ビードロにのせゆく

熄香(うづか)

ビードロにのせゆく

 恰(あたか)も夏である事を告げる、蝉時雨の中に佇む旦那様には燦々と太陽の光が……。それは先日、姐様達からのお言い付けにて町に出た折。子供達が遊んでいたビードロを打ち水をした地面へ落としてしまったのを目撃致しました。それはそれは見事に散ったのでございます。濡れた破片が光に照らされて、一つ一つが透明に美しく儚い。そして射抜くような輝きを持ち合わせておりました。それは時折見せる旦那様の眼光が如し。

 さて青紅葉の隙間からきらきらと太陽の光が旦那様に降り注いでおりました。天はその御姿を装飾なさったのでしょう。この瞬間を絵に収めたく思いました。どの殿方よりも若いご婦人たちよりもお綺麗で、夏にそぐわないほどの白い肌が繊細に陽光を浴び、少し長めのお髪は首筋の汗と共に張り付いて完成されたその姿がいつか本でみた西洋の彫刻を連想させます。

 つらいことがあっても、青い紅葉園へ風鈴の音と共に現れる旦那様をお見かけするだけで生きていてよかった、と報われる日々。遠くから眺めているだけで幸せすら感じさせる旦那様はわたしの神様でしょうか。

 然し現実と云うのは夢心地に浮いた胸をいつも地へと突き落とすのです。先程噂好きの使用人が「このまま何事もなくお年頃になられましたら隣町の御令嬢様と婚姻なさるわ」とお話ししておりましたのを聞いてしまいました。わたしの胸はくるしくなり、指先が震えてしまう。大事な茶器を落としてしまう前にその場からスッと離れまして一人。紅葉園へ視線を向けますと、旦那様が非常にお綺麗な御令嬢様とお庭を歩いておりました。足元に力が入らなくなって、その場で座り込んだ見苦しき有様。そんな余裕もなく、鼓動をやめたかのように胸が大きくゆっくり痛めつける様に侵食してくるのです。

 これはまごう事なき事実であり、当たり前な事なのです。わたしは一介の使用人。旦那様から見れば、街の中ですれ違う者と同じ。比べては失礼極まりないのは重々承知の上でございます。

 あの美しい御令嬢様……上質な夏のお着物をお召しになり、涼やかな足元は水面を歩いてる様に見えるほど完璧な所作でした。溢れんばかりの大きな瞳に添えるお化粧、繊細な硝子細工にいろを足した指先——あぁ、次第にぼやけて滲む視界をどなたか止める術はありませんか?目元を拭った手を見やれば己の指先はあかぎれて、濡れ破れた和紙でした。

 これで最後に致します。わたしは酷くのたうち回る胸に無理矢理蓋をするように声を殺しました。わたしの神様、どうかお赦しください。


 ——届く事なき胸の内。あの時砕けたビードロに想いを乗せましょう。



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ビードロにのせゆく 熄香(うづか) @RurineAotsuki

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