4 人間を思考する
青年はまじまじとドリュアデスの作ったカヌレを見ている。焼け具合を見定めているのだろうか。洗練された横顔に少し笑みを浮かべ、しみじみと美味しいといった。
でしょう、でしょう。やっぱりそうでしょう!
と、思ったがはしゃいだ顔は見せずに淑やかに窓ガラスに触れた。
「今日は雨だから町にもいけない。カヌレはお休みね」
外は強い雨が地面を叩いている。畑の作物はしな垂れて初夏の夕立は収まる気配がない。コレじゃ、外に出るのは当分無理だ。青年は雨宿りさせてほしいといったけれど、雨が止むのを待っていれば今日ということにはならないかもしれない。
「傘なら一本あるから持って行ってもいいよ」
すると青年はぼふっとコーヒーを吐き出した。口元をぬぐいながら笑っている。
「ごめんね。もうちょっといさせてもらってもいいかな」
「うん。そう、ご勝手に」
頭のなかでじっくりと考えていた。
(お客さんに帰ってっていうのはダメなのかな)
知識のなかにはお客さんは丁重にもてなすこととある。でも来たお客さんを返してはいけないという但し書きはない。
青年の食べたカヌレの皿を片づけて洗い物をしていると青ぶどうの香りの洗剤が切れていた。
「コレも明日買ってこなくちゃ。覚えててくれる、フェンリル」
「きゅお」
「精霊は洗剤まで用意するのか」
「いいじゃない。お料理して洗い物くらい誰でもする」
すると青年は興味深そうに調理台にもたれかかって真顔で見てきた。
「僕が知っている精霊っていう生き物はお菓子なんか作ったりしないし、人をもてなしたり、そもそもこんなお洒落な家に住んだりしない。どうしてかな」
「…………」
ドリュアデスはじいっと青年の顔を見つめていうべき言葉を考えていた。でも見つからない。精霊は普通はこんなことしない、そういわれるのはもちろん初めてじゃない。
「精霊が人間の暮らしに憧れて真似事してるなんておかしいと思っているんでしょう」
「ダメといったわけではない」
「気にしなくっていいよ、別に」
ドリュアデスはつんと鼻先を逸らせると机に置いてあったほとんど読み終わりの『沈黙の人魚』を手に取ってロッキングチェアに腰かけた。体をゆらゆらと揺らしながら読み入る。物語は丁度難しいところだった。
末娘のイザベルが最後処刑される場面で水のなかで人魚に変態した姿で叫ぶ。わたしは愛を得られずに死んでいくのですか、と。愛し合った家族ではなかったのですかと。彼女が処刑されるのは国王が国民に対して示しをつけるだめだ。
「愛した家族ですら自らの地位を保つために殺さなければならない。人間って変な生き物ね」
「沈黙の人魚は人間の浅ましさを書いた作品だ。精霊にその感覚は難しいと思うけれど、例え愛した娘であっても家臣の進言のために捉えて葬らなければならない。そういう歴史を繰り返してきて人の世というのは成り立ってきたのだよ」
「精霊ならば大事な局面で嘘をつく」
「感情に捉われない生き物だからね」
そういって青年は本を受け取るとこんこんっと表紙を打ってにこりとほほ笑んだ。
「僕も読んだんだけれど面白かったでしょう」
優しい微笑みにぽっと頬が赤くなる。うつむき加減で答えた。
「わたしが人間ならもっと面白かった」
「そか」
青年はそれ以上は何もいわずに椅子の背もたれに身を預けた。部屋の中をぐるりと見渡して心底安らいだような表情を見せた。
「素敵な家だ。変っている何ていってごめんね」
「気にしてないよ、本当のことだから」
「そうかな」
「そうだと思う」
ドリュアデスはくすぐったいやり取りにいたたまれなくなり、読み終えた本を自室の本棚に返すと縫いかけのキルトをもってリビングに戻った。
青年は椅子に座ったまま眠っていた。雨に打たれたからだろう。気持ちよさそうに目をつむっている。帰ってもいいんだよ、と思ったけれどそれはいわずに置いた。今日はフェンリルと二人だけ。寂しいなんて感情は精霊には合わないのかもしれない。でも、誰かと一緒にいられるならばその時間を楽しみたい。
森の暮らしは楽しいけれど孤独だ。温もりを感じたいと願う瞬間があってそうした時に自分は一人になる。遠くの故郷を思い描いた。精霊の森にはドリュアデスもたくさん住んでいた。
「ドリュ」
青年に呼ばれた気がしてドキリとする。キルトをぎゅっと胸元に寄せて青年の方を確認したが彼は静かに眠っていた。
ドリュアデスに名前はない。精霊は特別な名前をもたず、自然に発生して恵みが無ければ自然と消えていく。生こそ長けれど、人間のように何かを残す人生を送れるわけではないのだ。
「分かっているけれど切ないね」
しんみりとしてフェンリルの首筋を撫でた。フェンリルはいとおしそうに一つ鳴くと腹を見せて撫でてくれと尻尾をふった。
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