神依る巫女 三.
フユが腕の中でみゃあ、と鳴く。フユの姿が見えなくなったため、探していたのだと由良がつけ加える。少女はふたたび腰を下ろした。
矢が耳をかすめたとき、その先にいた小動物をとっさに庇ったのを、少女は今になって思い出した。
「あの矢はわたしを狙ったものだ」
まさかという思いが強い。だが矢は鎮めの巫女を、ひいては荒ぶる神を狙っていた。荒ぶる神に矢を向けて、なにが引き起こされるか考えなかったのか。
曲島と水穂国を繋ぐ道で引き留めようとした神護りとは、様子が違った。強引なやり口。これからはいっそう、気を引き締めてかからなければならない。
「そうだとしても、フユが助かったのは事実だからね。ほら、俺にはつれないのに――もう懐いてる」
膝に乗った小さなぬくもりをこわごわ触ると、フユは少女をじっと見あげてから甘え声で応えた。なるほど、これは食糧にはできそうもない。
そう思ったところで腹が鳴った。
「
「食う」
「フユとの仲違いを覚悟してね?」
含み笑いの意味はすぐに知れた。小豆はフユの食糧のようで、由良が腰帯に下げた巾着から小豆を取り出すと、フユが飛びついた。少女も負けじと飛びつく。
互いに一歩譲らぬ戦いを制したのは、フユである。少女の頬にはひっかき傷。
「鎮めの巫女様も、食い気は村の娘と変わら……いや、それじゃ村の娘に失礼かな」
「食べなければ生きられん……いや待て。気づいていたのか?」
意味ありげな視線を追い、少女は自分を見おろした。白衣に朱色の袴。巫女だと名乗ったも同然だった。
「言っておくが、わたしは二度と島には戻らん。ひとりきりはたくさんだ。話しかけても返事がないのは寂しいし、苦しい。あんな場所でひとりで死ぬと思うだけでぞっとする」
なにか言えば反応がある、ただそれだけのことがどれほどの安堵をもたらすか。
ともすれば、これまでの反動で思いの丈をひと晩でもふた晩でもぶちまけてしまいそうだった。
沈黙が落ちる。
やはり、この男も巫女は民のために死ぬのが正しいと言うだろうか。それが巫女としての務めで、選ばれたことが光栄なのだと言うだろうか。
初対面だというのに、つい正直な気持ちを明かしたのを悔やみ、少女は唇を噛む。そのとき由良が噴き出した。
「矢傷を受けた身で
ごく軽い口調で言われ、少女は面食らう。
由良は、少女が鎮めの巫女でも、神依りでも、言葉遣いを改めるつもりがないようだった。神依りの意味は、この国の者には周知のはずだが。
しかし、由良の変わらない態度に、少女は自分でも驚くほどほっとした。
対等な扱いを受けるのは、初めてだった。
「鎮めの巫女だと言っただろう」
「それは通称だよね。それに今その呼び名で呼ぶわけにはいかないでしょ。どうしようか」
まったく深刻ではなさそうにして由良が頭を掻く。雨の音は止んでおり、様子を窺いに外に出た由良が、今のうちだと少女をうながす。
ふたりの頭上で鳥のさえずりが響き渡った。
気の早い
「よし、お前さんはハルに決まり。フユとも相性がよさそうだ」
みゃ、とフユが胡乱げに鳴く。少女は、どう思う? と目でフユに問いかけた。今度の返答はみゃ、と愛らしい声。小豆を取り合った敵だが、戦友と認められたらしい。
「なるほど。悪くない。ハル、か」
少女の身の内を、涼やかな風が吹き抜けた気がした。
由良がうなずき、適当な木の枝を拾ってハルに渡した。杖の代わりにしろということらしい。
「じゃあさっそく行こう。足が痛むだろうけど、もう少し我慢して」
雨の上がった空の、澄んだ空気を胸いっぱいに吸う。いつのまにやら、夜の底から抜け出していた。
星の光がごく弱く、優しくまたたく。山の中はひっそりと、だが命が目覚める気配に満ちていた。敵も味方もなく、ただ今日を生きる命の力強さを感じる。
ハルはもう一度、その気配を取りこむように息を吸う。
まずは歩かなければならない。すべては、山を越えてからだった。
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