第38話 戦域支配
──人間側・ ロダン視点──
陽光が天幕を通して斑模様を床に落とす。布の綻びから入り込む光が、埃を漂わせ、静かな粒子が宙に浮く。
遠方から、掛け声、鎧が擦れる金属音、馬の鼻息――昼の戦場には、喧騒と沈黙が混ざっている。だが今、敵側に異様な“静けさ”があることを誰もが感じていた。
中央の椅子に腰掛ける老将──ゴドリックは、両手を膝に重ね、目を閉じていた。年輪を刻んだ顔には疲労と緊張が交錯しているが、知略を重んじる軍略家の風格を纏っていた。
天幕の隙間から風が吹き抜けると、薄い白髪がわずかに揺れた。
「報告申し上げます!」
幕がはためき、顔に汗を滲ませた伝令が飛び込んできた。膝をつき、息遣いを整える。俺もすぐに立ち上がり、格好を整える。
「聞こう」
伝令は息を吸い、言葉を紡ぐ。
「はっ!敵主力と思われる黒鬼部隊、現在も第二外郭にて投石器への攻撃を継続。展開の兆しなし。また、こちらの橋梁設営部隊は侵攻を継続。予定通り、進軍は順調です。荷車も損耗なく──」
報告の途中で、ゴドリックの眉がわずかに跳ねた。
「……黒鬼の姿、はっきり確認できたか?」
「はっ! 目視と双眼鏡で確認しております。さらに、新兵器部隊を指揮する動きも見られました」
ゴドリックは浅く息を吸う。
「……動かない?投石器に苦戦しているとみるべきか」
ゴドリックの目が細められる。光を受けたその瞳は鋭く、若き将校たちの顔が僅かに強張る。
「ゴドリック団長、何か引っかかる点が?」
俺の問いかけに、天幕の中がじっと沈黙した。
ゴドリックは肘掛けに手を置いたまま、目を閉じて数秒思案する。やがて、静かに口を開いた。
「ロダン。……なぜ黒鬼は動かぬ?」
その声に、俺は答えられなかった。
敵の主力が橋掛けの阻止に出てこない。それは確かに好都合だ。しかし──それはこちらにとってあまりにも“都合”が良すぎる。
ゴドリックは、幕の奥に広げられた地図へと歩み寄り、指で線をなぞる。
「敵が真に破るべきは、投石器ではない。橋掛けを許せば、マグ=ホルドに直接兵を送り込める。黒鬼ほどの将が、それを理解していない道理があるか?」
その言葉は、俺自身の中にあった疑念を形にしたものだった。
「黒鬼は……待っている。策を、罠をかけているのではないでしょうか?」
ゴドリックはわずかに頷き、幕の裂け目から差し込む光の向こうへ目をやる。
「マグ=ホルドに近づいた瞬間、発動する何かがある。
あるいは、我々の知らぬ新たな兵器か……」
――その時だった。
ぐらりと、天幕の骨組みが小さく軋んだ。遠くで地鳴りのような振動が起き、誰ともなく立ち上がる。外から聞こえていた兵たちの足音が、一瞬、止んだ。
嫌な沈黙だ。戦場で聞こえるべき音が、次の瞬間にまるで引き剥がされたように消える。
「……何事だ?」
誰かが呟いた、その直後だった。
「伝令――!!!」
裂帛の気合とともに、天幕の帷が激しく跳ね上がる。飛び込んできた若い騎兵の顔には鬼気迫るものがあった。息は荒く、声が裏返っていた。
「敵の騎兵部隊、こちらに向かってきます! その数、およそ千──!」
「……せ、千!?」
室内の空気が一気に張り詰める。
「先頭には……首無しの黒馬!黒鬼と見られる騎将が!」
ゴドリックの目がゆっくりと細まる。
その瞬間、天幕の時間が止まったようだった。
「……来たか」
老将の言葉は、静かだった。だがその静けさが、逆に幕内に戦慄を走らせる。
「城壁で指揮を執っていたのは影武者だとでも言うのか?“投石器”に縛られ、不動を貫いていたのではない。奴は最初から、背後の本陣を突くために、軍を温存していた……!」
喉が、無意識に鳴った。
本陣の強襲。こちらの“順調”は、敵が与えた幻だったのか?
「命令を」動揺を隠すため、短く口を開く。
ゴドリックは目を見開き、低く応える。
「――全軍、迎撃態勢。すぐにだ!」
天幕の外から再び、重い地響きが響き始めていた。
千を超える蹄の鼓動――戦が始まる。
♦
──バルド視点──
マグ=ホルドの大門が後方へと遠ざかる。
鋼鉄の扉が軋み、跳ね橋の鎖が鳴った余韻が胸に残る。
俺は千の騎兵を率い、先頭を駆ける。風を切る音、蹄の振動、鎧の重み――それらがすべて、俺の鼓動に重なる。
背中越しに、戦士たちの熱気を感じる。
鎧の隙間から立ち上る汗の臭い、息づかい、剣を握る手の震え。
皆、この時を選んだ。
この布陣、この瞬間、この一撃のために――誇りを胸に。
ゴドリックの畳みかけるような策を凌ぎ、千載一遇のこの機を掴むのは、俺ひとりの力ではなし得なかった。
昼夜を問わず鉄を打ち続けたムルガンの鍛冶場。
幻影を紡ぎ出し、防衛戦を牽引するシャマルク。
先陣に立ち、仲間を鼓舞し、斧槍を振るうアク―バ。
そして、マグ=ホルドを守るために剣を抜いた無名の戦士たち。
誰か一人でも欠けていれば、この突撃は成り立たなかっただろう。
(……気持ちのいい奴らだ。仲間のため、未来のために命を賭す。誇りを捨てずに戦うその姿勢に、俺は報いたい──信じてついてきた戦士たちのためにも、この一戦、確実に押し通す!)
思いを抱く中で──
視界が一瞬白く滲み、脳裏に何かが閃いた。
風の揺らぎが鋭くなり、音の収束が起こる。
戦場全体がスローになるように、輪郭が際立つ。
【システム通知】
条件達成。スキル【指揮】が臨界点へ到達。
──判定中……
スキル進化:【指揮】 → 【戦域支配】
【ユニークスキル:戦域支配】 発動
効果:戦域内の味方の士気・技量・恐怖耐性・陣形維持が大幅に強化される。
まるで時間の縫い目が裂けたように、世界が鮮明になる。
兵の呼吸、騎兵の列、敵の隙、戦場の地形──すべてが盤面のように配置され、動きを読み取れる。
俺の意志が向かえば、その一騎の踏み込みが一連の波動となり、全軍に伝播する。
これは、今までの【指揮】ではない。
【戦域支配】戦場そのものが、俺の意志に反応する奏鳴となる。
黒剣を高く掲げ、俺は声を張る。
「オークの勇者達よ!進めえええ!」
「うおおおおおおお!!!」
「将軍に続けえええええぇえ!!」
千の咆哮が轟き、鎧が鳴り、蹄が石を裂く。
馬の頭が一斉に前へ突き出し、刃と汗と風が交錯する。
それは、生命の雄叫びである。
「て、敵襲!重装歩兵は陣形を整えろ!」
「く、来るぞぉお!!」
動揺する橋梁設営部隊の列を、俺達は暴風のようにすり抜けた。
盾を抱えた歩兵たちが騒ぎ立て、材木や資材を持つ工兵の顔が歪む。
轟く風圧、蹄の振動、甲冑が軋む音──あらゆる音が混ざり合って、戦場の緊迫が肌を押す。
「なっ!すり抜けた!」
「クソ!狙いは本陣か!」
正面には、敵本陣が慌ただしく防備を整える姿が見え始めた。
旗手が旗を振り、槍兵が列を引き、騎兵隊も動き出す。
柵の門扉が閉ざされ、櫓には弓兵たちが配置を取り直す。
この突撃が「本物」であることを敵に認識させねばならない。
ためらいは許されない。
超至近まで切り込み、その瞬間に反転し、背後を突く。
千騎を寸分の乱れもなく操り、敵の心と陣形に亀裂を入れる。
──不安はなかった。
アク―バは斧槍を構え、その瞳に狂気の熱を宿す。
ザルグは大剣を構え、先導する姿勢を崩さない。
彼らが部隊を主導し、俺たちはその道を切り開く。
絶望を越える覚悟を胸に、俺はデュラハン・ホースをさらに加速する。
「行け!勝利を、我らの誇りをこの地に刻め!!」
すべてを賭して、今こそ、この突撃を成功に変えるために。
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