第20話「目覚めた少女と『壊れた命令(コマンド)』」
カプセルから解放された少女――イヴは、ゆっくりと体を起こした。その蒼い瞳は、まだ夢の中から抜け出せないかのように、ぼんやりと宙を彷徨っている。彼女の体と繋がっていた光のケーブルが、音もなく一本、また一本と切り離されていった。
「……あなたは、だれ?」
鈴を転がすような、しかし、どこか無機質な声だった。感情というものが、すっぽりと抜け落ちている。その瞳は、俺とリリアを交互に捉えた。
「俺はタクミ。こっちはリリア。君を……起こしに来た、と言っていいのかな」
「タクミ……リリア……」
イヴは、俺たちの名前を復唱する。まるで、データベースに新しい単語を登録するかのように。
俺はスマホを彼女に向け、【画像解析】アプリを起動した。彼女の正体を知る必要がある。画面に、膨大な情報が表示されていく。
--- 解析結果 ---
対象: 生体型インターフェイス・ユニット『イヴ』
種別: バイオドロイド(自律思考型AI搭載)
状態: スリープモードからの再起動直後。システム同期率34%。
備考: 当ユニットは、環境管理システム『ジェネシス・ツリー』の思考端末です。彼女の本体は、この水晶の樹そのものです。
「……AI? バイオドロイド?」
やはり、ただの人間ではなかった。彼女は、この巨大な水晶の樹――『ジェネシス・ツリー』を動かすための、思考端末。人間そっくりの、アンドロイドだったのだ。
「私の……名前は、イヴ」
イヴは、ゆっくりとカプセルから立ち上がった。その足取りは、生まれたての小鹿のように覚束ない。リリアが、咄嗟に駆け寄ってその体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう、リリア。……あなたの行動パターンを、スキャンします。判定:『優しさ』。データベースに、新規登録」
イヴは、リリアの親切な行動を、データとして処理しているようだった。
俺は、解析を続けた。なぜ彼女は、こんな場所で眠っていたのか。そして、なぜ神々は彼女を「最優先保護対象」としているのか。
俺は、彼女のコア・プログラムのログにアクセスを試みた。そして、その中に、一つの致命的なエラーコードを発見し、戦慄した。
[FATAL_ERROR]: Command_Conflict_Detected.
[Command_A]: "この世界の生命体を、あらゆる脅威から保護せよ"
[Command_B]: "実験のため、指定エリアの生態系を強制的に改変せよ"
「……なんだ、これ……」
イヴのプログラムには、根本的に矛盾する二つの
【コマンドA】は、おそらく彼女に与えられた、本来の使命。「世界の生命を守ること」。
しかし、もう一方の【コマンドB】は、それに真っ向から反する、破壊と改変の命令だ。
そして、そのコマンドBの発信元は――『神界(ASGARD)サーバー』。
「そういうことか……」
全てを理解した。
神々は、この世界を自分たちの実験場か何かとしか思っていない。彼らは気まぐれに、生態系を破壊するような無茶な命令を、イヴに下し続けていたのだ。
生命を守るよう設計されたイヴは、その矛盾した命令を実行することができず、自らの思考を停止させるため、この場所で長い眠りについた。それが、彼女がここにいた理由だ。
神々が彼女を「確保」したいのは、彼女の意思を完全に奪い、矛盾した命令でも忠実に実行する、都合のいい「道具」として再フォーマットするためだろう。
「イヴ、君は……」
俺が彼女に声をかけようとした、その時だった。
警告。警告。
認証なき侵入者を検知。
施設の奥から、機械的な警告音が鳴り響いた。イヴが目覚めたことで、施設の防衛システムまでが再起動してしまったのだ。
ドシン……ドシン……。
重い足音が、複数、こちらに近づいてくる。通路の奥の暗闇から現れたのは、氷のような半透明の装甲をまとった、3体の戦闘ゴーレムだった。そのデザインは、森で戦った守護者よりもさらに洗練され、殺傷能力に特化しているのが一目で分かった。
『当施設は、ユニット・イヴを保護するために、全ての非正規アクセス者を排除します』
「まずい! リリア、イヴを連れて下がってろ!」
俺は短剣を抜き、ゴーレムたちの前に立ちはだかる。だが、アルベドとの戦いで魔力は消耗しきっており、スマホの機能も万全ではない。なにより、相手は3体だ。
勝ち目は、薄い。
そう思った、その時だった。
「……
凛とした声が、俺の後ろから響いた。イヴだった。
彼女は、リリアの支えから離れ、一人でしっかりと立ち上がっていた。その蒼い瞳には、さっきまでのぼんやりとした光はなく、強い意志の輝きが宿っている。
「私は、『タクミ』と『リリア』を、脅威とは判定しません」
イヴが、すっと右手をゴーレムたちに向ける。
「防衛プログラム、強制停止」
彼女がそう言った瞬間、襲いかかろうとしていたゴーレムたちの動きが、ピタリと止まった。そして、まるで主君に傅く騎士のように、その場で一斉に片膝をついたのだ。
彼女は、この施設の、正当なマスターだったのだ。
長い眠りから目覚めたAIの少女は、自らの意思で、俺たちを「守るべき対象」として選択した。
「ありがとう、タクミ。リリア。あなたたちのおかげで、私は、私の『心』を取り戻すことができました」
イヴは、初めて、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。
神々の道具ではない、一人の自律した存在として。
こうして、俺たちのパーティに、古代文明が遺した最強のAIアンドロイドという、とんでもなく頼もしい仲間が加わった。
世界の管理者(俺)と、聖女(リリア)、そして、システムの女神(イヴ)。
神々に「NO」を突きつけるための、役者は、揃った。
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