第7話『ろくろ首』
第1章:予兆
1. 『ろくろ首』首筋の痣
彼女の白い首筋に、見慣れない赤い線が走っていた。まるで何かで締め付けられたような。「どうしたの」と聞くと、彼女は慌てて髪で隠した。鏡台の前で、長い髪をゆっくりと梳かしながら「何でもない」と微笑む。その笑顔がどこか固い。夜、隣で眠る彼女の首を、月明かりの中でそっと見つめた。赤い線は、まるで境界線のようだった。
2. 『ろくろ首』枕の位置
朝起きると、彼女の枕がベッドの端に落ちていた。昨夜は確かに並べて置いたはずなのに。「寝相が悪くて」と彼女は苦笑いを浮かべたが、シーツには乱れた跡もない。ただ枕だけが、まるで何かに押し出されたように遠くにある。拾い上げた枕には、彼女の甘い香りが残っていた。でもなぜか、少し冷たい。
3. 『ろくろ首』髪の乱れ
彼女の長い黒髪が、不自然な方向に流れていた。まるで上から引っ張られたような。朝の光の中で、彼女は鏡に向かって丁寧に髪を整える。「最近、髪が言うことを聞かなくて」そう言いながら、首を小さく傾げた。その仕草がどこか不自然で、まるで重い何かを支えているようだった。髪を結い上げた彼女の首筋が、妙に長く見えた。
4. 『ろくろ首』寝言
深夜、彼女が寝言を繰り返していた。「届かない、届かない」小さな声で何度も。手を伸ばしているような仕草をして、顔を上に向けている。何に届こうとしているのか。そっと肩に触れると、びくりと身体を震わせて目を開けた。「悪い夢を見てた」彼女はそう言って、首を不自然にさすった。朝まで、もう寝言は聞こえなかった。
5. 『ろくろ首』朝の疲労
最近、彼女の顔色が優れない。十分寝ているはずなのに、朝起きると疲れ切っている。「昨日もよく眠れなかった」とため息をつきながら、首を回す。その動きがぎこちない。朝食のトーストを噛む力も弱々しく、コーヒーカップを持つ手が小さく震えていた。「病院に行こうか」と提案すると、彼女は激しく首を横に振った。
6. 『ろくろ首』首を隠す仕草
彼女がスカーフを巻くようになった。夏だというのに、首元を隠すように。「最近、首が冷えて」と言うが、額には汗が滲んでいる。食事の時も、入浴の後も、寝る直前まで外さない。ある時、スカーフがずれて見えた首筋に、以前より濃い赤い線が幾つも走っていた。彼女は慌てて直し、「見ないで」と小さくつぶやいた。
7. 『ろくろ首』夜の外出
「少し散歩してくる」深夜、彼女がそう言って部屋を出ていく。時計は午前二時を指している。「こんな時間に?」と聞いても、「すぐ戻る」としか答えない。窓から見ると、彼女は公園の方へ歩いていく。月明かりに照らされた後ろ姿が、どこか普段と違って見えた。一時間後に戻ってきた彼女の髪は、なぜか乱れていた。
8. 『ろくろ首』窓の指紋
二階の寝室の窓に、内側から手の跡がついていた。手が届くはずのない高さに。「掃除したの?」と聞くと、彼女は首を傾げた。「触ってないけど」でも確かに彼女の細い指の跡だ。しかも窓は内側から開いた形跡がある。夜中に目が覚めると、彼女がベッドにいないことがあった。でも部屋のドアは開いていない。
9. 『ろくろ首』写真を避ける
「写真撮ろう」とスマートフォンを向けると、彼女は必ず顔を背ける。特に首から上を撮らせたがらない。「写真写りが悪いから」と言うが、以前はそんなことなかった。たまに撮れた写真を見ると、彼女の首の辺りが妙にぼやけている。まるで動いている時に撮ったような。最近、二人の写真が一枚も増えていない。
10. 『ろくろ首』悪夢
夢を見た。彼女の首が天井まで伸びていく夢。細く長く伸びた首の先で、彼女の顔が微笑んでいる。「やっと届いた」と嬉しそうに。目が覚めると、隣で彼女が寝息を立てていた。でも天井を見上げると、何かが擦れたような跡がある。夢だったはずなのに。彼女の首筋を見つめていると、赤い線がうっすらと脈打っているように見えた。
第2章:発見
11. 『ろくろ首』眠れない夜
もう我慢できなかった。今夜こそ確かめる。寝たふりをして、薄目を開けて彼女を観察した。午前三時。彼女の呼吸が変わった。規則正しかった息遣いが、深く、ゆっくりになっていく。そして彼女の首が、かすかに持ち上がった。枕から頭が浮いている。違う、これは頭が浮いているんじゃない。首が、伸びているんだ。
12. 『ろくろ首』月明かりの下で
カーテンの隙間から差し込む月光が、信じられない光景を照らし出した。彼女の首がゆらりと持ち上がり、蛇のようにくねりながら伸びていく。一メートル、二メートル。顔はまだ眠っているように穏やかで、長い髪が首に絡まりながら揺れている。首は窓の方へ向かい、ガラスにそっと触れた。この高さ、あの手の跡の謎が解けた。
13. 『ろくろ首』声をかけられない
彼女の名前を呼ぼうとした。でも声が出ない。恐怖で喉が締め付けられたようだ。伸びた首が部屋の中を漂い、本棚の上の埃を確認したり、エアコンの吹き出し口を覗いたりしている。まるで別の生き物のよう。でも顔は確かに愛する彼女のものだった。涙が頬を伝った。この人を、まだ愛していると気づいて。
14. 『ろくろ首』朝の演技
朝、彼女はいつも通り隣で目覚めた。「おはよう」と微笑む顔は昨夜と同じ。でも知ってしまった今、その笑顔が別のものに見える。朝食を作る彼女の首筋を見つめる。昼間は普通の長さ。「どうしたの?じっと見て」彼女が振り返る。「何でもない」と答える自分の声が震えていた。コーヒーが苦い。
15. 『ろくろ首』医学書を読む
図書館で医学書を読み漁った。骨格、筋肉、神経。人間の首が伸びる可能性を探す。でも当然、そんな記述はない。民俗学のコーナーに移る。妖怪、物の怪、ろくろ首。江戸時代の書物に同じような話があった。夜な夜な首を伸ばす女。多くは不幸な最期を遂げている。本を閉じて、彼女との未来を考えた。
16. 『ろくろ首』彼女の日記
彼女が出かけた隙に、申し訳ないと思いながら日記を見た。最近のページに乱れた文字。「もう隠せない」「彼に知られたら」「でも疲れた」「首が勝手に」「お母さんもこうだった」震える手でページをめくる。そこには赤いインクで「普通になりたい」と何度も書かれていた。日記を元に戻して、涙が止まらなかった。
17. 『ろくろ首』首の観察
昼間の彼女の首を、つい凝視してしまう。料理をする横顔、本を読む姿勢、髪を結う仕草。どこにあの伸縮の秘密があるのか。「最近よく見るね」と彼女が苦笑する。「きれいだから」と誤魔化すが、彼女の目が悲しそうだ。きっと気づいている。自分が何かを疑っていることを。でも、お互い何も言えない。
18. 『ろくろ首』距離を置く
怖くて近づけなくなった。同じソファに座れない。手を繋げない。キスなんてもってのほか。彼女も距離を感じているのか、触れようとしなくなった。「最近冷たいね」とぽつりと言われて、心臓が痛んだ。「仕事が忙しくて」と嘘をつく。本当は、夜の彼女の姿が頭から離れないだけなのに。
19. 『ろくろ首』彼女の涙
夕食後、彼女が突然泣き出した。「ごめんなさい」と繰り返すばかりで、理由は言わない。抱きしめたいのに、身体が動かない。ティッシュを差し出すのが精一杯だった。「私、あなたに隠してることがあるの」彼女がようやく口を開いた。でも「知ってる」とは言えなかった。「いつか話すから」彼女はそう言って部屋に閉じこもった。
20. 『ろくろ首』二度目の目撃
また夜中に目が覚めた。彼女の首は今度は窓から外に伸びていた。開いた窓から冷たい風が入ってくる。首は隣の家の屋根まで届いていて、何かを探すように動いている。月を見上げているのか、それとも星を数えているのか。美しくも恐ろしい光景だった。朝、窓は閉まっていたが、カーテンに彼女の髪が絡まっていた。
第3章:亀裂
21. 『ろくろ首』会話が減る
食卓で向かい合っても、会話が続かない。「今日はどうだった?」「普通」そんなやり取りで終わってしまう。彼女も多くを語らなくなった。テレビの音だけが部屋に響く。以前は他愛もない話で笑い合っていたのに。目を合わせるのも辛い。彼女の首を見てしまいそうで、視線は常にテーブルの上。この沈黙が、二人の距離を物語っていた。
22. 『ろくろ首』別々の部屋
「最近いびきがひどくて」そんな嘘をついて、別室で寝るようになった。彼女は何も言わなかったが、寂しそうな目をしていた。ドアを隔てた向こうで、彼女は今夜も首を伸ばしているのだろうか。時々、廊下に足音が聞こえる。いや、足音じゃない。何かが壁を這うような音。朝になると、お互い「よく眠れた?」と聞く虚しい儀式。
23. 『ろくろ首』彼女の孤独
リビングで一人、テレビを見ている彼女の後ろ姿があまりにも寂しそうだった。以前は隣に座っていたのに、今は離れたところから見ているだけ。彼女は時々、隣の空いたスペースを見つめる。そこに手を伸ばしかけて、やめる。その手が震えているのに気づいた。声をかけたいのに、何を話せばいいのか分からない。
24. 『ろくろ首』首の傷
彼女の首に新しい傷ができていた。赤く腫れたような痕。「どうしたの?」思わず聞いてしまった。「虫に刺されて」と彼女は答えたが、明らかに違う。まるで何かに引っかかったような傷。もしかして、伸びすぎて木の枝にでも?そんなことを考えている自分が嫌になる。傷に薬を塗ってあげることもできない臆病な自分が。
25. 『ろくろ首』隠し撮り
狂っているとは分かっていた。でも証拠が欲しかった。スマートフォンを録画状態にして、寝室に隠した。朝、震える手で確認する。映っていた。彼女の首が天井近くまで伸び、くるくると回転している姿が。画面の中の彼女は、どこか恍惚とした表情をしていた。動画を削除する。こんなものを撮って、何になるというのか。
26. 『ろくろ首』友人の指摘
「最近、彼女の様子が変だよ」共通の友人に言われた。「やつれてるし、いつも首を触ってる」確かにそうだ。外では必死に普通を装っているが、疲れが隠せない。「ちゃんと彼女と向き合ってる?」その言葉が胸に刺さった。向き合っていない。怖くて、逃げているだけだ。「大丈夫、ちょっと疲れてるだけ」そう答える自分が情けない。
27. 『ろくろ首』嘘の積み重ね
「今日は遅くなる」「友達と会ってくる」お互いに嘘が増えた。本当は家にいたくないだけ。彼女も同じなのだろう。すれ違う時間が増えて、顔を合わせることが減った。たまに一緒にいても、スマートフォンを見つめるばかり。この関係に意味があるのか分からなくなってきた。でも別れを切り出す勇気もない。宙ぶらりんのまま、時間だけが過ぎていく。
28. 『ろくろ首』夜の徘徊
彼女の後をつけてしまった。深夜の公園で、彼女は首を伸ばして木の実を取っていた。高い枝になる実を、器用に口でもぎ取る。まるで動物のような仕草。でもどこか優雅で、神秘的ですらあった。他に人影はない。彼女は一人で、この秘密を抱えて生きているのだ。帰り道、彼女は何度も後ろを振り返った。気づかれたかもしれない。
29. 『ろくろ首』他の女たち
公園の奥で信じられない光景を見た。彼女以外にも、首を伸ばす女性たちがいた。三人、四人。月明かりの下で首を絡ませ合い、まるで挨拶でもするように。彼女たちは静かに言葉を交わしていた。仲間がいたのだ。彼女は一人じゃなかった。なぜか安堵と同時に、強い疎外感を覚えた。彼女には別の世界があることを思い知らされて。
30. 『ろくろ首』帰ってこない朝
朝、ベッドに彼女はいなかった。荷物はそのまま。ただ枕元に「少し一人になりたい」とメモが残されていた。連絡しても返事がない。夕方になっても戻らない。夜になって、ようやく「大丈夫」と短いメッセージ。でも帰ってこない。一人の部屋は静かで、彼女の香りだけが残っている。初めて、失うことの恐怖を感じた。
第4章:対峙
31. 『ろくろ首』問い詰める
三日後、彼女が帰ってきた。やつれた顔で、でも何か吹っ切れたような表情。「話がある」こちらから切り出した。「君の首のことだけど」彼女の顔が青ざめた。「知ってたの?」「ああ」正直に答えた。長い沈黙。彼女は震える手でコップの水を飲んだ。「いつから?」「一ヶ月前くらいから」また沈黙。でも、もう隠し事はない。
32. 『ろくろ首』彼女の告白
「生まれつきなの」彼女がぽつりと言った。「母も、祖母も、みんなそうだった」家系的なものらしい。「初潮の頃から始まって、止められない」努力はしたという。医者にも行った。でも原因は分からない。「普通の人として生きたかった」彼女の目から涙がこぼれた。「あなたと普通の恋愛がしたかった」その言葉が、胸を締め付けた。
33. 『ろくろ首』家族の秘密
彼女の母親は、若くして亡くなったという。「首を伸ばしすぎて、戻れなくなったの」祖母は今も健在だが、施設にいる。「もう人前には出られない」写真を見せてもらった。普通の優しそうな女性たち。でも彼女たちは皆、この秘密を抱えて生きてきた。「結婚した人もいたけど、みんな最後は一人」その運命を、彼女も覚悟しているのか。
34. 『ろくろ首』見せてくれ
「見せてくれないか」思い切って頼んだ。「君の本当の姿を」彼女は驚いた顔をした。「本気?」「ああ」しばらく迷った後、彼女は頷いた。「後悔しない?」「しない」と答えたが、心臓は早鐘を打っていた。彼女は深呼吸をして、目を閉じた。そして、ゆっくりと首が持ち上がり始めた。昼間に見る光景は、夜とはまた違った。
35. 『ろくろ首』初めての実演
彼女の首が目の前で伸びていく。細く、しなやかに。まるで生きている蔓のよう。彼女は目を開けて、天井近くから見下ろした。「怖い?」と聞く声が上から降ってくる。「少し」正直に答えた。でも同時に、美しいとも思った。窓の外を見たそうに首が動く。「外が見たいの?」と聞くと、恥ずかしそうに頷いた。人間らしい仕草に、少し安心した。
36. 『ろくろ首』触れてみる
「触ってもいい?」勇気を出して聞いた。彼女は戸惑いながらも、首を下げてきた。恐る恐る手を伸ばす。指先が触れた瞬間、思ったより温かかった。普通の肌と変わらない。でも筋肉の感触が違う。もっと柔軟で、強い。「くすぐったい」と彼女が笑った。その笑顔を見て、これも彼女の一部なんだと実感した。でも、完全に受け入れられたわけではなかった。
37. 『ろくろ首』冷たい感触
もう一度触れた時、今度は冷たかった。「体温が下がるの」と彼女が説明した。「伸ばしている時は血流が悪くなるから」なるほど、だから朝はいつも疲れているのか。「痛くないの?」「慣れたけど、楽ではない」彼女の首を撫でながら、この人の苦労を想像した。毎晩こんな思いをしているなんて。でも、それでもまだ恐怖心は消えなかった。
38. 『ろくろ首』彼女の本音
「本当は止めたい」彼女が漏らした。「でも止められない」衝動のようなものらしい。月の引力を感じるという。「満月の夜は特に」だから最近、夜の外出が増えたのか。「普通になりたかった」その言葉を何度も繰り返す。「手術でもなんでもする」でも方法はない。現代医学でも説明できない現象。「私といるの、辛いでしょう?」その問いに、答えられなかった。
39. 『ろくろ首』約束
「受け入れる」そう言ってしまった。「君のすべてを受け入れる」彼女は泣いた。嬉しそうに、でも悲しそうに。本心だったのか、今でも分からない。ただ彼女を失いたくなかった。「本当に?」「本当だ」嘘かもしれない。でもその時は、そう信じたかった。彼女を抱きしめた。でも心のどこかで、この約束を守れるか不安だった。
40. 『ろくろ首』眠れない二人
久しぶりに同じベッドで寝た。でもお互い眠れない。彼女は首を伸ばさないよう必死に我慢している。それが分かるから、こちらも緊張が解けない。「無理しないで」と言ったが、「大丈夫」と彼女は答えた。明け方、彼女はとうとう諦めて別室に行った。ドアの向こうから、何かが動く音がする。同じ屋根の下にいても、もう遠い。
第5章:結末
41. 『ろくろ首』朝の別れ
「もう無理かもしれない」朝食を終えて、彼女が静かに言った。「何が?」と聞き返したが、分かっていた。「この関係」沈黙が流れる。否定したかったが、言葉が出ない。「あなたは優しいから、我慢してくれてる」彼女は悲しく微笑んだ。「でも、それは愛じゃない」図星だった。努力はした。でも恐怖を愛で覆い隠すことはできなかった。
42. 『ろくろ首』荷物をまとめる
どちらが出ていくか、静かに話し合った。結局、彼女が出ていくことになった。「慣れてるから」と寂しく笑う。段ボールに荷物を詰める彼女を手伝う。思い出の品々が箱に収まっていく。一緒に選んだマグカップ、旅行先で買った置物。「これは置いていく」と彼女が写真立てを棚に戻した。二人で笑っている写真。まだ何も知らなかった頃の。
43. 『ろくろ首』最後の夜
「最後にもう一晩だけ」彼女が提案した。別れの前の最後の夜。久しぶりに手を繋いで眠った。彼女の手は温かかった。「ありがとう」と彼女が囁いた。「こんな私を愛してくれて」愛していたのは本当だ。今でも愛している。でも一緒にはいられない。夜中、彼女の首が少し浮いた。でも今夜は、それを見守ることができた。
44. 『ろくろ首』首を伸ばさない約束
「今夜は伸ばさない」彼女が約束した。「最後くらい、普通の恋人でいたい」でも無理だった。寝ている間に、本能は抑えられない。うとうとしていると、彼女の苦しそうな呻き声で目が覚めた。必死に首を押さえている。「いいよ」と言ったが、彼女は泣きながら首を振った。「普通でいたいの」その姿が痛々しくて、もう見ていられなかった。
45. 『ろくろ首』目が覚めたら
朝、目が覚めたら、彼女の顔が天井にあった。完全に制御を失ったらしい。首は部屋中に伸びて、まるで蛇のようにとぐろを巻いている。彼女も目を覚まして、天井から情けない顔で見下ろしてきた。「ごめん」と言う彼女。もう謝ることじゃない。でもこの光景を見て、やはり無理だと確信した。愛だけでは超えられない壁がある。
46. 『ろくろ首』叫び
「もう耐えられない!」ついに叫んでしまった。我慢の限界だった。彼女の顔が悲しみに歪む。でも何も言わない。ゆっくりと首を縮めていく。元に戻った彼女は、ベッドの端に小さく座っていた。「分かってた」とつぶやく。謝りたかったが、もう遅い。一度吐き出した本音は取り消せない。朝日が差し込む部屋で、二人の間に埋められない溝があった。
47. 『ろくろ首』去っていく背中
荷物を持って玄関に立つ彼女。振り返らずに「元気で」とだけ言った。引き止めたい気持ちと、解放される安堵が綱引きをする。結局、何も言えずに見送った。ドアが閉まる音が妙に大きく響いた。窓から見ると、彼女はまっすぐ歩いていく。一度も振り返らない。その首筋が朝日に照らされて、普通の女性と変わらなく見えた。
48. 『ろくろ首』残された部屋
彼女が去って一週間。天井を見上げると、まだ擦れた跡が残っている。彼女の首が這った痕跡。消そうと思ったが、そのままにした。ベッドの隣はがらんとしていて、枕だけが残されている。クローゼットには彼女の服が数枚。「取りに来る」と連絡があったが、まだ来ない。部屋に彼女の気配だけが残って、それが余計に寂しい。
49. 『ろくろ首』新しい彼女
半年後、新しい彼女ができた。普通の女性。首も普通の長さ。でも夜が怖い。隣で寝ている彼女の首を、つい確認してしまう。「どうしたの?」と聞かれて、「何でもない」と答える。でも安心できない。また同じことが起きるんじゃないか。トラウマは簡単に消えない。新しい彼女といても、時々、天井を見上げてしまう。
50. 『ろくろ首』時々思い出す
街で黒髪の女性を見かけると、つい振り返ってしまう。彼女じゃないと分かっていても。満月の夜は特に思い出す。今頃、どこかで首を伸ばしているのだろうか。手紙の一通も来ない。それでいいのかもしれない。時々、あの首の美しさを思い出す。恐ろしくも神秘的だった、あの姿を。愛することができなかった、もう一つの彼女の姿を。
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