのドリュアデスは彼女の焼いたカヌレに興味を持ちました。カリッと香ばしい不思議な見た目の山型のお菓子。人間はずいぶんグルメなことを知っているものです。


 おばあさんは焼いたカヌレ数個を持つと森の大きな樫の木の根元へいきました。彼女は祈ります。


「精霊さま、あなたの恩恵でわたしは無事に暮らしていけます。この素敵な森がいつまでもいける物たちにとって恵みとなりますように」


 カヌレをお供えすると彼女は自宅へ帰っていきました。


 ドリュアデスは彼女の焼いたお菓子を食べてみたくなりました。そっと姿を現して一つつまんでみます。その途端口のなかに感動が押し寄せました。


「何て不思議な触感なの、美味しい」


 夢中でお供えされたカヌレを彼女はみんな食べてしまったのです。その日から彼女は毎日おばあさんのお供えするカヌレを楽しみにしていました。


 ある日、カヌレを夢中で食べていたドリュアデスはおばあさんが見ていることに気が付かずに夢中で頬張っていました。すると背後で声がします。


「こりゃ驚いた。食べていたのは娘さんかい」


 おばあさんは目を丸くして腰を抜かしています。本来ならドリュアデスは姿を消すべきだったのかもしれません。でも彼女はそのことを失念し、あわてていい訳をします。


「ごめんなさい、とても美味しかったの」


 口元にはかじりかけのカヌレ。尖った耳を少し下げて困った表情で見つめます。するとおばあさんは「じゃあ、もう少し焼いてこようかね」と曲がった腰を叩きながら去っていきました。その日からドリュアデスとおばあさんの不思議な交流が始まったのでした。

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