第36話 盤上遊戯

 空がまた、唸る。


 第二投石機から放たれた石弾が、重低音とともに空を裂いた。陽光を遮るほどの巨岩が城壁を掠め、巻き上がる風が顔を叩く。衝圧が腹まで伝わるような感触が、体を揺らした。


「伏せろッ!」


 叫びとともに、兵たちは防壁に伏せた。石弾が石畳に激突し、地面が震える。土煙が視界を塗り、跳ねる岩片が轟音の余韻とともに地を叩く。


「ッ! 投石は逸れた! アーチャー隊! 目標はそのまま第二投石器!」


「了解!」


 鎧通しアーマーピアサーの剛矢が戦場を切り裂き、第三投石器は既に瓦礫と化した。だが、依然として二つの投石器が完全稼働している。敵は攻撃の手を緩めるつもりはない様だ。


 そのとき、偵察兵が風を切って駆け寄る。顔は埃にまみれ、鎧には凹みが刻まれ、戦場を跨いできた痕跡をその姿から感じた。


「将軍! 緊急報告です! 敵本陣より、大型荷車を伴う三部隊が同時展開!」


「三部隊? 本当か?」


 俺は問い返す。偵察兵は胸を上下させ、荒い息を整えながら頷いた。


「各部隊、百名ほどの重装歩兵編成。いずれも赤のサーコートを着用。荷車と工兵を中央に据えて前進中です!」


「赤……第一騎士団か!」


 俺はその言葉を飲み込みつつ、“鷹の目”を起動する。


 ――視界が跳ね上がる。空を裂くように、戦場の全貌が脳裏に焼き付いた。


 視線の先――

 布覆いが一斉にはためき、三方にその形を現した。それは軍用重荷車。丸太、滑車、杭、ロープ。橋梁設営用の資材一式が積まれていた。


 そして、その荷車を挟むように、重装歩兵たちの列が進む。大盾を構えた前衛、槍を前へ突き出す中列、後列にはクロスボウを保持した兵士。間隔を崩さず、均等な進軍。


 彼らの動きには迷いがない。それは護衛ではなく、突破を狙う布石だ。


「グル」


 俺はひそりと呼びかける。


 隻眼の副官が表情を引き締め、応じた。


「なぜ今、このタイミングで三隊を同時展開したと思う?」


 グルは唸って眉を寄せた。


 「……投石器を一基落とされた。だから代案として、橋を掛けたいんじゃねぇか?」


 「そうだ。だが、それだけではない」


 俺は視線を荷車と兵の列に戻す。


 三部隊――ほぼ等距離で広がる配置。攻撃線を三方向に割くことで、こちらの射線を読み、鎧通しアーマーピアサーの配置リスクを分散させようとしている。だがそれは、こちらの兵器数を把握していることを意味する。


 「奴らは、鎧通しアーマーピアサーが多くないことを見切っている」


 俺の言葉に、グルが舌打ちした。


 「重装歩兵と投石器、どちらを潰すにしても、鎧通しアーマーピアサーが必要……。なるほど、分かってやがる」


 その通りだ。数で押すのではなく、“選択肢”を奪う戦術。敵は鎧通しアーマーピアサーが増産される前に勝負を決めるつもりだ。


鎧通しアーマーピアサーをオルク=ガルだけではなく、軍全体に分配して配備するべきだったか?いや、それでは投石器を対処する時間が大幅に伸びる……。)


 投石器という奇策で揺さぶり、それが有効で無くなった途端、今度は堅実な橋掛けを展開――戦術の回転があまりにも早い。


 これは、老獪な指揮官一人の采配には思えない。


 遊戯卓の向かい側に座る相手は、果たして本当にゴドリック一人か?


(複数の知将を相手にしているようだ。俺という存在をよく知る何者かが…)


 仮説が形を取りはじめる。投石器の配置を考えた者と、橋架け部隊を動かした者――別役割で動く二つの意志。しかも、俺の“鎧通しアーマーピアサー”部隊を読む者がいる。


(……ゴドリックの背後に、見えざる影があるのか?)


 思考を切り裂くように、木材が軋む音。滑車歯車が擦れる音が、戦場を震わせる。


「バルド将軍!第一投石器、次弾来ます!」


 敵は猶予をくれない。投石器は稼働し続け、橋掛け部隊はじりじりと迫る。構築と反撃、両方を迫るこの展開。いかに早く判断し、いかに的確に解を返せるか――戦局は、その一点に懸かっていた。


(……最善手は何だ?どう切り返すのが正解だ?)


「グル!シャマルクを呼べ!それと、アク―バに騎兵突撃を要請しろ!」


「了解!」


 グルが咆哮じみた声で返し、駆け出す。足音が瓦礫を蹴り、風と混ざって消える。


 互いに顔の見えぬ距離の中で、一手の遅れも許されない盤上遊戯が始まった。




                  ♦



 砦の外壁は幾度もの攻撃で削られ、ところどころに欠けた石が露出している。陽は既に高く、真上から振り注ぐ光が煙と砂塵に反射して、熱気の靄を作っている。鎧の下では汗が流れ、顔を焼く日差しが戦場の生々しさを容赦なく曝す。


 背後で布が擦れる音がした。黒布に顔を覆った老婆が、影のようにゆっくりと現れる。黒布の端から覗く目だけが、周囲の損耗した石や血の匂いを測るように光る。ンドゥ士族の族長、四将のひとり——“呪婦”シャマルクだ。


「王よ。ワタクシに、何か御用ですかな?」


 その一言が、照りつける陽の下で妙に儀礼めいて響く。だが、その声音には血の匂いのような冷たさが混じっている。黒布の奥の濁った狂信が俺に注がれる。


 俺は城外を見据えたまま、短く返す。


「ここには多勢の兵がいる。俺のことを王と呼ぶのはやめろ」


「フフフ、わかりました。ではバルド将軍、ワタクシに何をさせたくてお呼びになったのですかな?」


 シャマルクはふっと笑うように肩を揺らしたが、すぐに落ち着いた礼節へと戻る。


「……西城壁の責任者であるお前の目から見て、戦局はどう見る?」


 視界には三隊の重装歩兵、荷車の列、投石機の軋む音が並んでいる。シャマルクは黒布の下でゆっくりと頷いた。日差しに黒袖がひるがえり、声は静かだが含みは深い。


「ふむ。貴方とオルク=ガルを警戒しているようですね。それはまぁ、見事なまでに」


 一目見て分かるか……やはり将軍と呼ばれる力量はあるようだ。


「では、俺が呼んだ理由はわかるな?」


「フフフフ、ええ」


 シャマルクの声に含まれる微かな好奇。彼女はすでに答えを見越しているかのようで、黒布の裾を軽く弄る。


「……ですな?」


「ああ、大将軍ザガノスを寸分の狂い無く投影するあの術で、俺の幻影を作ってほしい」


 敵は俺の動向を最も警戒しているとみて間違いない。城壁の上に俺がいると分かっていれば、敵の指揮官もそちらに目を向けざるを得ない。だが、シャマルクの幻影があれば、俺は自由に遊撃に出陣することができる。最大の障壁であるゴドリックの裏をかける。


「結論から言えば可能でございます。しかし、術は万能では御座いません。幻影を同時に発動できるのは一人のみであり、ワタクシが近くにいる必要があります。西城壁を任されている手前、ワタクシが完全に離れるのは難しいでしょう」


 彼女の言葉は現実を指し示す。幻影の制約について彼女が本当の事を言っているかは定かではない。だが、やはりと言うべきか、“幻影”にはそれ相応のコストはあることは確かだろう。


「問題ない。グル!」俺は隻眼の副官を振り返る。顔に刻まれた皺と、片目の鋭さが既に戦場の景色に馴染んでいた。


「おう」


「お前が西城壁の責任者をやれ」


 グルの眉が跳ねる。「お、おいバルド、本気で言ってんのか?そいつは将軍クラスの仕事だぞ!」


 声には驚きと興奮が混じる。だがグルは幾度も前線を指揮した経験があり、任せられる男でもある。硬い日差しの下、俺の口元が歪んだ。


「お前にしかできん仕事だ。俺の右腕なら当然、将軍ぐらいは演じて貰わう」


 グルの目が一瞬、鋭く光る。


「ッチ!わかったよ!この片目のグルがやってやる!」


 眼帯を固く結び、すぐに態度を切り替える。声にはいつもの豪胆さがこもっていたが、その裏で責任の重さを理解している。


 シャマルクは黒布の端をつまみ、小さな笑いを漏らす。


「フフフフ、良い臣下をお持ちのようだ。それではさっそく幻影を作りましょう」

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