第35話 狙撃の矢、獅子の決断

 晴天の空。大地が、唸り声を上げた。


 それは剣戟でも、馬の嘶きでもない。


 ――投石器の音だ。


 ゴギギギ……ゴゥンッ……


 まず、軋むような低音が響いた。巨大な木製のアームが、何人もの兵士の掛け声とともに引かれ、限界まで撓む。滑車が悲鳴を上げ、麻縄が弾ける寸前の緊張を孕む。


 そして、機構が解き放たれると、巨大な反動とともにアームが唸り声を上げて跳ね上がった。


 その先端――籠の中から解き放たれたのは、暴力的な大岩。直径2mほどもあるその塊は、弧を描き、空を裂いて飛んでくる。


 視界の上で、空が一瞬、翳った。


 「ッ!来るぞおお――!」


 誰かの叫びと同時に、石弾がマグ=ホルドの城壁に激突する。


 ガガァァンッ!!


 轟音が全てを塗り潰す。


 灰褐色の石が弾け飛び、城壁の一部が崩れ落ちる。鋭利な破片が雨のように降り注ぎ、駆け寄っていた兵士の一人が頭から血を吹いて崩れ落ちた。


 空を舞う瓦礫が火花を散らし、巻き上がった土煙が視界を閉ざす。


 「着弾場所の確認急げ!被害規模の割り出しはまだか!」


 「被弾、東城壁! 軽傷三、即死一名ッ!」


 伝令兵が叫ぶ。その声をかき消すように、さらに奥から二発目の“唸り”が響いてくる。


「バルド将軍!次弾来ますッ!」


「狙いはまだ甘い!祖霊への祈りを忘れた奴から死んでいくぞ!」


 俺はその音に冷静に応じた。

 マグ=ホルド攻囲戦、7日目。遂に敵の本格的な攻撃が始まった。


 木と鉄の咆哮。巨大なアームが引き絞られ、反動で唸りを上げながら解き放たれる。放物線を描いた石弾が、弓なりに空を裂きながら飛翔してきた。


 その軌道は、鋭く、だが完全ではない。


 重力、風、機構の微かな誤差。計算は正確でも、その通りにいくとは限らない。


 灰色の城壁が、視界の端でひしゃげるように揺れた。


 ガガアァンッ!!


 石弾が激突。狙いは吊り橋の巻き上げ機――だが、わずかに逸れ、衝撃はその手前の城壁に直撃した。


 石材が裂け、ひびが走る。数トンの圧力に耐え切れず、外縁の壁石が崩落。瓦礫が弾け飛び、砕けた石片が空を裂く。


 「城壁に直撃! 被弾箇所、巻き上げ機から十歩手前!」

 

 「バルド将軍!このままでは城壁が!」


 報告の声が飛ぶ。


(……もう狙いを合わせに来たか。さぞ優秀な工兵を抱えているらしいな)


「焦るな!アレを無力化できる手立てを我々は持っている!」


 トレビュシェット型と呼ばれる投石器。中世で大砲が普及するまで攻囲戦で使用された兵器だ。基本構造はシンプルだが、テコと重力を利用しているため、その破壊力は侮れない。


 俺は視線を投石器の配置に移し、問うた。


「アーチャー隊、狙いはどうだ?」


「第三投石器の支点軸……だね?族長」


 テルンが応じた。すでに鎧通しアーマーピアサーを城壁の狭間に据え、半身を出すようにして構えている。細身だが鍛え抜かれた体幹には微塵の揺らぎもなく、目は遥か彼方、敵の巨大投石器をまっすぐに捉えていた。


 その超大型クロスボウ――鎧通しアーマーピアサーは、まるで獣の顎のような風格を持っていた。


 全長は子供の背丈を優に超え、木製の強化複合フレームには黒鉄の弦ががっしりと張られている。厚みと剛性は軍用兵器の枠を超え、まるで“持ち運べる攻城具”そのものだった。


 矢――“槍”と呼ぶにふさわしい鉄製の弾体は、並の弓矢の三倍以上の長さを持ち、先端は四方向に刃を広げた貫通構造。対象の鎧や機構、壁すらも砕いて突き抜けるよう設計されている。


 「……狙えるか?」


 俺が問いかけると、テルンは頷き、弓床に頬を寄せた。目線は微動だにせず、狙点を定める精度に曇りはない。


 彼の足元では、鉄製の支持台が城壁に固定され、クロスボウの巨体をしっかりと支えている。


 テルンは片膝をつき、腰を低く落として弩と一体化するような姿勢を取った。風の揺れ、日光の屈折、敵の動きすら計算に入れるための“沈黙”が、そこにあった。


 その背後では――


 数十の鎧通しアーマーピアサー部隊が、一斉に膝をついた。


 異様な光景だった。


 黒鉄の鎧を纏ったオーク・アーチャーたちが、まるで同じ意志で動くかのように一糸乱れぬ動作で弩を構える。その巨体が生み出す圧力は、風すらも遠慮して流れるように感じた。


 ギギギ……ギギギ……


 弦を引く音が、まるで刃を砥ぐような低い重音となって響く。矢を番えるその手は無駄なく、そして迷いがなかった。


 「現在、三番機が給弾中。照準を合わせるには……あと五秒」


 ――そして、風と音が止んだ。


 まるで、世界そのものが“息をひそめた”ようだった。


 「――今だ」


 ――ズドンッ!


 沈黙を貫く重音。圧縮された空気を弾き、鋼鉄の矢が空を裂いて飛ぶ。テルンの射撃と同時に、部隊全体が一斉に撃ち放った。


 一射、二射、三射……矢が放物線を描きながら、敵の第三投石器を襲う。


 「命中!」


 「旋回機構、破損確認! 投石機アームに損傷発生!」


 巻き上げ機構の一部が歪み、アームが中途半端な位置で止まった。遠方で、敵の工兵らしき影が混乱しながら駆け寄るが、その先に崩壊が待っていた。


 ――支点が砕け、巨大なアームが暴れ、軸が破断。金属の音と木材の悲鳴が合わさる。


 アームの片側が勢いよく落ち、工兵の列に襲いかかる。次の瞬間、数人の影がその重さの前に叫びを上げて潰れ、血と悲鳴が土埃の中に混ざった。


 「……鎧通し、ってのは伊達じゃないねぇ」


 テルンが、にやりと笑って言った。


 俺は、再び前を見据えながら言う。


 「次の標的は、第二投石器だ!」


 「了解。じゃあ――もう一丁、通してやるよ」


 鋼の弓を再び番えながら、テルンが静かに膝をついた。その姿はまるで、大地に祈りを捧げるようだった。



 

                ♦


 ──人間側・ ロダン視点──

 

 天幕の空気を破るように、駆け足の音が近づいてきた。


「入れ!」


 ゴドリックの一声に、幕兵が頷く。やがて、顔を煤で汚した若き伝令が飛び込んでくる。胸の前には、何かを布に包んで抱えていた。


「……報告、第三投石器、大破!」


 ゴドリックも俺も、思わず顔を上げた。


「大破だと? まさか、敵の突撃か?伏兵はどうした?」


「いえ、それが……接近戦ではありません。遠距離攻撃によるものと推定。支点軸に衝撃が直撃し、巻き上げ機構が歪んで、アームが落下しました。工兵十三名が、巻き込まれて……」


 伝令は言葉を飲み込む。口元が震えた。


「それが、こちらです」


 布がめくられる。


 ゴトリ――と、黒鉄の矢が卓上に置かれた。否、矢と呼ぶにはあまりにも巨大で、無骨で、異質な代物だった。


 ねじれた鉄。断面は鋭く、先端は四枚の刃が突き出すように作られている。


「……これは……?」


 俺は思わず手を止める。


 矢、なのか? この大きさ、この重さ……こんなものを、どうやって飛ばした?


 ゴドリックも眉をひそめたまま、それをじっと見つめていた。


「……新兵器か? いや、投石器を狙う射程と精度……俄かには信じがたい。どこから撃たれた?」


「第二外郭と思われます。高度のある狭間から……影がいくつも並び、一斉に放たれたとの目撃があります」


 “影”、という言葉に、心臓が跳ねた。


 間違えるはずがない。


 ――奴の部隊だ。それは、まるで焼け焦げた野営地の再来だった。


 誰よりも冷静であるべき俺の中に、記憶の恐怖が這い上がる。あの光景を再び目の当たりにするなど、誰が望むというのか。


 幕の中が静まり返る。時間が止まったように、誰もが矢を見つめていた。


 そんな沈黙を破ったのは、ゴドリックの低い呟きだった。


「……手強いな。投石器への回答を僅か数日で用意してきたか。いい策だと思ったんじゃがのう」


 嘆息混じりの声。


「ゴドリック団長、いかがいたしますか」


 しばし、矢を睨んでいたゴドリックの目つきが変わった。それまでの柔和な表情はすっと剥がれ落ちた。目元の皺が引き締まり、光をたたえていた瞳が、冷たい金属のような光に変わる。


 まるで仮面を剥いだかのようだった。そこにいたのは、温厚な老紳士ではない。


 ――黄金の獅子を束ねる団長、“亜人殺し”ゴドリック。


 戦場に生き、敵を屠るために在る者の目だった。


「この新兵器の性能を測らねばならぬ。射程、威力、貫通力、連射性――全てだ。戦闘奴隷に鎧を着せ前線へ送れ」


 静かに告げられたその命令に、将校たちの顔が一斉に強張った。


「……ゴドリック閣下、ヒト族の奴隷の戦時利用は王国軍律に抵触しますよ?」


 副官トーマスが声を低くして進言する。幕内に緊張が走る。誰もが、この判断に怯え、戸惑っていた。


 だが、ゴドリックは眉ひとつ動かさずに言い放った。


「誰がヒトを使うと言った?――の個体から選べ。鎧を着せて試験する。陣にとって有益な情報だ」


 その口調に、情はない。ただ戦を勝つための、冷徹な意志だけがあった。


 俺の視線に、彼が静かに振り向く。


「ロダン。君はこの状況をどう見る?」


 いまだに胸の奥に渦巻く敗北の記憶。しかし今は、迷っている場合ではない。俺は声を張った。


「はい。奴らの新兵器の威力は強力です。しかし、武器の数自体はまだ先鋭部隊にしか行き渡っていないように思えます」


「なぜそう言い切れる?」


「他の戦線からの報告がないからです。大幅な主力兵器としての変更には、増産の問題から長い時間がかかるでしょう。そして、我々はそれまでにマグ=ホルドを攻略する必要がある」


 ゴドリックが再び矢に視線を戻す。


「ふむ」


「工兵部隊として名高い第四騎士団に橋を掛けさせるのはいかがでしょうか?敵は、依然として投石器を無視できない状況にあります。黒鬼の部隊をそこに縫い付けることさえ出来れば可能かと」


 その一言に、ゴドリックが目を細めた。


「投石器を完全な囮として使うと言うわけか」


 俺は頷く。策に確信はあった。いや、確信せねばならなかった。戦ったからこそ分かる。あの“黒鬼”を上回るには、こちらも先を読まねばならない――。


「わかった。その案を採用しよう。第四騎士団の護衛は我々第一騎士団が付こう。だが、策は二重では足らん」


 ゴドリックの声が鋭くなる。


「トーマス、グリフォン・ライダー隊に出撃命令を出せ!獅子の狩りを見せよ!」


「はっ!」


 副官が頷き、すぐさま幕を出ていく。


 戦の火蓋は――再び、静かに切られた。






──── STATUS ────


【名前】バルド=ガル


【種族】オーク・ストラテジスト


【二つ名】レーウェンの黒鬼


【称号】《黒》《人喰い》《死霊操者ネクロマンサー》《将軍ジェネラル

 └ 本来、国家の枠組みを持たないオークにとって、将軍は種族を代表する覇者である。


【スキル】《指揮》《鷹の目》《死霊術ネクロマンシー》 


【武器】鎧通しアーマーピアサー


【部隊構成】ハイ・オーク1/オーク・ソルジャー55

 /オーク・アーチャー40/オーク・アサシン14/オーク・ライダー40 

 骨兵スケルトン350/首無し騎士馬デュラハン・ホース


総部隊数500

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