第5話:帝との出会い
董卓が洛陽で権勢を振るう中、呂布は日々、彼の変化を間近で見ていた。以前の、村の再建を約束し、優しく頭を撫でてくれた董卓の面影は、次第に薄れていく。代わりに現れたのは、些細なことでも激怒し、容赦なく人々を処罰する暴君の姿だった。呂布の胸には、拭いきれない戸惑いと、漠然とした不安が広がっていた。李儒の冷たい視線や、李粛の諦めたような表情を見るたびに、その不安は募っていく。
ある日、董卓の命により、呂布は宮中へと護衛として赴くことになった。厳重な警備が敷かれた広大な宮殿は、その華やかさとは裏腹に、まるで巨大な牢獄のようだった。廊下を歩くたびに、呂布の小さな耳には、どこか遠くから聞こえるような、すすり泣く声が届く気がした。
案内されたのは、帝が暮らすという一室だった。扉が開くと、そこにいたのは、自分とさほど変わらないくらいの歳の少年だった。少年は、豪華な衣をまとっているものの、その顔は青白く、大きな瞳には深い悲しみが宿っていた。彼こそが、後漢の皇帝、献帝(けんてい)その人であった。
献帝は、呂布の姿を見るや、びくりと肩を震わせた。彼の瞳には、董卓の影に怯えるような、深い恐怖の色が浮かんでいた。呂布は思わず一歩近づいた。
「あの…大丈夫ですか?」
呂布の純粋な問いかけに、献帝はゆっくりと顔を上げた。戸惑いと、少しの驚きが彼の表情に浮かぶ。
「そなたは…」
呂布は、献帝の顔をじっと見つめた。彼は皇帝でありながら、まるで迷子の子供のように孤独に見えた。董卓の庇護下にあるとはいえ、彼の立場が、いかに危ういものであるかを呂布は直感的に理解した。
献帝は、呂布の問いに答える代わりに、静かに語り始めた。
「わらわは…何もできない。この国が、民が、苦しんでいるのに…わらわには、何も…」
彼の言葉は、まるで千切れるような、か細い声だった。その瞳の奥には、国を思う皇帝としての責任感と、無力な自分への深い絶望が入り混じっていた。
呂布は、献帝の言葉に胸が締め付けられる思いがした。彼の姿は、まるで嵐の中で立ち尽くす、小さな木のように見えた。そして、その孤独な姿に、呂布は自分を重ねた。董卓の傍にいながらも、どこか心の中で孤立を感じていた自分自身と。
「そんなこと、ないです!」
呂布は、思わず声を上げていた。献帝は驚いたように目を見開く。
「あなたは、この国の皇帝でしょう? 民の、希望でしょう? だから…だから、諦めないでください!」
呂布の言葉は、飾らない、真っ直ぐなものだった。その純粋な響きは、献帝の心を確かに揺さぶった。彼は、呂布の瞳の奥に宿る、偽りのない「正義」の輝きを感じ取った。
献帝は、しばらくの間、何も言わずに呂布を見つめていた。やがて、彼の顔に微かな、しかし確かな光が宿った。
「そなたのような者がいてくれるとは…」
その言葉は、感謝と、そしてほんのわずかな希望を含んでいた。
宮中を後にする呂布の心には、新たな決意が芽生えていた。献帝の孤独な姿と、彼の国を思う気持ち。それは、呂布が董卓を信じ続けるための、新たな理由となった。
「この国を…この人を守らなきゃ」
彼女の心の中で、その言葉が強く響く。自分の力は、董卓のためだけではない。この哀しい瞳の皇帝、そしてその先にいる民のためにも、使わなければならない。そう、幼い呂布は強く心に誓った。まだ幼く未熟な彼女の「正義」は、この出会いを通じて、確かな形を持ち始めていた。
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