5 素敵な朝食を
微睡のなかで夢を見ていた。遠くの町で暮らしていたときの夢だ。両親がいて、兄弟がいて、一番下の自分はまだ八歳だ。母親が焼いてくれたハチミツケーキを取り合いしてケンカになった。一番下の自分は一番小さなケーキを貰ったがその甘ったるさを今でも忘れられない。本当に美味しかった。
その時に母がいっていたことを思い出した。ハチミツは森の恵みでたくさんの蜂が一生懸命かき集めた労力が詰まっているのよと。だから元気になる。でもあんまり羨ましそうにしていると甘いもの好きのドリュアデスがやってくるわよと。
ドリュアデスってなあにとその時は思ったがハチミツケーキをむさぼるのに夢中でそれは聞かなかった。
目が覚めて伸びをするとやたらと体が凝っている。そうか、イスに座ったまま眠っていたのかと独りごちた。窓の外を見ると雨は止んで太陽が昇っていた。そこでひと晩過ぎてしまったことにはっと気が付いた。
机にはガラスコップが置かれていて、透明の液体からは柑橘系の香りがする。飲んでもいいのだろうか。口づけると清涼感のある味がした。水にレムリアを溶かしこんでいるのだろう。
窓の外では青毛のフェンリルが駆けまわり、たくさんの精霊が遊んでいて、庭は雨露でキラキラと輝いて天国のように美しい。その景色のなかで薄紫のワンピースを着た女子が植物をつんでいる。
「ドリュアデスか。不思議な子だな」
精霊の暮らしている物語のなかの家に迷いこんでしまったこと。そこでもてなしを受けたこと。一冊本を書けそうな内容だ。タイトルはそうだな——素敵な森の暮らし。
青年はほくそ笑むと玄関に回って外に出た。精霊のたわむれる庭に入っていきドリュアデスのそばに寄る。
「昨日はありがとう。晴れたから町に帰ることにするよ」
「えっ」
と、ドリュアデスは戸惑ったような表情をして手に持っていたカゴを見つめた。何か不都合があったのだろうか。
「どうかした?」
「あの、そのっ……朝ごはんを。と思ったんだけれど」
カゴのなかを覗いてみるとサラダ用のフェルニアやら赤く熟れたフュッゲが収穫してある。どれも新鮮、サラダになんていわれた日には最高だ。
目を瞬かせて青年は少し考えた。まあ、急いでいるわけではない。
「せっかくだから食べてから帰ることにするよ」
「ほんと? じゃあ、待っていて」
ドリュアデスはサンダルをパタパタと鳴らすと玄関の方へと向かった。
青年は朝焼けを浴びながら背の後ろで手を組んで伸びをする。朝日って体内時間の調節にいいんだっけ、これぞ朝活と思いながら。町の暮らしでくすんでしまった血液が目覚めていくよう。案外こういう場所も悪くないなと思った。
朝食に並んでいたのは庭で採れたサラダにたっぷりかかったオリーブオイルと塩。ゴロゴロチーズの入ったパンにパンプルを潰したスープ。枯渇した体を満たしてくれるような健康的な食事だった。
ドリュアデスは向かいの席で楽しそうに食事している。あんまり笑っているのでどうしたものかと問いかけた。
「楽しそうだね」
「あ、や。あのお客さんが誰も来ないからと思って」
文脈をつかみ取れず頭のなかで整理する。ドリュアデスは態度に表さないものの自分がここにいることがどうやら嬉しいらしい。
「せっかくお料理の腕を磨いてもおもてなしする人がいないと困っちゃうから」
すると足元でともに食事していたフェンリルがきゅおんとなく。
「ああ、ごめん。あなたは特別よ」
ドリュアデスはそういってフェンリルをなだめた。
「町に帰るなら一緒に行こうと思うの。今日はカヌレを売りに行く日だから。ついでに図書館で本も返したい」
そうか、先ほどから匂いがしていたけれどやっぱりこれはカヌレを焼いた匂いだったんだ。
「カヌレは売り物だったんだ」
「本当はね、でも昨日は特別よ。大雨だったもの」
そうか、と青年は相槌を打ってスープを口に運んだ。濃厚な味が口のなかに広がる。たっぷりと牛乳を使ってある。
「図書館も良ければ案内するよ。僕は図書館の人間だから」
うそ、とドリュアデスは口元に手を当てて驚いた表情を見せた。
「ほんとだよ。これでも司書。これでも本には多少詳しくて。でもキミみたいな可愛らしい人が来ていたなら記憶しているはずだけれど」
ちょっと歯が浮くようなセリフをいって刺激してみたけれど、ドリュアデスはそれに応じなかった。結構、自信あったのにな。
「あのね、内緒に、その、目をつむってほしいんだけれど。本はちゃんと借りてるわけではなくて」
青年は「ああ」と察しがついてその慌てように笑った。そういうことか。彼女は精霊。どんなに人らしく過ごしていても精霊なんだ。
「図書カードくらい一緒に書いてあげるよ。読書好きなら相手が精霊でも幻獣でも構わない」
「良かったあ」
ドリュアデスはほっと胸をなでおろして胸元に手を当てた。指先まで整った白肌が美しい。青年はその様子を見ながら少し不埒なことまで考えてしまった。
(可愛すぎるって案外罪なのかも)
これで図書館の来館者がまた一人増えたなと思いながら食事を続ける。満足のいく食事、素敵なリビングで誰かと語らいながら。暮らしを楽しむ、ってどこかのライフスタイルの本に書いてあったなと記憶を手繰り寄せながら。
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